聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「試みに打ち勝つ」

 今日は、ご一緒に、主の祈りの第五番目、私たちを誘惑に遭わせないで、悪魔からお救い下さいという祈りについて、学びましょう。

エペソ6章10節~18節*1

試みに打ち勝つために、または、誘惑に遭わせないで悪魔からお救い下さい。

この主の祈りの「試みに打ち勝つこと」と関連して、聖書は私たちに「霊の戦い」という事を教えています。

今回は、エペソ書の6章から「霊の戦い」についての幾つかを見ていきましょう。

真理の帯

14節に「真理の帯」とあります。

古代ローマの兵士は腰に革製の前掛けをしていました。

腰のあたりにある人間の臓器は、消化器官、排せつ器官などがあります。

食物を吸収して消化していく大切な器官です。

エス様を信じる人は、聖書のみ言葉を毎日食べて、霊的な命と力を戴いて生きていくようにされています。

腰は要です。

この世を旅しているうちに、いつのまにか、偽りの父であるサタンによって惑わされて、ちょうどエバが惑わされたように、真理であるみ言葉が、あたかも偽りであったり、間違いであったり、サタンのいう事が正しいかのように惑わされることがあります。

しかし、聖書を読むとき、自分がいつの間にかこの世の価値観に堕していたことに気づかされます。

このような惑わしに対抗するには、日々、あたらしく霊の糧なるみことばを摂取していく以外にはありません。

みことばを毎日読みましょう。

神様は、信じる者が毎日聖書を読むことによって、思考と思想が悪しき者の惑わしから守られるようにしてくださっているのです。

正義の胸当て

二番目には正義の胸当てがあります。

胸には最も大事な心臓や肺などの命の器官が備わっています。

サタンは生きていて、時々私たちの思いの中に悪い考えを吹き入れてきます。

失望、落胆、恐れ、悪い考えなどです。

信じる者にとって正義の胸当てとは、イエス様の十字架の血による義以外にはありません。

血潮は私たちの思いを悪から潔め、また悪しき思いからあらかじめ守って下さいます。

血潮を私の胸に注いでください。悪い考えから、私を潔め、またお守りくださいと言ってあらかじめ祈って備えることが出来ます。ぜひ、やってみて下さい。

平和の備えの靴

三番目に書かれてあるのは「平和の福音の備えの靴」です。

ローマの兵士は、敵と一対一で戦うために、しっかりとした足首を覆う軍靴を履いていました。

戦闘の時、よけたり、走ったり、しっかりと立つなどの様々な状況を想定して作られていたと思われます。

平和の福音の「備え」。

「備え」という原語には、成し遂げられて準備されたものという意味があります。

それは私たちのために聖書中にたくさんある、祝福のお約束のみことばでもあると信じます。

その一つ一つが、信じる者のために神が私たちのために備えておいてくださっているものです。

聖書の中に書かれてある、約束のみことばを見つけたならば、それを握って、答えられるまで祈り続けるために、神様があらかじめ備えて下さっているものです。

新約聖書のエペソ書には、「教会はキリストの体であって、一切のものを一切のものによって満たすお方の満ち満ちている場所」だと書かれてあります。エペソ1:23.

個人的に必要なものについてや、必要な知恵や、知識や、お導きなど。癒しについても、魂の救いのために答えを得るまで祈りましょう。

信仰の大盾

四つ目に書かれてあるのは、信仰の大盾です。

それは兵士の全身がすっぽりと覆われるような大きさです。

先日、通読しているとみ言葉が与えられました。

 46:3ヤコブの家よ、
イスラエルの家の残ったすべての者よ、
生れ出た時から、わたしに負われ、
胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、
わたしに聞け。
46:4わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。
イザヤ書 46:3,4.

振り返ってみると、小さいころからいろいろなことがありました。

そして、その当座はもちろん苦しく思えたことも、神様が最後にはすべて最善に変えて下さってきたことがわかるのです。つらい時も、神様は私を背負って下さってこられたし、また、白髪になった今も、主は続けてこれからも責任をもって背負い続けて下さると約束してくださっています!

