聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「できないという考え方とできるという考え方」

今回はこの個所から、「できるとういう考え方とできないという考え方」という題で、ご一緒に聖書を見ていきましょう。

Ⅰサムエル17:1-11.*1

このサムエル記の17章に出てくるゴリアテとは、悪魔の象徴に思えます。

なぜかというと、まず第一に、このゴリアテ武装をみてください。

どんな格好をしていたでしょうか。

4節、「彼の背は高く」、ここはある日本語訳では3メートルと訳されています。

5節からその武具について、青銅でできていたとあります。

頭ー青銅のカブト、よろいも青銅、足にも青銅のすね当て、肩にも青銅でできた投げ槍とあります。

私は、これを読みながら聖霊さまにお尋ねしました。

聖霊さま、この青銅とはなんのことでしょうか」と。

古来、国は、鉄をどれだけ持っているかによってその国の強さが決まるのではなかったでしょうか。鉄を他よりも多く保有するものが世界を制するのです。

ゴリアテは強さの象徴ですね。

そして、私たちは、そんなゴリアテみたいな敵に立ち向かうとき、このイスラエル人たちのようにすくんでしまうことがあるのです。

能力がない、お金がない、健康がすぐれない、対人関係だとか、いろんなゴリアテが立ち向かってきて、思いの中には不安や疑い恐れなどの感情を抱いてしまうのです。

11節には、まさしくそう書かれてありますね。

「これを‥‥聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。」

事実、この巨人にはどうやっても勝てないとしか思えなかったのです。

無理もないことです。

しかし、ここに一人のほかの人とは違った心を持っていた少年がいました。ダビデです。

ダビデはサムエルが油を注いだ人でした。

サタンに立ち向かうには聖霊の油注ぎ以外にはない

つまり私たちに立ちはだかるものがなんであれ、意志消沈させ、疲れさせ、狼狽させ、落胆させて来るもの、ううっ‥‥これは手強いぞ、どう扱っていったらいいかわからない~これらは、サタンからくるものです。

そして、そのサタンの攻撃に対して立ち向かう事の出来る武具は、聖霊様からくるお力以外にはないのです。

権勢によらず能力によらずわが霊によって

万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。 4:7大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。ゼカリヤ書 4:6,7.

このゼカリヤ書が書かれた背景を見ると、それは、荒廃したエルサレムの再建についてで、当時、状況は困難を極めていました。

敵は数多く、再建工事を妨害する者らはたくさんいて、自分たちにはできない、無理だと考えていた時に、神様が預言者ゼカリヤ、ハガイらを起こして、御民を励ましたのが、このみことばです。「だいじょうぶ、できますよ。」と。

彼らは希望をもって捕囚先のバビロンからエルサレムに帰還しました。

胸躍る思いで、仕事に掛かりました。しかし、次第に最初の熱心さは消えかかっていき、人々の思いは再建よりも自分たちの私生活のことに傾きだしたのです。彼らの脳裏からは宮の再建などは遠く離れ始めた時だったのです。

そして、これは今日の教会の姿です。 

エスさまは、「それは人にはできないことでも、神にはできないことはない」と仰いました。

ゼカリヤは言いました。

「あなた方は間違っている。あなたがたは恐れている。疑っている」と。

イスラエルは戦いが剣や槍の戦力によるものだと思い違いをしていたのです。

自分たちの祖先たちが、約束の地を勝ち取って今日に至ったのは、ただただ主のお力、お恵みによるものだったという事を全く忘れてしまっていたのです。

状況は困難でも、解決は主からくるのだから、と。

7節、「大いなる山よ、ゼルバベルの前で平地となれ!」と。

聖霊様のお力が下る時に、私たちの中には、「いやそうではない、必ずできる」という確信が与えられます。ダビデゴリアテを見たときに「必ずあの大男を倒せる」と思いました。

31‐37節をみて見ましょう。

17:31人々はダビデの語った言葉を聞いて、それをサウルに告げたので、サウルは彼を呼び寄せた。 17:32ダビデはサウルに言った、「だれも彼のゆえに気を落してはなりません。しもべが行ってあのペリシテびとと戦いましょう」。 17:33サウルはダビデに言った、「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」。 17:34しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、 17:35わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。 17:36しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。 17:37ダビデはまた言った、「ししのつめ、くまのつめからわたしを救い出された主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう」。サウルはダビデに言った、「行きなさい。どうぞ主があなたと共におられるように」。

特に36節ですね。

「あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。」ですから、辛いことや、困難な状況にあるなら、ぜひ、やってみてください。またこう告白してください。

自分にはできないが、神にはできないことは何もない、と。

それは神様の視点、聖霊さまの視点なのです。聖霊が臨まれるときに、状況は一変するのです。

ダビデの戦い方は、ゴリアテのような剣や槍による戦いではありませんでした。

ダビデが谷間より石を拾い上げたように、密室に入って祈祷の中にみ言葉を受け、これを御霊の力によって用いうるのが勝利の秘訣である。米田豊

33:6もろもろの天は主のみことばによって造られ、
天の万軍は主の口の息によって造られた。

20:7ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。
しかしわれらは、われらの神、
主のみ名を誇る。詩篇 20:7

