「希望を告白する大胆な祈り」
安倍元首相の死に、深い驚きと悲しみを覚えました。
数秒前まで生きていた人が、次に瞬間にはもういないのですから、人の弱さと儚さをも感じました。日本のために祈りましょう。
これは世の終わりに向かう世界の兆候の一つのような気がします。
日本だけじゃなく、世界中で今回の事件には、驚いて悲しんでいます。
そんな状況の中で私たちにできることは何でしょうか。
ヘブル 4:16 へブル10:19-23.*1
どんな状況にも祈ることが出来る
16節「折にかなった助けを受けるために。」
残念ながら安部さんは世界中の祈りにも拘わらず、お亡くなりになりました。
しかし祈った祈りは決して無駄ではなかったと思います。
安倍さんは生き返ることがありませんでしたが、神様は私たちの叫びをお聞き下さったのです。
私たちはときどき、自分のようなものがこんな大事件のために祈っても・・だとか、国家のために祈っても‥‥と遠慮、いや自信のなさを覚えます。
そのため大胆な祈りをすることが出来ないのだと思います。
しかしみ言葉は「大胆に」とありますから、魂の救いやいろいろな助けや必要のためには遠慮なく祈り求めることを神は私たちに願っておられます。
旧約聖書のヨブ1:6-12に、サタンが神の集会にアクセスして、ヨブや神を訴えている様子が描かれています。ヨブ1:6-12*2
サタンとは堕落した元大天使長で、いまや私たちを日夜、なじったり、訴えたりする者です。
私たちが遠慮がちだったり、祈らなかったり、祈っても信じて祈れなかったりする理由は、この妨害するものにあります。
サタンは終わりの日まで、あと少しの間生きています。
そして、祈る者の耳元に「お前がか?!」と言って囁(ささや)きます。
「そんなお前みたいな信仰で?」といって侮辱してきます。
しかし、聖書は私たちにこう語っています。
イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちた。」ルカ 10:18
イエス様はサタンが天から投げ落とされるのを見た、と言われました。
かつてはサタンは神の集会にアクセスして、ヨブの時のように私たちを訴えたりすることはできましたが、今はもうできなくなりました。
その理由は古い神との契約の時代は終わって、もう敵は私たちを御前でなじったり上げ足を取ったりすることはできなくなったからです。
なぜなら人と神との古い契約:律法はイエスキリストの十字架によって成就され、完成され、今は信じる者(クリスチャン)は、主イエスの御血による贖いの契約下に置かれているからなのです。
逆に、今は私たち主イエスを信じて救いを頂いたものは、イエス様が十字架の上で流された贖いの血潮によって大胆に恵の御座にアクセスすることが出来るようになって、教会でも、自宅でも、オフィスでも、学校でも祈るならそこは恵の御座となるのです。
その恵の御座では、私たちは自由に神様に嘆願の祈りをすることが出来ます。
教会のビジョンや皆さんたちの願いや課題があります。
私たちは忘れやすいので、それらを紙に書いて目立つところに貼っておきましょう。毎日それを見て、答えられるまで祈るのです。
どのように祈ればいいのか
では、私たちはどのように祈ればいいのでしょうか。
前回も嘆願の祈りという事についてご一緒に考えました。
どのようにいのればいいのか。答えはとにかく祈るということでしたね。
seishonoarukurashi.hatenablog.com
古代の教会は主の祈りを使って日に三度祈っていたと言います。
a.その祈りはさんびから始まります。b.そして御国が来ますように。自分や家族のために、教会のために、救いのために。c.また日ごとの糧が与えられますように。d.さらに、失敗したこと~冷たい態度をとってしまったことや、悪い怒りや汚れた考えがあったら、潔めて下さるように。人間関係について祈れます。e.そして御血による守りを日々求めて予め備えて祈ってから出掛けると効果的です。f.そしてまた賛美で祈りは終わります。
それは、アスリートが、トラックの上を回って走ることと似ています。
途中中断するときは、あとからその続きから祈りだせます。
やがて、一周を走り終えたら、また最初から祈りだすことができます。
「日ごとの糧をお与えください」という具体的な祈りについて、何を祈ろうかと考えたところ、そうだ!CDプレーヤが壊れたので、そのために祈りました。
その後、頭の中ではケーズデンキに行くつもりでしたが、途中あまり行かないディスカウントのショップに立ち寄ってみると、まだ新しくて半値の良いのがあるではありませんか。
家に戻って買ったばかりのそのプレーヤを見ていると、それは以前からケーズデンキで欲しかったものだったことに気づきました。思わず、主を賛美して、手を叩いて喜びました。感謝でした。
祈れない理由
先日、ユーチューブで懐かしい趙先生のメッセージを拝聴しました。
