聖書のある暮らし

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「恐れと劣等感からの解放」

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主の将軍ヨシュア

皆さんこんにちは。

庭の家チャペルの牧師をしております伊藤と申します。

今回は旧約聖書ネヘミヤ記から、「恐れと劣等感からの解放」というテーマでご一緒に聖書のみことばを学びましょう。

どこででもラッパの音を聞いたなら、そこにいるわれわれの所に集まってほしい。われわれの神はわれわれのために戦われます」。旧約聖書ネヘミヤ記4:20.

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私たちの思いを消極的にさせる感情に、不安や恐れがあります。

挫折感や、どうせまたダメだろうという敗北感、敗北意識です。

そしてそのような敗北意識を持っているのなら、私たちは、神様が私たちに望んでおられること、私たちに与えようとされている祝福を妨げてしまうことがあると思います。

同じく旧約聖書申命記にもそのことが書かれてあります。

神様はイスラエル人に約束の地、カナンの地を与えると言われたのですが、彼らは、自分たちにはできないと言って、神が与えようとされていた祝福を拒んだのです。

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ダビデゴリアテ

彼らは神のお約束よりも、攻め入ろうとしていた国の人たちの防備や、難しさばかり目を止めて、み言葉を信じようとしませんでした。

 

そして今回のネヘミヤ記に同じことが書かれてあるのです。

4:1サンバラテはわれわれが城壁を築くのを聞いて怒り、大いに憤ってユダヤ人をあざけった。 4:2彼はその兄弟たちおよびサマリヤの兵隊の前で語って言った、「この弱々しいユダヤ人は何をしているのか。自分で再興しようとするのか。犠牲をささげようとするのか。一日で事を終えようとするのか。塵塚の中の石はすでに焼けているのに、これを取りだして生かそうとするのか」。 4:3またアンモンびとトビヤは、彼のかたわらにいて言った、「そうだ、彼らの築いている城壁は、きつね一匹が上ってもくずれるであろう」と。ネヘミヤ記 4:1~3.

紀元前6世紀ごろエルサレムはバビロンによって破壊され、神殿も城壁も粉々にされてしまいました。それから七十年後、ゼルバベルという総督が現れて、神殿の再建が始まり、そのあとエズラ、ネヘミヤといった人たちが今度は崩れたままだった城壁の再建に着手します。

しかし、そのとき、そばで見ていた外国人たちが、ネヘミヤたちを嘲ったのがこの個所です。

「哀れな奴ら」「キツネ一匹、城壁に上るだけですぐ崩れるさ」と侮辱されたのです。

人をなじる者サタン

聖書には、時々、サタンという堕落した天使が出てきます。その名前の由来は「なじる者」「訴える者」という意味です。サタンは私たちの思いの中に、蔑(さげす)むような、落胆してしまうような思いを、私たちの心の中に投げかけてくるのです。この個所に出てくるトビヤ、サヌバラテという人物はサタンの代理人みたいな人たちです。彼らは散々、この良い事業=都の再建に努力し、奮闘しようとしていたネヘミヤたちを馬鹿にしました。

エルサレム、そして教会

先週もエルサレムについて分かち合いましたが、ここにクリスチャンたちへの教訓があります。

彼に言われた、「あなたが、わたしの前に願った祈と願いとを聞いた。わたしはあなたが建てたこの宮を聖別して、わたしの名を永久にそこに置く。わたしの目と、わたしの心は常にそこにあるであろう。Ⅰ列王記9:3.

神様は、その御名をとこしえに聖なる都エルサレムに置くと約束されました。その都をネヘミヤたちが再建し始めたとき、敵が立ち上がって妨害してきたように、今もサタンは生きていて、教会が魂の救いのために本気になって立ち上がる時、私たちのしようとする小さな、しかし祈りを込めた救霊の働きを、嘲り、蔑み、またはそのような思いを、私たちの思いの中に吹き入れて、この良い働きを妨害してくるという事実です。「そんなちっぽけな伝道じゃだれも救われないよ」。「貧弱なやり方じゃあないか(笑い)」。「今までだれも導いたことなんかないじゃないか。これからも駄目さ」。

私たちの教会のこれまでの歩み

私たちこれまで、いろんなところを通ってきました。40年間のイスラエル人が歩んだ荒野のようです。そして、しばしば私たちは、以前の繁栄を今の小さな教会と比較しがちではないか、ということです。

しかしそれは間違いだということに気づかされました。

2:1ダリヨス王の二年の七月二十一日に、主の言葉が預言者ハガイに臨んだ、 2:2「シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベルと、ヨザダクの子、大祭司ヨシュア、および残りのすべての民に告げて言え、 2:3『あなたがた残りの者のうち、以前の栄光に輝く主の家を見た者はだれか。あなたがたは今、この状態をどう思うか。これはあなたがたの目には、無にひとしいではないか。 2:4主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。 2:5これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。 2:6万軍の主はこう言われる、しばらくして、いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわいた地とを震う。 2:7わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。 2:8銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍の主は言われる。 2:9主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこの所に繁栄を与えると、万軍の主は言われる』」。ハガイ書 2:1-9.

