「人生の大暴風を乗り越える」
この個所を通して、聖書は私たちに、人が遭遇する困難を通して、神はご栄光を表すことが出来るお方であることを教えています。
全てのものをお造りになった唯一の神様は、私たちが迎える人生上の一切に働きかけて下さって、いっさいのことを益に変えることが出来る神様です。
私たちに進むべき道を教えて下さる神さま
天地を創造された父なる神様は、私たちが抱えるさまざまな問題にどうかかわって下さって、助けて下さるのでしょうか。
パウロは航海士でもなければ船長でもなく、その道の専門家ではありませんでした。
しかし、パウロは天の父に祈ることを通して、確かなお導きを受け止めて、正しい道を選ぶことが出来ました。
私たちは、右か左か、道に迷うことがあります。
そんなとき、どうか祈りつつ聖書を読んでみてください。
こころを静かにして、神さまの御心(みこころ)を尋ね求めてください。
神第三位の聖霊さまは、必ず信じる者たちに相働いて下さって、神の子らである私たちに細い御声(みこえ)をかけて下さって、行くべき正しい道へ導いて下さいます。
その際に気をつけなければならないことは、道を決めるときに、果たして自分のこころの中に平安はあるかどうかということです。
果たして、その道で大丈夫なのかどうかを聖霊様にお話しして、尋ねてみることです。
聖霊さまは生きて働く神さまなので、必ず祈る者に平安のある正しい道へと導いてくださいます。
聖霊さまのお導きを無視するときどうなるのか
しかし、その船の実質上の総リーダーだったローマの百人隊長は、パウロの助言に従わないで、航海士ら専門家の意見を優先させました。
それは分岐点となって、そのあと大変な事態が起こりました。
先日、コロナ規制が緩和されたので、久しぶりでMさんの所へ行ってきました。
Mさんは施設に入るために、それまで持っていた沢山の家財道具を手放しました。
私たちの毎日は、自分の好むモノや環境の中にあります。お気に入りの服や、調理道具にその他もろもろです。
モノばかりではなく、人、立場、評判などもあります。
しかし永遠のベストセラーである聖書は、人間はいつか必ずそういったモノとは別れる時が来ること。
モノだけじゃなく、70~80年間と住み慣れた自分の肉体とも別れる時が来ることをも教えているのです。
その日の備えはもう済んでいますか?
この記事に書かれてある2000年前の地中海を舞台に、そんな追い込まれた中を必死にもがき奮闘している人たちがいました。
使徒パウロと一緒に荒れ狂う海で、ただただ助かろうと、大切な積み荷や船具までも投げ捨てて、船を軽くして、助かろうとしていた人たちがいました。
彼らの願いは、ただ自分のいのちの安全でした。
救いは万物を造られた神からくる
そして、ついに最終的な局面がやって来ました。
19,20節を読みましょう。
「助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」。
「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立っ」たというのです。
救われるために①
まず自分は何に属しているのかをはっきりさせなければなりません。
パウロは自分のことを「私の主」と言うことで、自分が唯一の創造主なる神に属していることを言い表しました。
この世には二種類の人しかいません。
この世に属している人。そして天地をお造りになった創造主なる神に属している人の二種類だけです。
この世に属する人たちは、この世にあるものだけで事象をとらえ判断しようとします。そこに天地を造られた神さまのお考えが入る余地はありません。
いのちだけが最も大切だということが分かった乗船者らは、この逆らうことのできな大暴風のなかで、ただ一人の神からの助けについて語るパウロの言葉に耳を傾け始めたのです。それまでパウロを馬鹿にしていたような人たちまでもが、全員そうなったのです。
旧約聖書の時代にあった類似した出来事
わたしはパロの心をかたくなにするので、彼は彼らのあとを追う。しかし、わたしは(神)ファラオとすべての軍を通して我が栄光を勝ち取る。エジプトは私が主であることを知ろう。出エジプト記 14:4 NIV
この聖書の個所は、晴れてイスラエル人が430年間の奴隷生活から見事、預言者モーセによって救い出されて旅立った後、心変わりしたエジプトの王と軍勢が、イスラエルに迫るシーンです。
後ろから追ってくる軍勢を見たイスラエル人たちは、預言者モーセに文句を言い、「どうせこんなことになるとおもっていたんだ。最初から俺たちのことなんかほっといてくれって言ったじゃないか」と。
彼らは、モーセを恨み、環境を恨み、神を恨みました。
しかしここに驚くべきことが記されています。
それがこの出エジプト14:4で神が言われたことです!
