聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「み言葉に立ち返る」

今日は、ごいっしょに、「聖書のみことばに立ち返る」というテーマでみ言葉の幾つかを開きましょう。

へブル4:12~16*1

 

新聞に、全国の物価指数が昨年度と比べて4パーセントの上昇率だそうで、これは81年にあった第二次オイルショック以来の上昇率だということです。

生きていると様々なことで、私たちは右往左往しやすくあります。

しかし、神のみことば聖書は北極星のように、いつも変わることなく、私たちを導いて下さる神の力です。

生きている言葉

誰かが何気なく言ったひとことが、誰かの胸に剣のように刺さるという事があり得ます。

私も二十歳過ぎの頃のこと、ある人が言った一言が、こころに突き刺さり、ややしばらくの間、半年くらいの間だったか、しばらくの間そのことばで落胆し、劣等感の塊(かたまり)でいたことがありました。

ことばは生きているということをその時知りました。

言葉は人を生かし、殺しもするのです。

医師の言葉を誤解した幸運な人

末期になるとふつう聞こえない心音がするそうです。

ある医師がその心音を確認したとき、その珍しい心音を聞かせるために医学生らを呼び集めたというお話があります。

聴診器を当てて、「よく聞こえるだろう」と話していたのですが、その後、患者は医師の予想とは逆に心臓が早く鼓動しだして、ついには、退院するまでに回復したのだそうです。

「いや~まさかこんなによくなるなんて~」と退院の際、医師が患者に話すと患者は「だって先生はこの前、学生たちを集めて私の心臓の音がよく聞こえると話していたでしょう。」患者さんはその特別な心臓の音がよく聞こえると話していたのを耳にして、自分の心臓が健康に動いていると勘違いしたというのです。

神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。ヘブル 4:12

聖書も、神の言葉、聖書は生きているとし、また力があるともあり、こころのいろいろな考えやはかりごとを判別することが出来るとあります。

わたしたちは、日ごろ、ささいなことで疑ってみたり、恐れたりしやすくある者です。

旧約聖書に出てくるエリヤと言う預言者はその典型でした。

彼は大預言者でした。

祈ると天から火が降ってきて、バアル神の偶像を打ち砕き、その後、国からバアルの預言者らを一掃しました。

しかし、時の王さまの妃イゼベルが、明日の昼頃までエリヤのいのちを亡きものとしなかったなら、神々がこの自分を幾重にも罰するようにと呪いをかけて誓ったという情報を耳にしました。

勇敢な預言者エリヤでしたが、その悪い知らせを聞くと、彼は一目散にその場を去って、遠く遠く、逃げて逃げて、ついには彼はそこで死のうとしたのです。

疲労もあったことでしょうが、たった一つの情報が彼のその後の人生を大きく狂わせてしまう所でした。

詩篇18篇を味わう

ここで、詩篇18篇を開いてみましょう。

この詩篇ダビデがサウルから救い出されたときの歌だとの表題があります。

1~2節で、ダビデが歌うには「主は力あるお方、砦(とりで)」だとあります。

6節~これで自分の人生も終わりなのか?

ダビデはそんな窮地を何度も何度も体験しました。

そんな最中から、彼は主を呼び求めたのです。

そして、その彼の叫び声は、神の御耳に届いたと歌っているのです!