4節に、仕事に取り掛かれ、わたしがあなたがたともにいるからだ、とあります。トビヤ、サヌバラテを通してネヘミヤたちの城壁の再建という事業に対してサタンは失望落胆を持ち掛けてきました。しかし、その仕事は王なる主の事業でした。彼らの蔑(さげす)みはほかならぬ、イエス様に対する攻撃でした。

この戦いは主の戦いだ

そして、ネヘミヤは4:20で、この戦いは主の戦いだと言っているのです。

主が私たちのために戦ってくださる、と言っているのです。

サタンが皆さんの心に、劣等感、失望、疑い、落胆、そして恐れや挫折感を植え付けてくるかもしれませんが、それは主が下さったものではない、という事に気づかなければなりません。

主が私たちに下さるものは何でしょうか。

それは希望です。「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさると、万軍の主は仰せられる9節、とあります。

K牧師のお励ましの預言

1:6「われわれの神、主はホレブにおいて、われわれに言われた、『あなたがたはすでに久しく、この山にとどまっていたが、 1:7身をめぐらして道に進み、アモリびとの山地に行き、その近隣のすべての所、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海べ、カナンびとの地、またレバノンに行き、大川ユフラテにまで行きなさい。申命記 1:6,7.

このみ言葉を覚えている方はいるでしょうか。

このみ言葉は、私たちの教会が試練にあっている時、その後、K牧師さんがこられて、突然、講壇上で、主から示されたみ言葉でした。

お話の時間の前に賛美の歌を歌うときがあって、祈りがあって、その時、突然、ポーン!!!と、講壇の上に腰かけていたK牧師に主が、このみことばを示されたことがあったのです。K牧師に臨まれたレーマでした。当のK牧師ご自身が驚いていたくらいでした。「身をめぐらして」と訳されているところは、新改訳聖書では「向きを変えて」となっています。

正直言って、なぜこのみ言葉だったのか、その時はまだわかりませんでした。

私はこの教会のこれまでを振り返る時に、かつては繁栄していた時代を過ぎて、今は、その後の一定の時を過ごしているのだな、と考えていました。

でも、そうではなかったということが、今回、これらのいくつかのみことばのお約束によって、気づかされたのです。主はこの教会を通して、まだまだこの町の人たちに、救いのご計画を続けて持っておられたということです!

この教会の歴史~なんども思い起こされるみ言葉とあるイメージ

この教会がどのようにして始まったのかについて、少しだけお話ししましょう。

いろいろな所を通って、潜ってきましたが、特にお話しておかなければいけないことは、このハガイ書の2章5節です。「あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな」です。

今よりまだ小さい教会のときでした。当時は今の市民交流プラザさいわいにあった福祉会館時代です。毎週、だれにでもその当時はお部屋を、貸して頂けた時代でした。その場所でのこと、水曜の夜に祈祷会というのがあって、そこで、6畳くらいでしょうか。狭い部屋に何人もすし詰め状態で、入って、10人くらい~8人くらいだったでしょうか。それはそれは熱心な祈りが毎週捧げられていたことがありました。しまいには畳を叩いて、叫んで、祈ったものでした。

そして、教えられていることは、気づかされていることは、その時のあの「祈り」がこの教会の原点だったということです。

まだ異言も与えられていない時だったのに、熱心に、大声で、声がかれるほど祈りましたね。このハガイ書のみことばと、当時の様子が、昨年のオンラインながら、祈祷会を再開するようになって、実は、なんども、なんども私の脳裏によみがえってくるのです。

一つの時代は過ぎました。しかし、それで終わりではなかったのです。かつてあった様々な出来事はひとつの通過点にしか過ぎなかったということをです。

主は言われます。「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさると万軍の主は仰せられる」。

みことばのお約束が実現するための条件 

しかしそのためには条件があります。

それは、トビヤ、サヌバラテの蔑みや劣等感を植え付けようとして働きかけてくるサタンの働きに耳を傾けることなく、救霊の働きに努めるという事です。

このネヘミヤたちは敵の蔑みに対してどうしたでしょうか。

彼らは敵の攻撃に備えつつも、城壁再建の仕事を止めなかったんですね。

ネヘミヤ記4章はそのことを私たちに教えています。

敵はあざ笑うでしょう。「キツネさんが、一匹上っただけでそんな貧弱な城壁は崩れるさ」と。しかし、ネヘミヤのように、この戦いは主の戦い。主が私たちのために戦ってくださると言って、勝利を告白しましょう。

劣等感よ去れ!イエスキリストの御名によって挫折感をもたらすものよ、ナザレのイエスの御名によって出ていけ!恐れの霊よ、出ていけ! 

お祈りしましょう。

 

 

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