天地を創造された神は、私たちが迎えるすべての大暴風を通して、人の困難を通じて、栄光を表すことが出来るお方であるということなのです。
すべてに相働いて、益に変えると仰るのです。
私たちの目は近視眼です。
すぐ先のことしか考えないし、見えません。ですから動揺しやすいのです。
救われるために②
パウロは大暴風のなかでさらに自分の信仰をはっきりと告白しました。
「私の仕える神」と言ったのです。
これは日ごろ、私たちはが何を誰を最優先にして、人生を歩んできたかに関係している問題です。
それは私たちのこまごました、決定すべき事柄の一つ一つをも変えてしまうような告白です。
私たちが経験する人生上の一切の問題と混乱の原因は、ここにあります。
つまり、神に仕えるのか、それとも世に仕えるのかのどちらか一つなのです。
富や、評判や成功にしがみついているなら船もろとも、あっさりと裏切られてしまうときが来ることでしょう。
自分が神に属しているものとして人生を過ごしているかどうかは、どのように確認できるのでしょうか。
しかし‥‥もしほんとうに神の霊があなたの内に住んでおられるのなら、霊の領域にあなたはいるのです。ローマ 8:9 NIV
「霊」には定冠詞がついていて、それは聖霊のことを示します。
もし人となった神、ナザレのイエスを個人的な罪からの救い主、永遠の命の与え主として認めて、自分のこころのなかにお迎えしたのなら、神第三位のご神格なる聖霊さまは、ただちに祈りもとめた人の心の来て下さり、お入りくださって、自分が救われた神の子であるという確信と感謝の思いを与えて下さいます。
聖霊さまのお導きを求めながら進むこと
パウロの心は、最初から高価な積み荷や持ち物に縛られていませんでした。
パウロは、常に聖書を読みつつ、祈りによる聖霊さまとのお交わりを通して信頼できる道を歩き続けていたのです。
どうか私たちもそうあることを願い求め、また実行できますように。
そのとき、聖霊さまはパウロに語り掛けて下さり、「あなたはまだ死なない。あなたにはまだ使命が残っている。必ず皇帝カイザルの前に立つのだから。」24節
パウロは福音の使命のために生き延びて、いっしょにいた人たちも助かることを知らされました。
ですから、みなさんが抱えているいろいろな悩みや課題や解決してほしい事柄があっても、どうか父なる神様は、それらを通じて必ず益に変えてくださるお方であることを信じて、神さまのご栄光を求めて祈りましょう。
感謝する力の秘訣
最後に、パウロは父なる神様に感謝をささげました。33~36節を読みましょう。
父なる神様は私たちを具体的に助けて出さるお方だということが分かります。
チャンと船から脱出できるように、事前に体力をも備えるようにと、タイムラインをも計って下さっていたことが分かります。
食前に感謝してパウロは、皆の面前で食事をとりました。35節。
なぜ感謝なのか
では感謝できない時と言うのはどんな時でしょうか。
あのような偉大な力でイスラエル人をエジプトの国から救い上げて下さって神をイスラエルは信ずることが出来ませんでした。
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえも惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょに一切のものを与えて下さらないはずがあろうか。ローマ 8:32
イエス様を信じる人は、まず霊魂において恵まれます。
聖書には一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定まっていると書かれています。人間は、神がその栄光のために造られたものです。
しかし、人間は神に背いて、造り主の代わりに自分たちで神々を作り、唯一の造り主なる神を拝まなくなりました。
ボタンの掛け違いがあとあと響くように、まず自分の霊魂が恵まれるには、イエスキリスト様が、自分の罪のために十字架にお掛かりになって、死なれ、三日目に甦って下さったことを、受け入れる以外にないのです。
どうか遅くならないうちに、このようにお祈り下さって、自分が罪びとであることを認め、イエス様の十字架の救いを心の中に迎え入れて下さい。
大暴風にも負けることのない確信のある人生、勝利の人生を受け取られますように。
感謝のない心には、愚痴と不平がたまります。
それはまたサタンにスキを与えることになります。サタンにとっかかりを与えてしまい、もっと堕落した毎日に陥ってしまいます。しかし、自分が救いを受けたことをはじめ、感謝の祈りを捧げるとき、否定的な思考は退きます。
希望、将来、期待、夢、自信、信仰、確信、勇気、親切心、その他もろもろ良いことが心を支配するようになります。
大暴風の上には、常に太陽が輝いていたように、あらゆる事象のはるか上に、天地を造られ、すべてをご支配される父なる神がおられるのです。
このお方は、すべての物事の上にあって、主権者でいらっしゃいます。
良いことも悪いとも思われることにも、神の主権があることを認めて、感謝しましょう。
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。
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