「心へりくだった人の祝福」
今回は聖書から「へりくだった人の祝福」というテーマでお話をしたいと思います。
特に、旧約聖書に出てくる二人の王さまの生涯を比較しながら、へりくだるとはどういうことなのかご一緒に学びましょう。
ルカ2:13,14.*1
羊飼いたちに伝えられた主のご降誕
イエスキリストがご降誕されたとき、 天使らとその軍勢たちが現れて、神を賛美したと書かれています。
天使らは「いと高き所に栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と歌いました。
御心にかなう人たちとは、神が喜ばれる人たちということです。
イエスキリストのご降誕の最初の知らせを、まず最初に受けたのが、当時羊飼いという賤しい仕事についていると思われていた人たちでした。
これは驚きです。
「神の御心にかなう人たち」とは、神の前にも人の前にも自分には誇れるところのない者であることを自覚している人たちのことではないでしょうか。
旧約聖書中の二人の王の比較
アサ王とヨシャパテ王。
二人とも善王でしたが、少しの違いがあります。
しかしそれは大きな違いでもありました。
14:11時にアサはその神、主に向かって呼ばわって言った、「主よ、力のある者を助けることも、力のない者を助けることも、あなたにおいては異なることはありません。われわれの神、主よ、われわれをお助けください。われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当ります。主よ、あなたはわれわれの神です。どうぞ人をあなたに勝たせないでください」。歴代誌第二 14:11,12
時に、攻撃してくる敵の兵力100万。
迎え撃つのは50万台の兵力でした。
国家存亡の大ピンチに、アサ王がとった方策は、主のお力に頼ることでした。
勝ったのはアサ王たちでした。
そして、その結果、国は経済的にも豊かになり、国の安泰は続きました。
この勝利はアサたちに困難があるときには、祈ることの大切さを教えました。
信仰生活の肝要は、私たちの霊が恵まれることです。それが祈りです。
困難は私たちを祈りへ誘(いざな)います。
私たちは、毎日が平凡だと、あまり祈りません。
おかしくなってしまったアサ王
しかし善王アサでしたが、途中からおかしくなってしまいました。
Ⅱ歴代誌16章1~4節*2
あれほど目に見えない神を信頼する人が、いつの間にか、神に信頼を寄せない頑固な老人になってしまったのです。
その原因が16:1です。
「アサの治世36年」とあります。
なんと36年もの間に亘る国家の安泰に、アサたちは、神に信頼することをやめてしまったのです。
祈らないクリスチャンの姿がここにあります。
最後のラストチャンスをも、愛なる神は恵の神はお与えくださいました。
しかしアサは、そんなまたとないチャンスをも蹴ってしまいました。
彼は病気になりました。12節。
そこには神様の憐みが秘められていました。
病気の目的はアサの霊的リバイバルだったのです。
アサが高ぶりを捨ててもう一度若いころのように、謙遜に主を遜って求めるようになるためのチャンスでした。
このように私たちの歩みに時折訪れる困難には、実は、神様の祝福が籠められているのです。
ヨシャパテの信仰
二代目の息子ヨシャパテ王の時にも、危機的な状況は訪れました。
おびただしい大軍が攻めてきたのです。20:2
ヨシャパテはこのとき、ただひらすら主を祈り求めました。
ヨシャパテはこう祈りました。
「このおびただしい大軍にあたる力は、私達にはありません。私たちはどうすればよいかわかりません。ただ主に目を注ぐのみです。」12節
解決策はありませんでした。
ただ主に目を注ぐのみでした。
しかし、この危機的な状況も、実は、そののち、神様がお与えて下さる祝福のチャンス、成長のチャンスだったことがわかります。
敵の計略に対抗する
ヨシャパテらイスラエルが住んでいたパレスチナの地は、もともと神がご主権をもって与えて下さった土地です。敵の目論見は、そこからイスラエルを追い払うことでした。
私たち信じる者に、父なる神さまが持っておられる御心は~次のようなものです。
魂に幸いを得ているように、あらゆる面で幸いを得、かつ健やかであること。(聖書)
これが神様の御心です。
万軍の主はこう仰せられる。『あなたがたにさわる者は、彼の目の玉にさわるのである』ゼカリヤ書 2:8
たとえどのような問題であれ、主が愛する息子娘らにくださった良いものを奪い去ろうとしてくるものは、必ず主のみ心に触れるものですから、私たちはそんなときには祈りをもって戦わなければなりません。
ヨシャパテたちの勝利の方程式に学ぶ
まず預言者が立ち上がりました。14節
また、それから転じて20節を見るとヨシャパテがこう言っています。
「主を信じ、預言者を信じ、勝利を得なさい!」
当時、預言者の口から出てきた言葉は、御心、神のみことばですね。
信じる者が困難の中で勝利する方法はみことばなのです。
だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。ヤコブ 1:21
否定的な告白に気を付ける
私たちはとかく否定的なものの良い方が多いようです。
「だめだこりゃ」、「まいったなもう」とか、気を付けて自分を観察すると意外に否定的なものの言い方をしていることがあるのです。
勝利の方程式Ⅰ
みことばに立つ
聖書には、約32,500の祝福の約束のみことばがあると言われています。
私たちは思いを変えるために、み言葉を暗記しなければなりません。
御霊の与える剣のように、フィットした、必要なみ言葉で心を思いを支えるためです。み言葉の養生も必要です。それは平素からみ言葉に親しむことを意味します。この世は、否定的な情報が多いからです!
