「希望の神」
今日は、この個所から、希望の神と題してごいっしょにみことばを学びましょう。
ローマ書15章7~13節*1
前回までは信仰の弱い人強い人など、教会内での問題について取り扱われていましたが、このローマ書の実質最後の部分にあたる7~13節は、ユダヤ人と異邦人の関係、そしてその希望ということについてです。
「こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。」7節。
これはユダヤ人と異邦人のことを言っています。
イエス様はユダヤ人として生まれ、割礼のある者=ユダヤ人のしもべとなられた、とあります。それは、ユダヤ人の中から救い主が誕生するという古くからの旧約聖書に書かれた預言の成就のことを言っています。
さらにユダヤ人たちに与えられていた救いの約束の実現は、異邦人社会全体のためでもあったということをも述べています。
国々の民の前で主を礼拝したダビデ
ダビデは敵対する国々と戦って勝利を収め、制圧した近隣諸国を前に唯一の神、主を礼拝しました。彼らはダビデの造った楽器の根を聞き、賛美の歌声に耳を傾けたのです。その様子は旧約聖書詩篇に詳しく書かれてあります。
18:46主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。
わが救の神はあがむべきかな。
18:47神はわたしにあだを報いさせ、
もろもろの民をわたしのもとに従わせ、
18:48わたしの敵からわたしを救い出されました。
まことに、あなたはわたしに逆らって
起りたつ者の上にわたしをあげ、
不法の人からわたしを救い出されました。
18:49このゆえに主よ、
わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、
あなたのみ名をほめ歌います。
18:50主はその王に大いなる勝利を与え、
その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、
とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。詩篇18:46‐50
10節では「異邦人よ。主の民とともに喜べ」と続きます。これは申命記のみことばの引用で、申命記では「喜び歌え」となっています。イスラエルのために戦ってくださった主なる神の勝利をいっしょに喜び礼拝せよというモーセの歌です。
異邦人もユダヤ人といっしょに主を賛美するようにという招きなのです。
さらには、11節では「今度は異邦人たちよ、あなた方の間でも主を賛美しなさい」という勧め、そして12節では、「異邦人たちはこの方に望みをかける」とも書かれてあるのです!ええっ?!かつては偶像を拝んでいた、あの忌まわしい儀式を盛んにやっていた近隣諸国のモアブやエドムやアモン人たちがこぞってダビデの拝む神を一緒に拝むようになる?ダビデの治世では広範囲にわたって主への礼拝が捧げられるようになったのではないでしょうか。
そして、今日のローマ書の実質最後の部分でパウロが強調したかった「希望」とはまだイエス様のことを知らないあの人が、一緒に礼拝を捧げるようになる、そのことだったのではないかと思うのです。
Mちゃんの神様にいのってちょうだい
先日、教会の方のお友達が病んでいることを伺いました。そして祈ってほしい。教会に来たこともないそのお友達からの祈りのリクエストに一生懸お祈りしました。イエス様はいやし主!と祈りました。魂の救いを祈りました。
こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。7節。
もし自分がイエス様を信じていなかったら、いまごろどんなところを歩いていただろうか。そんなことを考えるのです。主は教会に来ていないあの人のためにも、お仕えくださっている。あの人も一緒にイエス様を礼拝するようになる!そう思って9節~12節にある「異邦人」と書かれてあるところに、知っている人や親せきの方のお名前や会社名を入れて読んでみてはいかがででしょうか。
希望~イエス様のようになりたい
韓国のハ・ヨンジョ先生が書かれた「感謝のゆうべ」というデボーションの本に「どうしてイエス様を信仰しているの?」と聞かれたら、「はい、イエス様のようになりたいからです」。それは大正解というのがありました。
ハ先生は、私たちがイエス様に似ていくための秘訣があると言っています。その秘訣とは、イエス様の下さった命令を実行していくことだと言っています。
イエス様の教えを実行するうちに何らかの変化が起きはじめ、少しずつイエス様に似てくるようになるというのです。従えば従うほど自分の欠点や足りなさが教えられ、こころは砕かれ謙遜にされていくともあります。希望は主に従うところにあります。
私の神は望みの神。希望の神でいらっしゃいます。
お祈りしましょう。
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。
*1:
あなたにさんびをささげ、
また、御名をほめ歌う」
もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。
異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。
異邦人は彼に望みをおくであろう」。