自分の救いの達成に努める
クリスチャンへの警告という本があって、その中に地獄を体験した人の証しがあります。
地獄へ堕ちた元教会員
自分が救われているクリスチャンで地獄なんかにはいかないと考えていたそうですが、集会中にその女性は地獄へ落ちる体験をしたそうです。
彼女は一度イエス様を信じたら、絶対に、どんなことがあっても地獄へ落ちることはないと信じるクリスチャンでした。
ですから自分が地獄へ落ちるはずはないと思っていたのです。
しかし地獄へ行っていると、そこにはかつてクリスチャンだった人が大勢いて苦しんでいたというのです。
クリスチャンだったというより、途中でクリスチャンであることを辞めた人と言ったほうがいいと思います。
2008年に、その体験をしたアメリカのローリー・ディットさんという女性には、赦すことできない人がいたのです。
「『私たちはあなたを愛しています。私たちはあなたを愛しています』といいますが、『もしあなたが私を愛しているなら、私に従いなさい』と教えています。私は地上で従おうとしていませんでした。私は赦そうとしていませんでした。」
そのクリスチャンへの警告という本なのですが、そのなかに、一度信じたらどんなことがあっても救われたままという教えは、悪魔からきた教理だと書いてあります。
「最大のウソは、一度救われたら、ずっと救われたままであると言う教えと『行き過ぎた恵み』と教理です!」
また、こうも書かれてあります。
このような教えは、信奉者たちにとって、恵という口実の下で教えられている『不道徳のための許可証』となっているというのです。
「彼らは罪の生活を送っていながら、わたしはいずれ天国へ行けると信じているかもしれませんが、行先が地獄であることを知らずにいます。
もう一人ケネス・ヘーゲンという人の書いた本の中に、地獄へ堕ちたある牧師夫人のお話があります。
その女の人は非常に美しくまた美声の持ち主でもありました。
しかしある時のこと、モンキーによく似た小さな格好をした生き物(悪魔です)が、この女性の耳元に来てひんぱんにささやくようになり、あなたはこんなところで自分の人生を台無しにしている「あなたは美しい。あなたは美しい」というのです。
はじめは、「悪魔よ出ていけ!」とこの考えを退けてはいたのですが、次第にこの牧師夫人は、その「あなたは美しい」という文言に譲歩するようになって、ついには行動化してしまったというのです。
夫人は牧師であった夫を捨てて、他の男のもとへと渡り歩き始めて、ついには破滅してしまったそうです。
彼女は最初、自分の意志でイエス様を信じ受け入れて、主にお従いしていたのですが、最後には自分の意志でイエス様を拒絶するようになってしまいました。
彼女が最後に言い放った言葉は、「あなたが何のためにここに来たかは、わかっているわ。イエスのことなら、イエスと一緒に地獄へ堕ちれ!」だったそうです。
彼女をのことを心配してホテルに訪ねてきた教区長に言い放った最後の言葉でした。
あなたは完全に自分の意志でイエスを拒んだことはありますか?
最後の時の悲鳴をケネス・ヘーゲンは霊の耳で聞いたそうです。
底知れぬところへ落ちていくときの、彼女の最後の恐ろしい叫び声だったそうです。
6:4いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、 6:5また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、 6:6そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。新約聖書へブル6:4‐6.
新改訳聖書では「しかも堕落してしまうなら」とありますが、自分の意志で信仰を捨てる人のことです。
もし、何かの罪の弱さがあれば、どうぞ言い表して、罪から離れて下さい。誰かを憎んでいたり、汚れがあれば、どうか共に祈って勝利するようにいたしましょう。
あるところで福音を語ったときのこと
私はある日、招かれて召天記念会でメッセージをしに行きました。
聖霊の注ぎを受けて最後には終末についてさえお話し、悔い改めてイエス様を受け入れるお祈りをお話の最後に導きました。
しかし、驚いたことが起こりました。
だれひとり、声に出して祈ろうとしなかったのです。
部屋の中に、闇があるのを感じました。
しかし、後から考えてみて、これが福音なのだと理解しました。
なぜなら、福音とはイエスオアノー Yes or No であるからです。
二者択一なのです。
だから福音を誰かに伝える時には、イエスオアノーであることが必要です。最後の一人が自分の意志をもってイエス様を迎えるとき世の終わりが来ると聖書は告げているからです。
そして、それは残念なことですが、ノーを明言する瞬間でもあるのです。
今のこの終わりの時代は、もしかすると、「イエス様を受け入れる」、または「受け入れない」が、はっきりするときかもしれません。
恵み深い、あわれみ深い神さま
しかし天のお父さまは、日々へりくだって、罪を悔い改める者を、主の十字架の救いにより頼む者を、けっして軽んじたりしないお方です。
天のお父さまは、信じるに足る、恵み深いお方です。
信じる者の不動の救いの岩です。
恐れる心をもって、へりくだって、主を求める人に対しては、けっして見放されたりすることのないお方です。
ただ、もし、一日を終えるとき、御心にかなっていないことがないかどうか、振り返る必要があります。
そしてもし、気づくことがあれば、どうぞ自分の罪をも赦されたように、誰かの罪をも赦して下さい。
そして、その罪を捨て去りましょう。
彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。Ⅰヨハネ3:3
先日、アーサーホーランド先生のYouTubeを見ていたら、イエス様とのデートタイムというのがありました。
心を静めて祈ったり、聖書を読んだりする時間のことですね。
先週、祈っていると、預言の言葉与えられました。
時が縮まっています。時が縮まっています。
あなたがたは目を覚まして、私に聞き従いなさい。
お祈りしましょう。
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。