聖書のある暮らし

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「パウロの奨め」

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今回の個所は、ローマ書の最後の部分、手紙のあいさつにあたるところです。

主要なローマ書の内容は、先週の13節で終わりました。残りは私的な挨拶などが書かれています。ローマ書もあと少しですが、その残りの部分から、「パウロの奨め」をご一緒に、学びましょう。

ローマ15:14~16.*1

14節。ローマの教会はもともとパウロが伝道して建てた教会ではありませんでした。しかし、ローマ教会にはパウロの知り合いが多くありました。その中には、アクラとプリスカがいました。アクラとプリスカと言えば、当時の主要な伝道者だったアポロという青年を家に招いて、詳しく信仰の道について教えてあげたほどの教える力のある夫婦でした。またパウロと一緒に伝道して、投獄の経験もある強者だったり、パウロよりも古くから信者の方もいました。ですから、当時、世界の道はローマに通ずでしたから、すでに世界中にかなりの影響力を及ぼしていたものと思われます。

ですからパウロが敢えて教えることのないほどに各方面で充実していた教会だったのでしょう。

15節。しかしパウロはあえて「大胆に書いたのは、もう一度思い起こしてもらいたかったからだ」と言いました。

パウロの奨め

Ⅰ.みことばに学び続けることの大切さ~御心を知るために

私たちクリスチャンは、知っているつもりでも、忘れてしまっていることが多くあります。特にみ言葉は霊のことにかかわるものなので、なおさらではないでしょうか。毎日をこの世で忙しくしていると、大切なことをいつの間にか忘れてしまいます。ですから、時々、学びなす必要があります。

信仰生活の致命傷~疑う心

たとえば、信仰生活を送る上で、有害なことの一つは「疑い」です。サタンは、まるで神さまが、私たちを助け救う力がないかのように思わせてくることがあります。先週、聖書通読で、アッシリアの将軍が、生ける神さまを罵ったところがありました。ラブシャケという将軍は、疑いの心を投げ入れてきたのです。これはサタンの働きです。私たちの心にもサタンは疑いの心を入れてきます。最初は小さかったのが、次第に大きくなってきて、気が付くと「ほんとに~もう!」とか「くそっ!」とか、否定的なことを口にしていることがあります。み言葉に基づいて肯定的なことばを口にしましょう。「神様にはできます!」と。

「私は山に向かって目を上げる。わが助けはどこからくるのか。わが助けは天地を造られた主からくる。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰である詩121:1,5.

みことばには力があります。私たちの魂を救うのは、みことばです。悪魔がどんなに私たちを惑わしてきても、主は天地を造られたお方です。そのことを思いめぐらせてみてください。黙想してみましょう。疑う心は消えていきます。「神にはできる!」と。

韓国のハ・ヨンジョ師は「疑う思い」は、①サタンの働き。②無知。聖書を知らず、漠然とした推論をすることによる③傷の多い人。心を閉ざす傾向がある。④プライドと間違った執着心。何でも反対する心。心にあるプライド、意地、無知、偏見、サタンの勢力が崩れ去ることを望み祈って下さい、と奨めています。

Ⅱ.忠実であること

二つ目の奨めは16節で、忠実であることです。

16節で、パウロは自らの働き、使命について書いています。

異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいている」とあります。「仕え人となるための神からいただいた恵」です。それは神様から預かった委託された仕事でした。神様からゆだねられた使命でした。

私たちは裸で来たので、また裸でこの世を去る

世界を席巻したアレクサンドロス大王はお棺から両手をぶら下げて死んでいったといいます。ヨブ記でも言われているように、「人は裸で生まれ、裸でかしこに帰る」のです。結局、全ての良いものは神様からいただいたものばかりで、最後にはそれら全部を手放して、この世を去る時が来る。そして一人で神の前に立たなければならない時がくると聖書は告げています。

良いものの一切は、自分の手で勝ち取ったものではなく、与えられたものです。パウロは神様から戴いた、与っていたお仕事に対して忠実であるとすれば、それらは全部神様からゆだねられたもの。では最後まで神から受けたものに対して忠実でありたいと願う~それは恵によって預かっているのだからと言っています。それが小さくも大きくてもですね。

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神から受けた良いもの、何かの才能?なにかの霊的な賜物?執り成しの祈りだったり、教会内のこまごまとした雑用が好きだったり。でも今はいろいろとあって、少し疎遠になっています。そんなことはないでしょうか。残りの生涯は賛美を捧げていこうとか、かつてしていたが、最近はどうも‥‥。そんなことはないでしょうか。

Ⅲ.新約時代の祭司のつとめに忠実であること

16節。「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしている。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするため」。

どうしてこんな風に書かれているかというと、当時、福音はエルサレムから始まりました。そして、ユダヤの教会の人たちは福音は彼らだけのものと考えていたからです。

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しかし、ペテロが聖霊のお導きに従ってローマの隊長コルネリオのところへ行き福音を語ると異邦人たちは聖霊に満たされて、異言で語りだしました。その後は迫害でユダヤ人クリスチャンたちは方々へ散らされ、次第に福音は異邦人に広がっていきました。彼らは律法やモーセ十戒のことなどは知らない汚れた民族だ。ユダヤ人たちは異邦人たちのことをそう考えていたのです。でも、現実は、彼らも同じように聖霊を受けて異言で語りだしている。だから改宗者になって割礼を受けないと救われないと言い出す人も出てきました。しかし使徒パウロたちは、大事なことは、イエスの十字架の上で流された贖いの血によって潔められ、救いを頂くことだと大胆に宣言し始めました。

パウロにとっては新約の時代の祭司の務めとは、そのことだと言っているのです。異邦人たちを救いに導くということです。

私たちはどうでしょうか。

パウロが考えていたように、新約時代の今日のクリスチャンである私たちも、魂の救いのために、主への「ささげもの」として、与えられた使命に対してもっと忠実でありたい。そう願わされます。

「ああ、神さま。わたしをも、福音の祭司として遣わしてください。」そう願わされ、祈らされます。そして計画を立てて、実行します。

2:5この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。 2:9しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。第一ペテロ2:5,9.

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:15:14さて、わたしの兄弟たちよ。あなたがた自身が、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互に訓戒し合う力のあることを、わたしは堅く信じている。 15:15しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた。それは、神からわたしに賜わった恵みによって、書いたのである。 15:16このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。