「主の祈り」で祈ろう
昔から「祈りの子は滅びない」という言葉があります。
祈られて育った子供は滅びないという意味です。
今回は、イエスキリストが教えられた「主の祈り」の中からご一緒に祈りについて学びましょう。
- Ⅰ.天にいます私たちのお父様、御名があがめられますように~祈りの最初はまず礼拝からはじめましょう。
- Ⅱ.御国が来ますように。御心が天が行われるように地でも行われますように~それは神の支配を祈る祈りです。
- Ⅲ.日ごとの糧を今日もお与えください。
- Ⅳ.私たちの負い目をおゆるしください。私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。
- Ⅴ.私たちを誘惑に合わせないで悪魔からお救い下さい。
マタイ6:9-13.*1
5世紀の北アフリカにアウグスチヌスという人がいました。この方は優れた神学者、哲学者として有名ですが、若いころは放蕩に身をやつすトンデモナイ人でした。でも亡き母の熱心な祈りによって、劇的な回心を体験して、後世に名を残す立派な人になりました。母親モニカの祈りは熱心で決して諦めない祈りでした。
イエス様が弟子たちに教えられた祈りの第一は‥‥
Ⅰ.天にいます私たちのお父様、御名があがめられますように~祈りの最初はまず礼拝からはじめましょう。
なぜならば、この天地は神が造られたからです。
まず第一に天地を造られた神を礼拝することで、祝福された歩みへと導かれていくようになります。第一にすべきお方を第一にするからです。
ぜひ、祈りだすときは、天にいます私たちのお父様;神様、御名をあがめて賛美しますと祈ってみてください。
聖書の中には神を賛美するときに、さまざまな問題や困難な状況から助け出された人たちのことが書かれてあります。
Ⅱ.御国が来ますように。御心が天が行われるように地でも行われますように~それは神の支配を祈る祈りです。
どうしてこのような祈りをするべきなのでしょうか。
それは、先にも触れましたが、この天地は神がお造りになったから。
また神様は、私たちの救いのために、御子イエス様をお与えくださったからです。
私たちは、好きな人から親切にされると、とてもうれしく感じます。
しかし、聖書によるとこの天地を造られた神は、生きておられ、私たち一人一人を大切なものと認めて下さっていると書いてあるのです。
天のお父様は、一人子イエス様を私たちのためにこの世に送り、十字架で流して下さった救いの血潮によって、すべての人の病をいやし、健康にして下さるのです。
私たちを人生に迷いやすい羊にたとえるなら、天のお父様、イエス様、聖霊さまは、私たちの良い羊飼いなのです。
このような愛の神様に私たちの人生を治めていただくために、人生の主導権をお渡しするなら、この神様は責任をもって私たちの毎日を治めて下さるようになります。私たちを悪魔と罪とに勝たせて下さいます。自分のために、家族のために、教会のために、地域、日本のために、そこに御国のご支配が現わされて御心が行われますように祈りましょう。
Ⅲ.日ごとの糧を今日もお与えください。
福音書のなかに、ある若い金持ちの男性のお話が出てきます。
彼は大変な金持ちでした。資産家だったのでしょう。
しかしあるとき、彼は思い切ってイエス様のところへ行って、こう尋ねました。「先生、どうすれば、永遠の命を持つことが出来ますか?」
しかし、その問いに対してイエス様は「持っている自分の全財産を売り払って、そのお金で貧しい人たちに施して、あとは裸一貫で私についてきなさい」と答えました。
するとその人は悲しい顔をしてその場を立ち去ったというのです。
この時イエス様はこの男の人に、お金が悪いと言ったのではなく、お金に信頼する生き方を止めなさいといわれたのです。
しかしその金持ちはイエス様の言われたことを理解することが出来ませんでした。
なぜなら、その人にとっては、お金、仕事が神様だったからです。
私は、仕事を終えたとき、神様に感謝するようにしています。
「神様。このように仕事を終えることが出来たのは、あなたが私に下さった忍耐力、精神力、判断力、筋力のすべてによるものです。ですから、一切の栄光をお返しします、アーメン」と。
私たちは明日のこともわからないような者たちです。
必要なものを下さったのは天地を造られた神さまだとするなら、へりくだって、日ごとの糧を求める祈りをしつつ、そして、自分に与えられた時間や金銭をどうつかうか。考えてみるといいと思います。
怠惰や、また逆に働きすぎ、捧げるべきものや時間についてはどうだろうか。また、どうだっただろうか‥‥。クリスチャンにとっては伝道、献金、交わり、奉仕などの面があります。
Ⅳ.私たちの負い目をおゆるしください。私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。
赦しには二つあります。
①自分の犯した罪の赦し。
②自分に対してだれかが犯した罪の赦し
私たち人間はみんなが罪を犯すものです。
聖書が教える罪とは、法律を犯すことだけではなく、誰かに対して私たちが知らずにやったことや言ってしまったこと、または意図的にしたことなどをも含みます。
たとえば、人を馬鹿にしたり、見下したり、陰口を言ったり、人を言葉で傷つけたり、たくさんあるんじゃないでしょうか。
