聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「聖霊様を求めよう」

今回はこの個所から、ご一緒に、「聖霊様を求めよう」というテーマで学びたいと思います。

もういちど10節を見てみましょう。

たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。」

ルカ12:10-21.*1

聖霊を汚す罪は赦されないとは?

エス様はどうして聖霊さまについてこのようにお話になったのでしょうか。

聖霊さまは、神の第三位格です。父なる神、子なる神;イエス様、そして聖霊なる神です。

三位一体の神です。この三位は別々のご人格ですが、一つの神です。

人の子(イエス様)をそしることがあっても赦されるが聖霊を汚す罪は赦されないというのです。

その理由は、聖霊さまが父なる神、子なる神イエス様の御心に沿ってこの地上で御業(みわざ)を現される独特のお働きをなさる神だからではないでしょうか。

父なる神は天高く、そして御子も今は天高くおられますが、聖霊さまだけは目には見えませんが、この地にあって今は、御父と御子の全権大使のようにしておられます。

エス様は聖霊のお働きについてさらにお話しになります。 

すべてに優って聖霊さまを求めよ

迫害されるとき、困難なときにも

信仰のゆえに迫害されることがあって、弁明しなければならない大変なときにも心配はいらないというのです。

なぜならそんな大事な時にも、聖霊さまは主を証しする者に何をどう語るべきか、どう信仰について弁明したらいいのか、すべてを教えて下さるからだと言っています。

つまりそんな大変な時も、いやそんな大変な時だからこそ聖霊さまはあなたにとって大切なお方なのですよと言っているのです。

どう生きようか悩むときにも 

そしてそのすぐ後の13節から今度は、財産についての教えが続きます。

13,14節を見てみましょう。

「いったいだれが私を裁判官、調停人にしたのか」と。

ある人が金銭問題でトラブっていて、イエス様に解決してもらおうとしたのですね。

主はたとえ話を始められました。

ある男の畑が豊作でこれまでの倉には納めきれなくなって、古い小屋を壊して新しいのにして、この先何年分もの食糧を蓄えようとしたお話です。

彼はたくさんの食料をため込むと、自分の魂にこういいました。

「あ~よかった」。

「我が魂(こころ)よ。これから先何年分もの食糧が蓄えられたから。食べて飲んで楽しめ。」

しかし神様は、その晩、その人に語られました。

「愚か者よ。」

「お前の魂は今夜お前から取り去られる。そうしたら、それはいったい誰ものになるのか。」

21節.自分のために蓄えても神のために蓄えないものはこの通りですと。

主はここで何を仰りたかったのでしょうか。

このたとえ話においても、イエス様は何を求めるにしても大切ことは聖霊さまをもとめることですよ。そのことです。 

さらに主はこうも言われました。

11:9そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 11:10すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 11:11あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。 11:12卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。 11:13このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。 ルカ11:9-13.

このみことばは大学受験のためのものではなく、 人生の最大優先事項についてのみことばなのです。

神様は私たち一人一人の必要なことについてもご存じのお方です。

しかし私たちが求めているその願いや課題について一切をご存知のお方(神様)は、その課題や願いのゆえに、否それ以上に求めるべきことがあるのだというのです。

それは、聖霊様です。

聖霊様をすべてに優って求めなさいということです。

さまざまな祈りや課題の中にあって、より優れた回答は、すべてのうちに働いて万事を益に変えることのできるお方、聖霊様なのです。アーメン。

聖霊さまに導かれるようになるには

私たちは日ごろ神様に、ああしてください、こうしてくださいと願い求めはしますが、聖霊様に自分を任せ、聖霊様に導かれることを願い求めることは、あまりしません。

チョー・ヨンギ先生が書かれた本に、“The holy Spirit my senior partner”という本があります。

その一節をご紹介します。

私たちは聖霊によって生まれ変わって、私たちの生きる方向と目的が転換させられた者です

古い人と新しい人、外なる人と内なる人のちがい

 6:10なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。 6:11このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。ローマ 6:10,11.

下線を引いたところに注目してください。

キリストが生きているのは神に対してであると書かれてあります。(新改訳)

そして、それと同様に、イエス様を信じて新生した私達もまた、生きるのであるならば、それは神に対して生きるものとされたとあるのです。

しかし実際のところ、私たちの古い人;また外なる人ともいいますが、それは極めて自己中心的な存在で、私たちはその古い人を死ぬまで引きずっていかなければなりません。その古い人とはアダムが善と悪を知る木の実をとって食べた時以来、子々孫々受け継がれてきたもので、神の栄光よりも自分のために生きようとしてもがき続ける罪の性質のことです。

ここに、新生したはずのクリスチャンライフに命や輝きや力や活気がない原因があります。

その原因とは、信じる者が自分のプライドを捨てずに、自分の人生なんだから自分が願うように生きて何が悪いと言って、聖霊様に従おうとしないことです。

ワクワクする人生の始まり

主の祈りにある「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」

それは御名が聖でありますようにと言う意味でしたね。

それはまた、「より分ける」、「とっておく」という意味でした。

ですから主の祈りで、「御名があがめられますように」と祈るとき、私たちは「神様の御名は聖であるし、また私もまた、あなたのために取り分けられた、あなたの御心のために捧げられたものなのです」と祈ることなのです。

私はあなたのために取っておかれたものです、という意味です。

もし何かの器を別の用途のために使うことにするなら、その器は次の新しい目的のために「取り分けられたもの」です。当たり前のことですが。(笑い)

もし私たちが、その「当然のこと」をわきまえて、聖霊様のために自分を明け渡していくなら、聖霊さまは私たちの内に働いて下さって、私たちの考え方を少しずつ変えていって下さいます。

そして神様の御心を行っていきたいという願い、聖なる願いがその人のうちに起こされていくようになります。

私の考え方を変えて下さい。

否定的で怒りやすくて、悪い考えに染まりやすかったのが、聖霊さまによって、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制へと変化させられていく。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのですガラテヤ 2:20

それは神様の御心を行いたくて仕方がなくなるような人生、わくわくするような毎日です。

ただ聖霊が私の心を変えて下さることを信じて、信頼して、より頼んでいく毎日です。

必要なものを用意してくださるお方

私はあなたたちを孤児とはしない。(慰めのない、わびしい、死に別れの、寄る辺のない、みじめなままで捨て置かない。)私はあなたたちのところに(戻って)来る。ヨハネ14:18。 詳訳聖書

天に帰られたイエス様は聖霊さまをお遣わしになって、残されたペテロたち弟子たちがその後困らないようにして下さったことが聖書には書かれてあります。

もしも、私たちが日ごろ頼りにしていた人が突然死んでしまったら大変です。

この先、どうやって生きていこうか。どうやって‥‥と。

でもイエス様は弟子たちがその後困らないように、食べ物や健康や、財や必要なもの。敵からの守りも備えて下さいました。そのことがしっかと新約聖書の中に書かれています。

それはイエスの御霊であられた聖霊さまのお働きによるものでした。

 

世の終わりの今、これからますます困難な時代が来ようとしています。

どうぞ、どんなに世が変わっても変わらない聖霊様を求めていきましょう。

ラクレートス。それはギリシャ語で「助けのためにそばに呼ばれた」という意味です。

聖霊さま。あなたを歓迎します。あなたを求めます。

そう聖霊さまにお話ししましょう。

 

 

 

 

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:

12:10また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。 12:11あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。 12:12言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。
12:13群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。 12:14彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。 12:15それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。 12:16そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。 12:17そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして 12:18言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。 12:19そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。 12:20すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。 12:21自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。