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永遠のいのちの主を賛美する

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ルカによる福音書

永遠のいのちを探し求めたある役人とイエスの問答

ひとりのお役人がイエスの所に来て訊ねます。「永遠の命を得るにはどうしたらいいのですか?」。

エスはナザレという田舎出身の預言者でしたから、そのイエスの足下にひれふして訊ねたというその役員がどれほど真剣に永遠の命を探し求めていたかが分かります。

エスの答えは?

エスの答えは、「持ち物を全部売り払って貧しい人たちに施しなさい」そして、その上で裸一貫「わたしについてきなさい」でした。役人はかなりの資産家だったので深く落胆しました。

でも、それは文字通りそうすべきだったいう意味ではなく、金銭よりもっと大事なもの。永遠の命とはイエスキリストであり、イエスキリストで日々自分の心が満たされることを願うか?という意味でした。

「イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。 18:25金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」ルカ18:24,25

このような教えは、信仰の世界の話なので、論理的に説明したり証明したりすることは難しいと思います。

お金が悪いという意味ではなく、この役人のように日々、いろんな欲に縛られている私たちが天国に入るのはらくだが針の穴を通るくらい難しいという意味です。弟子たち、役人さんが驚くのも無理はありません。役人は良い人でした。まじめで人を傷つけないように生きてきた。でも、それはただの一方通行的な身勝手な生き方でしかありませんでした。自分は思いやりがある人間だと思っていたのに、本当はそうではなかった。ただ自分が、自分が、という生き方をしてきただけにすぎなかった。役人は打ちのめされました。天国に入れる人などだれもいないというのですから。

「それは人には出来ないが、神には出来る」

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。1ペテロ3;14,15.

献金をしたり、善行をしたり、親切にすることで、天国貯金ができるわけではない。天に宝を積むとは、イエスキリストで日々、心を満たすことです。信仰を持つということは神の奇蹟によるものだというのです。

日々の歩みのなかで

生きていれば、毎日、いろいろな思いや出来事が去来して行きます。イエスは役人に、むしろあなたの努力や緊張が、心配の種になっていると言われたんです。

生きていれば、良いことばかりじゃなく、動揺するようなこともある。でも、そのとき、向き直って、永遠の命なるイエスキリストを礼拝し、賛美しつつ日々を過ごしましょう。

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