この詩篇は、メシヤ預言といわれている一篇で、イエスキリストについて語られている個所です。
弟子のペテロは、この詩篇を引用して、かのペンテコステの朝、イエスキリストを人々に伝えました。
暗がりの胎の中から
この詩篇全体、メシヤ預言ですが、聖霊様はこのみ言葉を通して、私たち一人ひとりにも、語っておられる個所でもあります。
「主はあなたの力あるつえをシオンから出される。
あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。」 2節。
「あなた」とはイエスキリストのことですが、私たち一人ひとりにも語られていると受け止めることが出来ます。
信仰生活はよいことばかりとは限りません。
落胆や病気との戦い、経済や人間関係の問題とか、悩みはあります。
しかし、主は、私たちに、決して、目に見える環境に支配されて振り回されて過ごすのではなく、イエス様を信じた神の子である私たちが、祈りとみ言葉によって、それがどういう環境であっても逆に支配していくようにと願われています。
なぜならばイエスキリスト様は、天と地の造り主だからです。アーメン。
3節を読みましょう。
「朝の胎から」と書かれてあります。(口語訳聖書)
新改訳聖書では「夜明け前」と書かれてあります。
夜明け前は、特にその直前が最も暗いともよく言われます。
しかし、ここに神とは、闇から光を創造されたお方と書いてありますから、この神は暗いところから、むしろ新しいことを始めることが出来るお方だということになります。
中国奥地の開拓伝道団の創始者ハドソンテーラーの、「わが祈る姿を見ることなしに中国の大陸に日の昇るのを見たことがない」との言葉は有名です。
彼は文字通り、夜明け前から祈って、暗がりの胎の中から神様のお導きとビジョンを戴いて、中国全土に福音を伝えました。彼らの偉大な働きは毛沢東が起こるまでの間、最盛期で1000名を超える宣教師を大陸に派遣するまでに成長しました。彼は最後には、中国に自らの骨をうずめました。深く中国を愛した神の人でした。
神様は、闇の中から光を生じさせることが出来るお方です。
4節は、メルキゼデクという祭司のことが書かれてあります。
メルキゼデクはかつてアブラハムが戦いに勝利した時、戦利品の十分の一を捧げた人です。
聖書では、通常、祭司と呼ばれる人はレビ人なんですが、この方は、外国人でレビ人でもない。
このお方は、一切を超越した大祭司イエスのことです。
イエス様はへブル書によると永遠の大祭司として私たちのために、御父に天でとりなし祈って下さっているお方です。
ですから、私たちは、どんなことがあっても決して失望してはならないのです。
また、今回は、この個所に関連して、旧約聖書のアモス書4章をも参照してみましょう。
とくに「人の思いがいかなるかであることを示す」とあります。
神様は、私たちが祈る時、私たちに御心を示して下さいます。
なぜならば、、主は曙(あけぼの)を変えて闇にすることが出来るお方。
光をも闇をも創造されたお方だからです。
地の高いところを歩まれるお方だとあるからです。
神様の思いは人の思いとは違って、高いところにあるとあります。
その名は万軍の主です。
思いを変える
神様は私たちに聖書を通じてみ思いを示され、かつまた私たちの思いをも照らして、正しい思いを抱けるようにして下さるお方です。
アスリートたちはイメージトレーニングをします。
試合前に緊張するので、何を考えるかによって、筋肉はゆるんだり固くなったりするので、好成績を残すために、好きな音楽を聴いてゆったりしたり、なにかの好きな言葉を繰り返し考えたりするそうです。
私たちが住んでいる見える世界は、見えない世界によって支配されているのです。思考は目には見えません。しかし結果は物質の世界で確認します。
目に見える現実を支配するのが霊的な世界であるとするなら、クリスチャンである私たちはなおのこと、聖書のみことばによって、勝利と祝福のイメージへと変えていく必要と責任があります。
五節に目を留めてみましょう。
1節にありましたように、私たちの戦いは、血肉の戦いではなく、目に見えない霊どもとの戦いです。
そして、信じる者の戦いが霊的な闇の力との戦いであることを認めるならば、その時、その人は(神様の)右の座についていなさいと語って下さっているのです。
信じる者の戦いは主の戦いであるならば、主が私たちのために戦ってくださるのですから、勝利の主を賛美し期待しましょう。
とくに、6節に「屍(しかばね)で満たす」とあります。
私はここを読むにつけ、世の終わりのことを考えます。
今は終わりの時代です。
ウクライナの戦争は泥沼化してきて出口は見えません。
聖書ではエゼキエル38章で、終末の時、ロシアが連合国を率いてイスラエルを侵略しようとすることが預言されています。また中国の台頭についても書かれてあります。
そして世界は千年期を前に、第三時世界大戦に向かうこと懸念されるのです。
しかも、そのときはまだ先のことではなく、極めて近いのです。
コロ〇枠珍を通して、世界規模で人口削減が始まっているという見方もあります。その副作用は、接種後、3~5年後とも言われています。すでに国内でも大勢の死者が出ているのです。
また、イン〇〇エンザ・枠珍の直後に感染者が増加しました。
イン〇〇枠珍についても安心できません。
そしてこれらのことについては、敢えて口を閉ざして本当のことを言ってはいけない圧力が世界を支配しています。
しかし、イエス様は、もしやむをえず打ってしまっても、お一人ひとりを十字架の贖いの御血によって守られ癒して下さるお方です。ハレルヤ!
