「小事に忠実な人の報い」
今回はこの個所から、「小事に忠実な人の報い」と言うテーマでご一緒にみ言葉を学びたいと思います。
ルカ19章11-27節*1
この個所は、イエスキリストの再臨とその際の、私たちクリスチャン一人一人への報いについての記事です。
ある身分の高い人(12)とはイエス様のことです。
王位を受けるために遠い国へ出かけて、その後戻ってくるとは、イエスキリストの昇天と再臨のことです。
そして、しもべの一人一人に預けた一ミナとは、個々人に等しく与えられた救いのことを意味します。
そしてさらに、この人憎んで王さまになってもらいたくなかったというのは、ユダヤ人のことです。あるいは神を嘲って憎む者のこととも取れます。
そして最後に清算の時が来ますが、これは世の終わりの清算のときのことです。
小事に忠実な人の報い
今回は「小事に忠実な人の報い」と言うテーマですが、先日、ある場所にしばらくお会いしていなかった方を訪ねて出かけてみました。
ところがグーグルマップの検索を間違って、何時間もかかる距離だったので、訪問を断念しました。なんと徒歩と車の時間を見誤っていたのです。
たまたまお土産を買いに手稲まで車を走らせたのですが、行ってみるとお店は撤退後で、あ~無駄足か~でした。
でも待てよ、と思い直して、その場からもう一度検索してみると、なんと当初の計画していたその目的地までなんと数十分で行けることが分かったのです!
ハレルヤ!これは行くしかない!と思って、行ってみると果せるかな!なんと数十年ぶりにKさんにお会いすることが出来て、またちょうどKさんは信仰のこと、その他のことについて悩んでおられ、再会をとても喜んで下さいました。
正にジャストタイミングでした。
人の目には偶然と思われることがいくつも重なったように思える出来事にも、大きな神さまの御手の中では、偶然はありません。主の時でした。
小さな出来事に思えることが、その後の大きな違いをもたらすのです。
私は聖書ノートというのをつけていて、先日、今回のこのルカ伝のみことばを読んでいた際に、そこにこんなことを書き込みました。
「救霊者になることを主に願い始めている。」
また、それとは別に祈りのノートというのもあるのですが、そこにはこう書きました。
「母(牧師先生)のように個人伝道者、救霊者となって魂を刈り取る。」
「出て行って刈り取るために聖霊さまのお導きをキャッチする者となる。」
最初の人は一ミナで10ミナ。十倍の信仰ですね。
つまり信仰者が10人になったという事だと思います。
5ミナは5人の人が一ミナづつ戴いて、信仰する人が五倍になったことですね。
そういう働きに忠実なものになるために、もっと祈りたい。
そんな願いが、今私にあります。そんな願いが与えられました。
これは必ず実現する願いです。なぜなら御心だからです。
旧約聖書にツル記という美しい書物があります。
異邦のお嫁さんルツが、しゅうとめナオミに最後までついていったお話です。
移住先のモアブの地で旦那さんを亡くし、二人の息子を失い、二人の嫁とも別れ別れになって故郷のユダヤのベツレヘムに帰ろうとするお姑さんのナオミに、最後まで付いていった女性です。
やがて死んだ旦那さんらの土地の所有権を残すためにルツはボアズと言う親切な人と再婚します。かなりの年の差婚だったんじゃないかと思うのですが、旦那さんになったボアズは言いました。
3:10ボアズは言った、「娘よ、どうぞ、主があなたを祝福されるように。あなたは貧富にかかわらず若い人に従い行くことはせず、あなたが最後に示したこの親切は、さきに示した親切にまさっています。ルツ3:10.
先の真実とは、おしゅうとについてきたこと、後の真実はボアズとの再婚のことを言っています。
つまりルツという人は、一時の世の風潮だとか、情欲に振り回されない生き方を選んだ人、お姑のナオミから聞いた変わらない真実な聖書のみことばに従って、生きていこうと心に決めて、そう努めていた従順と信仰の人、それがルツだと言っているのです。
ボアズは「主は生きておられる。」と言いました。
それは、私たちは主のご支配のもとに生かされているということです。
わたしたちの人生は大きな神さまの御手の下にあるという事です。
このボアズとルツの出会いと再婚という出来事は、イエス様のご降誕から遥か1000年も前の出来事でした。
そのとき、この二人は自分たちが、その後1000年もあとのイエスキリストのご降誕の道備えをしているなどとは、夢にも思わなかったことでしょう。
でも、今日という一日の、自分には小さく思える出来事が、後の大きな違いをもたらす結果となるのです。
一ミナを預かった人は、小さく見えても、いったいどうやって自分にまかされたことに、祈りをもって向き合っていったらの良いのか?
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。第一コリント 15:58
私たちは、ついつい、こんなもんだとか、どうせ~とか、自分みたいなものは~とか言いがちです。
しかし、神様は私たちを大事なものとしてご覧下さり、お認め下さっています。
だから、けっしてそんな投げやりな思いを持ってはいけないのです。
ルツやボアズの出来事のように、小さく見えても、あ~疲れる~的なことでも、「どうぞ主よ、私をもお用い下さい。」
「小事に忠実になれますように」と一緒に祈ろうではありませんか。
神を誇って下さい。神を見上げ、神に期待してください。私たちが最善を尽くせば、神が宝をくださり、人も送って下さり、国も送ってくださいます。
ハ・ヨンジョ
今日の私の小さな出来事が、後の世において大きな違いをもたらすかもしれない。
いいえ、神様は私をも用いようとされている。
主は生きておられる~聖霊さまは一切の環境下で働かれる。
ある伝道者のこと
私の知り合いの伝道者の方が先日、亡くなられました。
何十年も前、夢と希望をもって神学校に入られた方です。
卒業後、一生懸命働いて生計を立てて、二人のお子さんを育てながら、ご家庭を解放して、小さなチャペルで伝道されました。しかし多くの人が集まることはありませんでした。そして最後の10年間は、脳梗塞を患い、次第に動きを失い、最後はまるで植物人間のように寝たきりで人生を閉じたのです。
私は、その方が召される二日前に祈りました。
「神様、どうしてですか?」と。夢を希望をもって神学校まで入って、一生懸命だったのに、なぜですか?と尋ねて祈りました。
祈りながら考えました。もしかすると彼は生涯日の目を見るようなことはなかったかもしれない。有名な人になることも沢山の人が集まることもなかった。
そして死の間際の苦しみは言い難く、痛みは増し加わりました。
しかし祈りの中で私は考えました。もしかすると、それはイエス様の十字架のみ苦しみだったのではないだろうかと。「われと共に苦難をしのべ。」
聖書に「先の者が後になる。後の者が先になる」というみ言葉があります。
そしてこう考えました。
彼は、天の御国で、今は高位の位にあると
主はいま生きておられる♪ ご一緒に歌いましょう。
仕事先でも、「聖霊さま」、お認めしていきましょう。気ぜわしい思いが平安になることでしょう。
こんなこと、自分なんか、そう思わないで。そして救霊者になりましょう。
*1:19:11人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。 19:12それで言われた、「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。 19:13そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』。 19:14ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。 19:15さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。 19:16最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。 19:17主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。 19:18次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。 19:19そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。 19:20それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。 19:21あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。 19:22彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。 19:23では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。 19:24そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』と言った。 19:25彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。 19:26『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。 19:27しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ』」。