そのお話の中で、趙先生は、クリスチャンがなかなか祈れない理由は、同じ文言ばかりで祈ることにためらいを感じるからだと言っていました。
しかし、ちょうどご飯が毎日同じ白い飯とみそ汁と、でもけっして飽きないのと同じように、たとえ繰り返し繰り返し同じ言葉を使ってでもいいから祈りなさいと教えていました。
良い言葉づかいで、美しい言葉、宗教的なことば?でかっこよく祈ろうとすることよりも、主の前に多くの時間を費やすことのほうが大事で、もし祈る言葉がなくなったら、ただ黙ってでもいいからそのまま祈りの中で時を過ごしてくださいと奨めていました。
信徒は一日一時間、牧師は三時間と言いますが、それは無理ですよと私たちは思います。
しかし一日一時間は祈るぞ!という願いさえがあれば、たとえ細切れでもいいから、一日の中で祈る時間を見つけて祈ることが出来るのです。
やってみましょう。
なぜ祈るのか
信仰生活は、霊の戦いです。
悪魔は生きているからです。
劣等感、失望、疑い、不信仰、悪い思いなどなどを吹き込んできます。
神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。コロサイ 1:13
イエス様を信じて救われるということは、悪魔の支配から救い出されて、神の支配下に入るという事です。
趙先生はそのメッセージの終わりのところで、こんなことを語っていました。
私はその言葉にドキッとしました。
祈る人は神と共に過ごす人。
しかし祈らない人は、悪魔と過ごしている人です。
悪魔は私たちを訴え、劣等感を吹き込み、さらには祈ろうとすると必ず全力でその祈りをやめさせようとして働きかけてきます。
どうすればいいのでしょうか。
み言葉を信じて、ただ大胆に神の前に時を過ごすことによってです。
そうすることによって、信じる者の心の目ははっきりと見えてくるようになって、神の御心は何かが分かるようになり、またその願いの中に毎日を進んでいこうとするような前向きな前進的な歩みへと変えられます。
主に祈ることで希望が与えられる
終わりの時代には、このように毎年毎年いろいろなことが起こって、不安や恐れや疑いがますます増大していきます。聖書はそのことを明確に預言しています。
しかしイエス様を信じた人は、十字架の上で主が流された贖いの御血によって、どんなときにも大胆に恵の御座に近づけるのです。
へブル10:23をもう一度読んでみましょう。
「主の約束は真実なのだから、私たちの告白する望みを揺るぐことなくしっかりと持ち続けよう。」英訳NIV.
神様は私たちのようなものをも決して見放さず、ダメ人間だとか、ダメなやつとかは言わないで、最後まで希望を捨てないで、望みをしっかりと持ち続けなさいと励まして下さっています。
日本のために祈りましょう。政治家のために祈りましょう。
身の回りの人たちの救いのために。
また、希望をもって、大胆に日々、祈り続けて、希望を言い表していきましょう。
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。
*1:4:16だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。10:19-23.10:19兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、 10:20彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、 10:21さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、 10:22心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。 10:23また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、
*2:1:6ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。 1:7主は言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。 1:8主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。 1:9サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。 1:10あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。 1:11しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。 1:12主はサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンは主の前から出て行った。