聖書には、たとえこの世で周りからどんなに善人だと言われる人がいたとしても、聖い神の前にはだれひとり義人、正しい人はいないとあります。
「すべての人が迷い出て、無益なものとなった」と書いてあるのです。
多くの人が心理学やカウンセリング、占いやスピリチャルなものに解決を求めますが、その癒しは続かず、一時的です。
イエス様のたとえ話の中に、王さまから莫大な借金を赦して頂いた男のお話があります。天文学的な借金だったそうです。かわいそうに思った王さまは、その人を赦してあげました。ところが、それにもかかわらず、男は道端で出会った、自分よりも少額の負債のある人の首を絞めて「やい!俺の貸した金返せ!」とやったのです。
事の顛末を聞いた王さまは大変怒って、その男を牢に閉じ込めてしまったという話です。その後、男は牢獄で苦しい目にあったというのです。
その牢獄での苦しい思いとは何を意味するのでしょうか。
わたしたちは皆がイエス様から赦して頂いたのに、自分に対して悪いことをした人を何時までも赦さないなら、私たちは一生涯、苦い恨みと否定的な感情に支配されるようになり、些細なことで怒りやすくなったり、刺々しくなったり、病気がちにさえなってしまうということなのです。
神様は私たちが健やかであることを願っておられます。
ですから、自分が神の前に赦されたように、どうぞ自分に対して些細なことで苦しめた人を赦しましょう。
往々にして、私たちは、相手が100%悪いと思いがちなところがあります。ところが実際は、そうなるきっかけの多くの部分を自分が作ったということには、あまり目を向けようとはしない傾向があります。だから、主が私を赦して下さったように、わたしたちも赦しましょう。
健やかでさわやかに過ごすようになるためにも、私たちは自分に対して負い目のある人を赦さなければなりません。
思いの中で悪いことを考えるたびに、自分のこころの中で、「どうか、イエス様の血を私の心の注いで、心にある恐れ、後悔、罪責感、恨みの感情から潔めて下さい」とお祈りしてみて下さい。
そして、自分に罪を犯した人を赦してください。
それはほかならないこの自分が、神の前にも人の前にも、多くの罪をゆるして頂いたからです。
Ⅴ.私たちを誘惑に合わせないで悪魔からお救い下さい。
聖書を読むとこの世を支配する力が二つあります。光と暗闇です。
光の世界を支配するのは神のお力です。しかし、暗闇の世界を支配するのは堕天使ルシファー、のちのサタンです。
私は毎日、この暗闇の力を持つサタンの誘惑から守られるように祈るべきです。
私たちはどのようにして、暗闇の勢力から自分を守っていくことが出来るのでしょうか。
それは光の中を歩むことによってです。
イエス様が40日40夜、荒野の中で断食をしたときサタンがやってきてイエス様を誘惑したと福音書に書いてあります。
その時イエス様はどのようにしてサタンに勝ったのでしょうか。
聖書のみことばを用いてサタンの惑わしや思考をことごとく換えてしまうことによってでした!
たとえば石がパンになるように命じてみなさいと誘惑されたとき、「人はパンだけで生きるのではない。神のみ口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と言うと、サタンは退きました。このときイエスの思考が変化したからです。
今度は「高いところから飛び降りてみなさい~神が守るかどうか見てみましょう」と言って誘ってきたときには、「神を試みてはいけない」(申命記)という聖書のみことばで悪魔の論理を反故(ほご)にしました。
なぜ聖書のことばだったのかというと聖書の言葉は宇宙を支配し、永遠を支配するみ言葉だからです。それは真理と呼ばれています。
聖書は神様があなたのために書かれた人生の案内書です。
ある人はこれを「思考調節器」と呼びました
聖書を読むときに、私たちの思いや考え方は日々変えられるからです。
「たとえどんなに疲れていても~聖書をちょいと、開いてごらん♪」という歌があるように、雰囲気や、思考が変わります。
毎日、読む箇所を決めて聖書を読みましょう。
時間があまったときも、手を伸ばして聖書を読みましょう。
昔、旧約聖書の掟に、着物の房に青い紐をつけるようにという教えがありました。青色は、聖書の世界では、天の高い空の色。神の栄光と支配、神のお考えのもとにある世界を意味します。それは神の支配する世界のことです。
毎日の生活で、仕事中ですとか、フとその青い紐が目に入るたびに、この世を支配するサタンの考え方によってではなく、もっと高い神のお考えの中に自分があることを思い出して忘れないためのアクセサリでした。
主の祈りを用いて祈ってみましょう。
Ⅰ.御名があがめられますように。
Ⅱ.御国が来ますように。みこころがなりますように。
Ⅲ.毎日の糧を与えて下さい。
Ⅳ.私たちに罪を犯すものを私たちが赦すように、私たちの罪をもお赦し下さい。
Ⅴ.誘惑に合わせず、悪魔からお救い下さい。
Ⅵ.国と力と栄とはいつまでも、あなたのものです。アーメン。
このように祈ることで、ご一緒に、この地上に、神の国の拡充がなされていくように祈ろうではありませんか。ハレルヤ☀
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。
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