ヤーフェ・ニシ(主は我が勝利の旗)なる神の勝利の軍旗のもとに自分があるのならば、何物をも恐れる必要はありません。

恐れる思いは締め出さなければなりません。

信仰をもって前進していこうとすると敵が妨害してくることがあるでしょう。

しかし、どんなときも、信じる私たちは勝利者です。

ローマ8:37には、勝利者以上のものであると約束されています。

救いのかぶと、ヘルメット。そして剣

最初の腰の装備と重複しますが、信仰の霊的な戦いに有効なのは、神のみことばです。

それが信じる者の権威と力なのです。

心がぐらつくような時。確信がないとき。

なにかのことで自分が動揺しているような時には、ぜひ、時間をとって聖書を開いて静かな時をもって見て下さい。

個人的なみ言葉の時間をもつとき、私たちは主の臨在に与ることが出来、生きた聖書のみことばで思いと心が変えられることを経験します。

主はみことばで信じる私たちを具体的に支えてくださいます。

とりなしの祈り

そして、最後に18節に書かれてあることですが、これは信仰の武具ではないのでしょうか。

6:18絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

実は、この18節こそが、信仰の霊の戦いの本質の部分です。

これまで、使徒パウロがローマ兵士の装備になぞらえて書いてきたのは、クリスチャンである私たちが、実は祈りという務めに参戦するために書いてきたものであると思います。

すなわち、もし、「信仰の祈り」をするためにクリスチャンが立ち上がる時、必ずサタンはその祈りをやめさせようとして、あらゆる方法を使って、祈りを阻止しようとしてくるからです。

みことばを日々咀嚼して(前掛け)、御血による勝利を宣言しつつ心を思いを覆って戴いて(義なる胸当て)、あらゆる十全の備えのみことばを感謝して掴み、主に嘆願し願い祈り(平和の備えの靴)、ヤーウェ・ニシの守りに与りつつ(大盾)、みことばにより支えられ(ヘルメットと剣)

とりなし祈る戦いに参戦するのです

モーセ手をさげればアマレク勝てり。

モーセ手をあげればイスラエル勝てり!

闘いを決したのはモーセの祈りと両側からその祈りを支えるアロンとフルの祈りでした!どうか祈る人を支えるために一緒に祈る兵士が必要です。

どうか、祈る牧師や兄姉らを、ひとりだけ前線に残しておいて、あとは退くようなことはしないように!

サタンは生きています。

疲れだとか、問題だとか、多忙だとか、なんとなく祈れないだとか。

お仕事だとか、時間的な都合がそれぞれあるでしょうけど、オンラインなどを駆使してやりましょう。

終日の午前中とかも、あるいは夜がいいなら8時過ぎとか方法はありますね。

いろんな方法で祈ろうとして立ち上がろうとするクリスチャンを狙い撃ちして、せっかく立ち上がった祈りの兵士を攻撃してきます。

しかし、どうかまず臨在に入るまで、臨在に与るまで祈りましょう。

真の祈りはそれからです。

忍耐の限りを尽くし、また祈りなさいとあります。

それは祈ることが、ただ楽しいばかりではないということを示しています。

なかなか祈れない、逆に疲れてくるなんてこともあります。

しかし、祈り続けるとき、確かに新しい力がやってきます。

そして、祈りぬいたときに、約束の祝福が来ると信じます。

そして、ここに「どんなときも御霊によって祈りなさい」とありますね。

これは異言の祈りです

この備えられた「霊の祈り」によって信じる者たちは新しい次元、戦いの次元の祈りに入ることが出来ます。

考えて祈る祈りには限界があります。

どう祈っていいか分からなくなるのです。

パパパとかブブブとか、バカにしないで、どうぞ導かれるまま続けてやってみて下さい。5分が10分になり、気づくと30分になり、次第に霊の次元に入っていきます。

そして、そのあと何かが起こるのを見ることでしょう。

どうぞ皆さん、霊のことば、異言で祈ることをやめたりしないで、異言で祈り続けましょう。

主の導きは新しくされ、魂の救いが始まり、預言を語り、主のみ声を聴くようになることでしょう。

祈りの兵士になる召しコーリングにお応えする。攻撃は最大の防御なり。

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:6:10最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 6:11悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 6:12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。 6:13それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。 6:14すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 6:15平和の福音の備えを足にはき、 6:16その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 6:17また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 6:18絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。