死んだあと天国に入るには
一番だいじな宿題
自分が死んだらどうなるのか、どこへ行くのか考えたことはありますか?
もしかすると、こんなに大事なことを、こころの中に隠しながら時を過ごしてはいませんか。
聖書は、このことに明確な答えを示している永遠のベストセラーです。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。新約聖書ヨハネ12:24
この一句は聖書の中のイエスキリストが発した言葉です。これはキリストの贖罪の死と復活についての個所です。キリストは全人類の罪の償いのために二千年前、神の子でありながらこの世に下られ、みずから十字架に架かり、そして死後三日目に甦られました。そのことについての預言的な一句なのです。
今回、残念なことに亡くなられたKさんは、亡くなる少し前、入院先で洗礼を受けられ、その一か月後に、突然のように召されました。
人はそれぞれの人生をすごします。
人生八十年といいますが、最近は100年でしょうか。
しかし、私たちは不完全な、欠けだらけのお互いです。
その多くの時を、人に迷惑をかけながら過ごします。
親に迷惑をかけ、知人友人に、伴侶にウソをついて、裏切り、罪と嘘の泥塗りを繰り返しながら、気づくと老人になっているのです。
その醜悪さは、歳をとるほど、醜くなっていきます。
神は愛です。そして人生の逆転勝利。
しかし今回、天に召されたkさんは、神さまから愛されていた人でした。
そして私たち一人ひとりも、この天地を創造された神様から愛されているのです。人間ですから感謝できないことも生前あるものです。
しかし、神のご愛があるから、生まれてきたことが、生きてきたことが、そして出会いがあったことが、どんなに不都合で喜べないと思えるような人生であったとしても、幸いに転じるのです。
親が一人であるように、神は唯一です。
たくさんはいないのです。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。新約聖書ローマ8:28.
無目的に見えた人生が、生きてきたことが、この神のご愛によって万事、いっさいがっさいが、善に変わるようになるというのです。
いま、感謝できなくても、必ず、感謝に思える時が来ます。
Kさんにもいろいろな人生の場面があったことでしょう。
でも、今はイエス様を信じ受け入れて、信仰を戴いて、罪の赦しを戴いて、天国へ入られました。
どうすれば天国に入れるのか?
だれでもが自動的に死んだら天国は入れるわけではありません。
イエスキリスト様の十字架を信じた人だけが入れるのです。
それはキリスト様が二千年前、十字架の上で、あなたの罪の償い=贖罪を完了したからです。その事実を受け入れるなら、どんな人の罪のゆるされ、許され続け、天国に入れるようになります。
明日があるのは、奇跡です。
明日も必ず生きているという保証は、ないのではないでしょうか。
能登半島地震のことを思うならそのことがわかります。
明日は偶然ではないのです。生かされていることは奇跡なのです。
信仰を持つとは
それは、陳腐な宗教に入ることではありません。
永遠のベストセラー聖書が大昔から、人間に語り掛けているまじめなテーマです。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。新約聖書14:6
信仰は、プライベートな問題です。
個人的なことです。強いられてでも、同調圧力の下ででも、なされることではありません。どうか、個人的にいま、決断して下さい。
明日のために、永遠のために、自分のために、どうぞそうしてください。
わたしの祈り
天地を造られた父なる神さま。
わたしは罪びとです。
イエス様が十字架に架かって死なれ甦られたことを信じます。
わたしのすべての罪をゆるし、永遠のいのちをお与えください。
イエス様のお名前によって アーメン
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。