口で告白しましょう。
朝起きて~今日、良いことが起こる。
奇蹟が起こる。
魂が救われる。
洗礼者が起こされる。
必要が満たされる。
健康が祝され、癒される!
ヨシャパテたちの勝利の様が書かれていますが、これでは敵はたまったものではありませんね。16,17節です。
これでは筋書きどおりのドラマのようなものです。
信仰者の勝利は必定なのです。勝利は確定しているのです。ハレルヤ!!
勝利の方程式Ⅱ
21,22節をみて見ましょう。
彼はまた民と相談して人々を任命し、聖なる飾りを着けて軍勢の前に進ませ、主に向かって歌をうたい、かつさんびさせ、
「主に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と言わせた。 20:22そして彼らが歌をうたい、さんびし始めた時、主は伏兵を設け、かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々に向かわせられたので、彼らは打ち敗られた。
賛美は祈りでもあります。
デボーションの時も賛美をしてみましょう。
知っている賛美の歌を歌いたくなったときは、祈りの途中でも歌うと良いです。祈りやすくなることがありますからね。
大概の賛美の歌は、主をたたえる信仰と霊感から生まれていますから祈りでもあるのです。
では、どうして賛美は勝利の秘訣なのでしょう。
主は賛美の上に座しておられるお方だからです。
あらゆる事象のあらゆる課題の一番上にいますお方は、ただ賛美を受けるにふさわしいお方です。アーメンですね。どんなときにもです。
ヨシャパテたちは、誰を、どなたを賛美するかによって勝敗を決めました。
この時の彼らの抱えていた現状はどうでしたか?
敵は圧倒的でしたし、難しい状況と言うよりか、解決する、癒される、与えられるなどということは、あり得ないような状況だったのです。
信仰生活に適用しよう
信じる者には、与えられるべきものが、勝ち取るべきもの、解決できること、癒されること、必要が満たされるべきことが、たくさんたくさんあると信じます。
24,25節をみてください。
敵が投げ捨てていったものは、本来は、神の子らが所有すべき沢山の良いものだったからです。
ほんとうは、神の子らが所有すべきはずだったもののあらゆる良いものを、逆に彼らが盗んでいたのです
このように崇められるべきお方が、まず第一に崇められていくときに、従うべきお方にまず第一に従うとき、勝利を信じ、み言葉を告白し、一切の称賛をお受けになるべきお方に賛美をお返しするなら、霊の世界で異変が起こることを信じるのです。
霊の世界で勝ちを決めるとき、教会が所有すべき、神の子らが所有すべきはずだったものの数々が戻ってくる、与えられると信じるのです。
霊だけが恵まれて、必要なことにも事欠き、健康に優れないということはありえないはずです。
み言葉に基づき、霊で祈り、あがめられるべきお方をまず第一に崇め礼拝を捧げ、賛美するなら、そして霊の次元で、悪しき者に向かってイエスの御名によって「私の祝福を返しなさい!」と命じるとき、天の父なる神さまは必ずわたしたちに、良いものをお返しくださる。与えて下さるのです。ハレルヤ!
謙遜とは
アサ王は、最初はよかったんですが、永く続く繁栄と安穏とした中で、主を求めることを忘れ、彼の魂は高ぶりの罪に陥りました。
そして、神様から届いた祝福のパッケージのすべてを受け損ねました。
しかし、息子のヨシャパテは、不完全な人でしたが、神様の前に基本的に謙遜な人だったと言えます。
私たちも、主の前に謙遜なものになりましょう。
謙遜な人とは困難な状況にある時、そこに父なる神様からの祝福も隠れていることを忘れない人です。
そして、主からの助けを一心に求める人のことです。
困難な時はもちろんのこと、右か左か、些細なことで迷うことにも祈りつつ進まれますように。
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。
*1: 2:13するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
*2:16:1アサの治世の三十六年にイスラエルの王バアシャはユダに攻め上り、ユダの王アサの所にだれをも出入りさせないためにラマを築いた。 16:2そこでアサは主の宮と王の家の宝蔵から金銀を取り出し、ダマスコに住んでいるスリヤの王ベネハダデに贈って言った、 16:3「わたしの父とあなたの父の間のように、わたしとあなたの間に同盟を結びましょう。わたしはあなたに金銀を贈ります。行って、あなたとイスラエルの王バアシャとの同盟を破り、彼をわたしから撤退させてください」。 16:4ベネハダデはアサ王の言うことを聞き、自分の軍勢の長たちをつかわしてイスラエルの町々を攻め、イヨンとダンとアベル・マイムおよびナフタリのすべての倉の町を撃った。