私たちの神様はこのような神様です。

ダビデは通常は羊飼いでした。

そこでは多くの時間が彼には与えられていたはずです。

自作の作詞作曲の賛美を歌ったり、祈ったでしょう。

みことばのことを考えたことでしょう。

みことばを瞑想し、黙想したでしょう。

石投げの訓練をもしていたでしょうし、また彼は獅子やクマに対処しなければならなかったので、決して平凡ではなく、命がけでもあったことでしょう。

彼は祈りとみ言葉によって油注ぎを戴いて、毎日に対処していたのです。

121:1わたしは山にむかって目をあげる。
わが助けは、どこから来るであろうか。
121:2わが助けは、天と地を造られた主から来る。

ダビデは手強い敵を相手にするときに、彼は遠い頂に雪のあるヘルモンの山を目にしたのではないでしょうか。そして私にできないが主にはできる!と信じたのです。

私たちはどうでしょうか。いたずらに、恐れたり、疑ってはいないでしょうか。

そうして日常のことにかまけて、あたかも主は共におられないかのような日常に失望して「漁に戻る」と言ったペテロたちのように、私たちも日常に戻っていなかったでしょうか。

御心は夫々(それぞれ)の巨人を、与えられた祈りとみ言葉によって打ち倒すことなのです。

約束のものを勝ち取ることなのです。癒し、健康、救霊、教会の成長ーリバイバル

どのようにして勝ち取るのか

最後にそれはどのように日々の生活に取り入れていくものなのでしょうか。

16節をみて見ましょう。

例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て姿を現わした。」

40日間とはなんでしょうか。何か私たちの人生を象徴しているかのように感じます。また朝に夕にとは、一日一日を表します。

悪魔は一日一日、そして私たちの大切な一生に立ちはだかります。

しかし、聖霊さまは私たちと共にいて下さるのです。

そして、どうぞ悪魔に洗脳されないために祈りましょう。

この瞬間、おどろくべきことですが、また何も特別に驚く必要もないことかもしれません。しかし、この瞬間にも私たちの周囲にはWi-Fiだとかラジオ波だとかいろんな電波で声が流れているのです。今、ここでいろんな声が飛び交っているのです。

しかし世・サタン・肉の支配するこの世界にあって、そのほとんどの情報は、み言葉に基づいたものではありません。

信仰の武具をつけて、日々立ち続けましょう。

①真理の帯、みことばの下ごしらえ、養いですね。それは霊的な消化器官を守る部位です。聖書に親しみましょう。

②正義の胸当て~さまざまな否定的な思想が飛び交う中で、御血が私たちの胸に日々日々、一瞬一瞬注がれて、ワクチンのように私たちの思いを守ることができます。

③福音の備えの靴~3250あると言われている十全のみことばの基礎があります。それらを通読によって拾い上げましょう。

④そして御霊の与える剣なるみことば。そしてカブト。それは青銅のカブトよりも優れて、信じる人の思いや考えをしっかり確信させ守ります。信仰の大盾を取りましょう。

最後に提案があります

どうぞ一日一時間祈る目標を作って下さい。

あなたの人生を変えることでしょう。

もし七時半に家を出る仕事ならば、どうぞ5時に起きるようにしてください。

最低限に身を整えたら、五時過ぎから六時過ぎまで祈るのです。

そして残りの一時間で身支度をして7時半に出掛けるようにしてください。

それは不可能ではありません。やってみましょう。

なぜなら、そうすることで主を第一にすることが出来るからです。

なぜならみことばは祈りという火で燃えるからです! 

 

今日は「できないという考え方とできるという考え方」というタイトルでご一緒に聖書を学びました。みことばを実践していきましょう。

そしてできるというみことばのお約束に基づいて、行動していけることをお祈りいたします。

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:17:1さてペリシテびとは、軍を集めて戦おうとし、ユダに属するソコに集まって、ソコとアゼカの間にあるエペス・ダミムに陣取った。 17:2サウルとイスラエルの人々は集まってエラの谷に陣取り、ペリシテびとに対して戦列をしいた。 17:3ペリシテびとは向こうの山の上に立ち、イスラエルはこちらの山の上に立った。その間に谷があった。 17:4時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。 17:5頭には青銅のかぶとを頂き、身には、うろことじのよろいを着ていた。そのよろいは青銅で重さ五千シケル。 17:6また足には青銅のすね当を着け、肩には青銅の投げやりを背負っていた。 17:7手に持っているやりの柄は、機の巻棒のようであり、やりの穂の鉄は六百シケルであった。彼の前には、盾を執る者が進んだ。 17:8ゴリアテは立ってイスラエルの戦列に向かって叫んだ、「なにゆえ戦列をつくって出てきたのか。わたしはペリシテびと、おまえたちはサウルの家来ではないか。おまえたちから、ひとりを選んで、わたしのところへ下ってこさせよ。 17:9もしその人が戦ってわたしを殺すことができたら、われわれはおまえたちの家来となる。しかしわたしが勝ってその人を殺したら、おまえたちは、われわれの家来になって仕えなければならない」。 17:10またこのペリシテびとは言った、「わたしは、きょうイスラエルの戦列にいどむ。ひとりを出して、わたしと戦わせよ」。 17:11サウルとイスラエルのすべての人は、ペリシテびとのこの言葉を聞いて驚き、ひじょうに恐れた。