7節からは、主なる神さまの偉大さが綴られていて、ダビデはそんな力ある全能者をほめたたえて、賛美しています。

神の偉大さは、人間のちっぽけな弱さ・無力さの前に、あまりにも偉大過ぎるのだとダビデは謳っているのです。

半世紀以上も昔のあるバイブルキャンプでの出来事

弘子先生から聞いたお話に砂川の山奥で持たれたバイブルキャンプでの出来事のことを思い起こします。

あいにくの天候で、雨が降り出し、次第に勢いは増してきて、雷が落ち始めたそうです。しかもなんと目の前に雷が落ちるのを見たのだそうです。

ドッカーン!!!地面は揺れて生きた心地はしなかったでしょう。もしかしらた地面に穴もあいたのかもしれません。

まだ若かった弘子先生はその光景にとても恐れました。

そのとき、そばにいた宣教師のひとりが、「ひろこさん、神の指の業です。」と言ったというのです。

時の宣教師らは当時、中国から日本に入ってきたような歴戦の器たちでしたから、言うことが違ったんですね。13節です。

18:13主はまた天に雷をとどろかせ、
いと高き者がみ声を出されると、
ひょうと燃える炭とが降ってきました。

詩篇18:13 他 参照

そのようなお方大宇宙を創造された神が、信じる者の神であられるということを考えてみてください。すごいことではありませんか。

私たちが日常での些細なことで動揺しやすく疑いやすいのは、そのようなお方を、そのようなお方のみことばをあまり信頼していないことが原因しています。

ですから、わたしたちイエスキリストを信じる者は、自分で善悪を決めて生きるのではなく、信仰をもって従順しつつ生きる決心をしなければなりません。神は、わたしたちの絶対的な従順をもとめておられるのです。 趙鏞基

チョー先生は、最初の人間アダムとエバが手を伸ばして禁断の木の実を口にしたのは、神の発せられたみ言葉に対する挑戦であり、「食べてみて甘かったらそれでよし。しかし、苦ければ吐きだしゃいいんだ」と言う、価値基準を人間の貪欲に置いたことによるのだと言っています。

サタンのすることは、人に神の言葉に異論を吹っ掛けるように惑わすこと。

しかし、神は私たちを善悪の基準ではなく、従順するか、あるいは不従順を選ぶかによって私たちを判断されるというのです。

12:1兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。 12:2あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。ローマ 12:1,2

言葉には力が宿っています。

ましてそれが神の言葉であれば一体どうなるのでしょうか。

新改訳では「心の一心」によって自分を変えなさいとあります。

心の一心とは、神のみことばによるものです。

心の一心はみ言葉によって図られます。

へブル4:13-16をもう一度読んでみましょう

4:13そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
4:14さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。 4:15この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。 4:16だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。

どうぞ、み言葉を下さいと言って遜って、時にかなったみ言葉を求めて祈りましょう。

聖霊は私たちに臨まれ、なによりも新旧訳聖書の霊的真理を悟らせて下さいます。助け主なる聖霊は、イエスが言われたみ言葉を絶えず思い出させて下さいます。いかなる境遇に置かれても、聖霊とともにあるなら、神のみ声を聞くことが出来ます。事業に失敗し、会社も家庭もばらばらになり、あちこちから追われることになっても、聖霊が語って下さる神のみことばを聞くなら立ち上がれるのです。ハ・ヨンジョ師  「感謝の夕べ」から

撃退されたサタン

エス様は40日40夜断食した後サタンの惑わしに遭われましたが、その時イエス様がサタンを撃退した方法はみことばでした。

サタンはイエス様が弱っているの見てやってきたのです。

「今がチャンスだ!」と。

でもイエス様は、私はもうすでに何日断食したからだとか、何時間祈っただとか、どんだけ良いことをしたか‥‥とは一切言わず、たた聖書にこう書いていあると言って、次々に申命記のみことばを引用してサタンを撃退しました。

最初サタンは我慢していたと思います。

まず強烈なストレートが入りました。

そして今度はフックがはいりました。

そしてとどめのアッパーでしょうか?

サタンはもうそれ以上がまんできなくなって、ピューッと一目散に飛んで逃げていってしまったのだと思います。

私たちも聖霊さまに、時宜にかなった必要なみ言葉を下さいと言って求めましょう。

聖書を通読して、味わい、玩味して、黙想して、ノートにしたためて。ちょう飴だまを口の中で楽しむように、思いを巡らすのが効果的です。

みことばは、私たちを変えるでしょう。変化させてくれることでしょう。

百人隊長はみことばの権威と力を知っていた

あの僕(しもべ)が癒された百人隊長はどうだったでしょうか。

「ただ、おことばをください」と言ったんですね。speak the word only!

そうしたらそうなったのです

神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。

12節。

み言葉を求めましょう。

 

 

f:id:seishonoarukurashi:20201216122008j:plain

 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:

 4:12神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。 4:13そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
4:14さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。 4:15この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。 4:16だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。