核戦争や伝染病や天災(巨大津波、巨大隕石、巨大地震)で多くの人の命が失われるような時が近づいています。
ハワイのある先生は、「人にお世辞を言って地獄へ落とすよりは、たとえ怖がらせてでもいいから、人を救いに導きたい」と話しています。DJ.Farag.
祈っていくなら、聖霊さまは、私たちを導いて、コロナの中でも、どう導いたらいいか導いて下さいます。
5節と7節の「王」たち、かしらたち、首領たちとは悪霊どものことです。
目に見えない不信仰の働きが世と世にある様々な文化、目と心を惹くものによって、間違った教えによって、再臨への備えをさせなかったり、福音に関心を持たせないように妨害してきた妨げの霊どもが打ち砕かれます。
そして、どうか、携挙の前に日本1000万救霊が実現しますように!
落胆はしない
そして、最後の7節をみて見ましょう。
彼は道のほとりの川からくんで飲み、
それによって、そのこうべをあげるであろう。
「頭を高く上げられる」。
神さまは、イエス様は、絶対に落胆して頭を下げるようなことはされません。
そして、主はこのような主イエス様のお立場、姿勢、態度、勝利者としてのお立場を私たちと分かち合ってくださるのです。
なぜなら主は勝利者だからです。
主が勝利者で、どうして主を受け入れた人たちを敗北者のままで、みじめなままで捨て置かれるようなことがあるでしょう。絶対にないのです。
思いの中での戦い
先日仕事に行こうとして起きたとき、頭の中に、自分はダメな奴だというイメージが、なぜかありました。お前は失敗者だという思いでした。
しかし、その瞬間、この考え方が、聖霊様から来たものではない!そう思ってそのイメージに抵抗しました。
そして、主を賛美しつつ、時間もないので、朝の仕事に支度をはじめました。
私たちは、ややもするとそんな否定的なイメージを持ちがちです。
またそのイメージにしっかり心に根を下ろさせて、イライラ感や失望落胆、自己憐憫のとりこに成り下がってしまいます。
それはいけないことです。
良い種を心の畑にまく
この夏初めてジャガイモを植えてみました。
結構楽しく実りました。
種芋は、ちゃんと腐っていないホーマックとかで買ってこないとダメなんですね。普通のおイモは病気を持っている場合があって、上手くいかないそうです。
しかし、私たちの考えや、思いが、イメージが悪いと、いい結果にはならないようです。
私たちの現実の生活・毎日が畑で、私たちの考えは種です。
ですから、私たちがどんなことを考えるのか、そしてどんなことを日ごろ口にするのかはとても大事です。
「主はそのこうべを高く上げられる。」のです。
どうか、うなだれるのをやめましょう。それは心の病気です。
落胆の霊よ出ていけ!
今日、良いことが起こる!
今日、病はいやされる!
今日、悪霊どもは追放される!
神の国は前進します!
魂が救われます。
私たちの教会に聖徒たちが増し加えられます!
もしも、その日が来たら
おお、そして、その日が来たなら、私たちは、「そのようにしているところを見られるしもべは幸いです」と。世と世にあるものは手放して、まっすぐに子羊の天の婚宴に引き上げられるのです。
*1:
第110篇
「わたしがあなたのもろもろの敵を
あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
110:2主はあなたの力あるつえをシオンから出される。
あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。
110:3あなたの民は、あなたがその軍勢を
聖なる山々に導く日に
心から喜んでおのれをささげるであろう。
あなたの若者は朝の胎から出る露のように
あなたに来るであろう。
110:4主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、
「あなたはメルキゼデクの位にしたがって
とこしえに祭司である」。
110:5主はあなたの右におられて、
その怒りの日に王たちを打ち破られる。
110:6主はもろもろの国のなかでさばきを行い、
しかばねをもって満たし、
広い地を治める首領たちを打ち破られる。
110:7彼は道のほとりの川からくんで飲み、
それによって、そのこうべをあげるであろう。