聖書のある暮らし

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「主に信頼する人の幸い」

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今日は「主に信頼を置く人の幸い」というテーマで旧約聖書エレミヤ書から学びましょう。

 

 エレミヤ書 17:6-10*1

 このエレミヤ書には、主=神に信頼する人の幸いが書かれています。

なぜ、幸いなのか。

21:33天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。21:34あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。 ルカ 21:33-34

主(神)に信頼を置く人が幸いな理由は、信仰を持つ人は、死んでも天国に行くことが出来るということを知っているからです。

GoToトラベルとか、GoToイートとかあって息抜きの大切さを実感させられます。

 しかし、イエスは「人はパンだけでいきるのではなく、神の言葉によって生きるのだ」と言われました。イエスを信じる人はそのことの大切さを知っているのです。

あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ

      ソロモン*2

 このことばは、旧約聖書の伝道者の書という箇所のことばです。

若い人は、あまり自分の死については考えないものです。

では、歳をとれば自分の死について考えるかというとそういうわけでもないようです。出来るだけ長く生きて、楽しんでおいしいものを食べて、死ねばそれだけの話だよ~とある80を過ぎた方が話すのを聞いたことがあります。

人はあまり自分の死後の備えをするという事はしないものです。それでいて、いよいよ自分の死ぬ時が来ると慌てふためくのでは、と思います。

17:17どうか、わたしを恐れさせないでください。災のときに、あなたはわたしののがれ場です。17:18わたしを攻め悩ます者をはずかしめてください。しかしわたしをはずかしめないでください。彼らを恐れさせてください。しかしわたしを恐れさせないでください。災の日を彼らにきたらせ、滅びを倍にして彼らを滅ぼしてください。 エレミヤ書 17:17,18 

 聖書の別訳では、「どうかわたしをうろたえさせないでください」となっています。

 

ある金持ちの死と貧乏人ラザロの死のちがい

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聖書に出てくるたとえ話に、神のみ心に適ったラザロと言う人が死んだとき、天使が迎えに来てくれたというのがあります。しかし金持ちが死んだときは天使が迎えに来てくれたとは書いてありません。

多分、金持ちが死んだとき、「うろたえた」のではないでしょうか。

 私たちはどちらでしょうか。

 ウィリアム・ブースの見た幻

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  ウィリアム・ブース(1829‐1912)

救世軍創始者だったウィリアムブース(1829‐1912)という人が当時、馬車に乗って街中を移動していたとき、大勢の人たちが行きかう姿を目にしました。その時、ある幻を見たそうです。

それは燃える広大な火の海でした。

その火の海の中で大勢の人がもがいたり、叫んだり、神を呪ったりしているのを見たそうです。

しばらくするとその広大な火の海から一つの巨大な岩が突き出てきました。そしてその岩につかまって何人もの人が助かり、そして今度はその助かった人たちが懸命に救助活動を始めたそうです。彼は感動しました。中には危険をも顧みず、もう一度、苦しむ人たちを救うために火の海に飛び込む姿もありました。

ところがどうしたことなのか、しばらくすると、よく見ると救助に精を出す人の数が少ないことに気が付きました。あろうことか先に助かった人たちは何事もなかったかのように上へ上へと登っていき、以前のようにビジネスを始めたり、庭に花を植えたりするようになったのです。

ウィリアム・ブースは非常に驚きました。

その巨大な岩とはいうまでもなく、イエス様の救いのことですね。

 彼はこう言っています。

「あなたの幸せは彼らの悲惨さに共感することの中にあり、あなたの安らぎは彼らの痛みに共感することの中にあり、あなたの冠は、彼らが自分の十字架を負うのを助けてあげることの中にあり、あなたの天国は、行って、地獄が開けている口から彼らを救出することの中にあるのです。あなたはこれから何をしますか?」     ウィリアム・ブース

 あなたの天国は、行って、地獄が開けている口から彼らを救出することの中にあるのです。あなたはこれから何をしますか?

今日のみことばは、主に信頼する人の幸いというテーマですが、私たち信じる者の幸いは、永遠の御国の信頼にあります。

そして、主と共に一つの心になって、歩むところに天に御国の歩みがあるのだ、ということです。

 御国(天国)への信頼をもって歩む私たちが、こころすべきところは、滅び行く魂に対する情熱をもう一度主から戴いて、進んでいくことなのだ、と思います。

  主に信頼するものの幸い。

それは御国の勝利の確信の中にあります。そして、主に信頼するものの幸いとは、主を同じ情熱を戴いて進んでいくものの中にあるのだ。そしてそれが私たちの目指す天の御国の性質なのだという事です。

  お祈りをいたしましょう。

天のお父様。

エス様を私の永遠の滅びからの救い主として信じます。

すべての罪を赦し、新しい永遠の命をお与下さい。

あなたに従っていきます。

私の歩みを導いて下さい。

エスキリストの御名によって アーメン

 

*1:17:5主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。17:6彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。17:7おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。17:8彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。17:9心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。17:10「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。.

*2:イスラエルの昔の王であり賢者