聖書のある暮らし

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「主の御名の意味を覚えて賛美して祈ろう


主の御名にはいくつかあって、そのお名前の意味を覚えながら祈ると、よりよく祈ることが出来ます。

今回は、聖書から主の御名についてのいくつかを学びましょう。

 

『主は私たちの正義』

その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。エレミヤ書 23:6

第一の主の名は、「主は私たちの正義」というお名前です。

これはどういうことなのでしょうか。

主は聖なるお方であられます。そして次に、主は私たち一人一人を、ご自分のために「取り分けられる」「より分けられる」お方という意味です。

「聖」とはそういう意味です。

つまり、信仰をもってイエス様を信じるという事は、私たち一人一人が、すでに十字架の上で流された贖いの御血によって、神様の所有とされている!ということです。ですから祈る時、この主の御名「聖なるお方」を思い起こして、自分自身を「主よ、今日も私はあなたのものです」と言って、神様に自分を捧げ直しましょう。朝起きるたびにそうするのがいいと思います。

なぜならば、すでに贖いの御血で、信じる者はそうなっているからです。 

②主は平和

第二のお名前は「主は平和」です。

そこでギデオンは主のために祭壇をそこに築いて、それを「主は平安」と名づけた。士師記 6:24

「平安」あるいは「平和」です。

新約聖書のローマ5:1には、私たちが信仰によって義と認められ、神との平和に与っていると書かれてあります。

エス様が十字架で死なれた瞬間、神殿の分厚いカーテンが裂けたと福音書に書かれています。

それは、聖所と至聖所と隔てるもの、つまり人と神の間の「隔ての幕」でした。

厚さは10センチ以上もあって、どんなことをしても簡単には裂くことが出来ないものでした

それが上から下まで裂けたのは、イエス様の十字架の上の裂かれたお体によって、神と人間との交流が自由にできるようになったことを表しています。

私たちは、イエス様によって、神との人格的な交流に与るようになって、天の父なる神さまを、「お父さん」と呼んで親しく祈れるようになったのです。

ですから、もう一つの主の御名に、「ヤーウェ・シャマ」(エゼキエル)というお名前もあるのですが、それは「そこにおられる主」、「共におられる主」という意味です。

自分の犯してしまった罪過ちを過剰に意識するのはやめて、イエス様が十字架上で、成し遂げて下さった御業(みわざ)によって、父なる神を親しく「お父さん」と呼んで祈ってもいいのです。「天のお父さん」。そう祈ってみましょう。

③三つの目のお名前は、癒し主です。

「わたしは主であって、あなたをいやすものである」。出エジプト記 15:26

ヘブル語では、癒す人=healerのことを「ラファ」といいます。

病んでいる人は、主から癒しを受けることが出来ます。

なぜなら、主である神みずからが、そのように宣言しておられるからです。

福音書に出てくるイエスキリストは昨日も今日もいつまでも同じお方だからです。ハレルヤ。アーメン。

2000年前の聖書の書かれた時代にあったように、復活の主は今も生きておられ、同じ御業、癒しのお働きをされています。信じるおひとりひとりの内におられる聖霊様を通して、今も病人をいやしてくださいます。

ですから、祈る時は、ぜひ「主はいやし主」です、「癒し主なるお方の御名をあがめて賛美いたします」と祈って賛美して、癒しを受けましょう。

④次のお名前は、備え主、です。

聖書によると貧困は悪魔が与えるものであることが分かります。

なぜなら旧約聖書には「律法」という人と神との間の掟があって、「律法の規定」に間に合わない人は、呪われると書いてあるからです。

しかし「律法」という人と神との間にかつてあった古い掟は、二千年前、イエスキリストが十字架につかれ、死なれたとき、すでに無効とされたものです。

しかし昔からウソをついて人をだましてきた悪魔は、今なお生きていて、人をだまし、まだその古い契約に効き目があるかのように見せかけて惑わすことがあるのです。

しかしイエス様を自分の救い主と信じた者は、すでにこの古い契約である律法から自由にされているので、律法の呪い、貧困から解かれているのです。

ですから時代がどうであれ大胆に、神様の祝福を宣言していいのです。

私はイエス様が十字架の上で流して下さった贖いの御血によって、古い掟から解放されたので、経済においても健康面でも祝福されています!と宣言しましょう。 そう宣言してもいいのです。

14それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。創世記 22:14

「アドナイ・エレ」とは、アドナイ=「わが神」、エレ=「見る」という意味です。ご覧になる神という意味です。この神様は、人が真に必要なものがなんであるのかを、あらかじめ、ご覧になって、備えて下さるという意味です。

その範囲は、道徳面、経済面、感情面、社会面、霊的な必要のすべてに及びます。

全てを備えて下さる主、あなたの御名を賛美いたします!とお祈り下さい。

貧困の子供たち、母子家庭、彼らにこそ、この御名が必要なのです。

次の御名は「主はわが勝利の旗」です

15モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。 16そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。出エジプト記 17:15,16.

 これは何を意味しているのでしょうか。

エス様は、私たちの「よい羊飼い」です。死の恐れと、死後の向こうにあるいっさいの「裁き」の恐怖から、信じる私たちを解放してくださいます。

エス様を信じた人は死を恐れる必要はなくなりました。

わびもさびも孤独も必要ありません。

「主はわが羊飼い、私は乏しいことがありません。たとえ死の影の谷を歩くことがあっても災いを恐れません~主がともにおられるからです~」詩篇23

Ⅰ.主は私の義 

Ⅱ.主は私の平和

Ⅲ.主はいやし主

Ⅳ.主は備え主

Ⅴ.主はいつもともにおられる勝利の旗

これらの主の御名を考えながら祈ってみましょう。

私は主のもの、主は私のもの

十字架の贖いの御血によって、親しく祈れることを感謝しながら、

そして、イエスキリストは今も昔もこれからも変わらないお方、ハレルヤ!と。

貧困は御心ではありません。豊かになって与えましょう。

御血の贖いの力で主はとこしえに、永遠までも、私を守り導いて下さるお方!

悪魔に勝利させて下さるお方!

ハレルヤ!

賛美して祈りましょう。

 

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