聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「いのちの糧なるイエス様」

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今日は、聖書に書かれてあるイエス様を食べるとはどういうことなのかについてご一緒に学びましょう。

 

ヨハネ6:47-56*1.

エス様は心の糧

私たちは毎日を食べて生活や仕事に必要な力を得て一日を過ごします。食べないと、途中力がなくなって、ふらふらしてしまうことがありますね。

エス様はご自分のことを天から下ってきたパンだと言われました。

また、肉であるとも言われました。

そしてイエス様を食べる者は、永遠に生きるともいわれました。

私たちはイエス様を毎日食べることで、霊の力を得、永遠を生きる者にふさわしい力を得ることが出来るのです。

そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。ヨハネ 1:14

この聖書の記事には、エス様が恵とまことが満ちておられたと書かれてあります。恵とは生きるための力、まことはいつまでも変わらないことですね。エス様は私たちにとって、永遠に生きるための糧となられたと言っているのです。

ではどうしたら、私たちは、永遠の糧であるイエス様を、毎日食べて飲むことで霊の力*2を得ることが出来るのでしょうか。

それは私たちが、旧約聖書の創世記から黙示録までの全体を通して読むことによってです。私たちは聖書を読むことを通して霊の糧なるイエス様を毎日戴くことができます。そして、そんな人は、56節にもあるように、毎日、イエス様の内にとどまることができるようになるのです。

エス様を食べて、イエス様にとどまるとどうなるか

15:3あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 15:4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。ヨハネ 15:3,4

Ⅰ.悪いことをやめる力が与えられる

傍線下に「もうきよいのです」とあります。聖書を読むと、心の中に横たわっている神様に従いたくない悪い考えや、怠け心や、旧約聖書に出てくるヨナのように、反対方向に行こうとしていた古い自分など、そういったいわば不従順や、不信仰といった姿が見えてくるようになります。気づかされます。

119:9若い人はどうしておのが道を
清く保つことができるでしょうか。
み言葉にしたがって、
それを守るよりほかにありません。
119:10わたしは心をつくしてあなたを尋ね求めます。
わたしをあなたの戒めから
迷い出させないでください。
119:11わたしはあなたにむかって
罪を犯すことのないように、
心のうちにみ言葉をたくわえました。
119:12あなたはほむべきかな、主よ、
あなたの定めをわたしに教えてください。詩篇 119:9
-12.

 それはイエス様を信じる者の心に内に与えられた聖霊さまのお働きによるものです。聖霊さまは、信じる人の心のうちに働きかけて下さって、ひそかに持っていた御心にかなわない思いがあることを悟らせて下さって、代わりに御心にかなう義の道:幸福な道へと導いてくださるのです。

Ⅱ. 癒しが与えられます。

病気の根源は、聖書では初めの人間アダムとエバ以来からとしています。アダムとエバが禁断の木の実を食べた瞬間から人間の世界には、原罪(自分の好きなようにするという誤った我意)と病が入り込んだのです。

私たち人間は死ぬとき大概は病気になります。お年寄りもガンや心疾患などで最期を迎える方が多くあります。

エスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。マルコ5:34.

この記事は新約聖書の中でイエスキリストが長血を患う女の人に、かけられた優しい癒しの約束のみことばです。今もイエス様は生きていて、聖書に書かれてある通りに病気の人を癒されます。これは永遠不変の約束ごとでもあります。

この癒された女の方は、イエス様がおいでになることを耳にして以来、ずっと自分はイエス様によって癒していただけると信じて、肯定的に口で告白し続けていた人です。彼女のみことばに対する期待と信仰で、奇蹟が現わされて、婦人は瞬間的に癒されました。

このように、私たちも真(まこと)の食物なるイエス様を食べる=み言葉を定期的に読み、そこに認(したた)められている癒しのお約束について黙想するとき、このみことばは天地万物を造られた方のみことばなので、癒しのお力が働きだすのです。み言葉のお約束通り、イエス様を信じる人たちは健康になっていくのです。

今すぐに癒されないようでも、癒されないのではなく、癒されつつあるという事です

エス様の変わらないお優しい力ある約束のみことばは、なんでしたか?

「病気にかからず健やかでいなさい」です。それが主の永遠に変わらないみ心なのです。それは永遠に変わらないみ心です。アーメン。アーメン。

Ⅲ.知恵が与えられる

またイエス様を食べて生活していくとき、どんなことが起こるでしょうか。

とかく私たちは生まれながら、慢心しやすいものです。驕りやすい心の姿勢があります。大丈夫さ、という驕った思いだと、時々、危ない目にあいます。自己の経験やプライドがあります。

しかしイエス様を神と認めて信じる人は、自分の経験や一般の情報だけではなく、聖書を通読し、そこに書かれてあることについて思いを巡すことによって、自分の悟りではなく、天からの知恵によって歩むことが出来るようになるのです。

119:130み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇 119:130.

旧約聖書に登場するヨセフという人は古代エジプトの時代に、実質、時の王に等しい地位にプロモートされました。その理由はヨセフは自分の悟りに頼らず、神様の御心:いわば聖書に信頼したからです。

彼の判断力や知恵、知識の右に出る人は、大国エジプトだったにもかかわらず、どこにもいませんでした。自分の判断力や知恵によって、道を開こうとはしないで、どんなときにも、神様のご計画がなることを期待して、祈りつつ、待つ人でした。私たちも、どうぞ自分の悟りによって道を開こうとせず、みことばを通して聖霊さまが私たちに下さる知恵、理解力によって困難と思える状況をも進んでいくようにいたしましょう。

Ⅳ.成長するようになる

私たちは、概して悪意とか、多少のごまかしだとか、偽善があったり、裁判官みたいになって誰かを高いところから批判しやすいものです。そこにあるのは成長ではなく、後退です

2:1だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、 2:2今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。第一ペテロ 2:1,2.

旧約聖書に、反芻(はんすう)する動物について書かれてある箇所があります。消化が良いわけです。幸いなことにクリスチャンは、時間を決めて、聖書を規則正しく読んで、読むだけではなく、そこに書かれてあることについて反芻する動物のように思いを巡らせているうちに、聖書を書かれた聖霊さまが、真の糧飲み物であるイエス様を私たちに分かち合ってくださいます。

このような食べ物はどこを探しても見つかりません。

ただ天から下られたイエス様だけが永遠に続く食物なのです。

エス様に与りましょう。 

どうぞ、時間を決めて、命の糧であるイエス様。みことばを読むようにして、主からの祝福に与りましょう。

空き時間があるときにも、聖書に手を伸ばして読むようにしましょう。

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:6:47よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。 6:48わたしは命のパンである。 6:49あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。 6:50しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。 6:51わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

6:52そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。 6:53エスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。 6:54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 6:55わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 6:56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。

*2:聖書では霊とは人間の構造上のもっとも中心部を占める存在のことをいう。その外側は魂で次に肉体の順番の三構造で造られているとある