聖書のある暮らし

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「実のある人生を送るために」

今回は、「実のある人生を送るために」というテーマでこの個所から学びます。

私たちが実のある豊かな人生を過ごすには、どうすればいいのでしょう。ここに書かれてあるグーゾースーハイという問題を解決する必要があります。

しかしいとうべきもの、憎むべきものをその心に慕って歩む者には、彼らの行いに従ってそのこうべに報いると、主なる神は言われる」。エゼキエル11章21節

この地上にある二種類の人

私たちが実のある豊かな人生を過ごすには、どうすればいいのでしょう。ここに書かれてある偶像崇拝という問題を解決する必要があります。

「忌むべきもの、忌み嫌うべきものの心を自分の心として歩む者」(新改訳聖書)とあります。

これは、イスラエル人たちが偶像を拝んでいたことについて書かれている個所ですが、それだけではなく、唯一真(まこと)の神様からの救いを拒んでいる人たちのことをも述べている個所です。

 「人間は一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定まっている」へブル9:27

この世には二種類の人しかいません。

そのことをご存じでしたか?

エス様を信じて天国へ入る人か、それともイエス様の救いを拒んで地獄へ落ちる人の二種類の人しかいません。

エス様を信じれば救われて、天国へ入れます。

しかし、拒めば、死後裁かれます。二つに一つで中間はありません。

そしてこの地上で最後の一人が、態度をはっきりさせたとき、携挙があるのです。

偶像崇拝者とは

①グーゾースーハイシャとは、神よりも自分の願いをいつも優先させる人のことで、苦しい時神頼みとかありますが、その真意は、神でさえをも、自分の願いに合わせて、自分の都合に聞き従わせようとする~ご都合主義者のことです。

ですから一番の罪は、イエス様を信じないことです。

しかし、もし私たちが心を注いで祈る時に、必ず私たちの子供や身内が心砕かれてイエス様を受け入れるようになります。信じて祈りましょう。アーメン。

 ②二つ目のグーゾースーハイシャとは、私たちクリスチャンのことをも言っていると感じます。

エス様は、私にとどまりなさいと言われました。

また、私にとどまれば、多くの実を結ぶとも約束されました。(ヨハネ伝)

では、なぜ実が少ないのかと言うと、原因は、たとえ救われた人であっても、イエス様や聖霊さまのことを自分のアシスタントのように考えているところに原因があります。

つまり、たとえ救われたクリスチャンであっても、自分の都合に合わせて、イエス様に勝手な願いや進むべき道や方向について、決めてしまって、それから最後に祈ってお願いします、とやる。

これはイエス様、聖霊様を自分のしもべかアシスタントにしようとするようなものです。

「私は十字架につけられました。」新約聖書 ガラテヤ5:17.

私の人生はイエス様を信じ受け入れたときに、すでに終わったものであることを認めて、残りの人生は主の栄光のためにあることを、ほんとうに認めて、イエス様に日々自分の時間や金銭や、余った時間の使い方なども含めて、祈りをもって~どうすればいいでしょうかと進んでいくなら、主を主としてお認めしていくことになるので、その人の歩みはこの世の終わりにあって益々祝福されていくようになるのです。

この21節の後半には、「彼らの忌むべきものや、忌みきらうべきものの心を、自分の心として歩む者には、彼らの頭上に彼らの行ないを返そう。とあります。(新改訳聖書

これはクリスチャンであってもイエス様が人生の主となっていないために起こる問題の数々のことをも言っているように感じます。

すくわれたクリスチャンであっても、孤独や虚しさ、嘘、争い、小説は読んでも聖書は読まない、死への恐れ、病であったり、金銭問題や、トラブル続きの呪われた生活に陥ってしまうのです。

私たちはイエス様の十字架の血潮で罪赦され、滅びから贖いだされたものです。

実のある祝福された歩みをするには、どうすればいいのでしょうか。

祝福された生活をする秘訣

祈りをもって聖霊様と親しく毎日交わっていくことによって、それは実現します。

主が私にとどまりなさいと言われたことは、そういう意味だと思います。

日本の教会はみことばの教会でも、死にそうです。

なぜアメリカ全土を揺り動かすリバイバルが起こらないのか。

彼らは歌を歌うが祈らないからだと趙先生がおっしゃっていました。

私たちは、祈る時に、そこにとどまる時間に比例して、主にとどまるようになれて、次第に聖霊さまの願いがなんであるのかが分かるようになります。

どうぞ一時間を目標に今日から祈り始めて下さい。

どうやれば一時間祈れますか?

私は朝の新聞配達をしながら祈るようにしています。

そのためにホーマックで腕時計も買いました。

何分くらい祈ったか計るためです。

工夫次第で必ず今以上に、祈る時間をひねり出せるようになります。

どうか、祈れないと思いわないで、祈る時間を見つけられますように!と願いつつ、努力してください。必ず姉妹たちに聖霊さまは、祈る時間を取り分けられるような知恵や工夫を下さいます。

今日はグーゾースーハイシャとは、自分の心のままに生きようとする人のこと。

しかし、クリスチャンである私たちはそんな愚かな生き方から、御血によって買い取られて、御心にとどまるまで祈ることが出来るのだ、と学びました。

どうぞ教えられたことを実行しましょう。そして実のある歩みを全うしましょう。

姉妹たちの祈りの生活が今より何倍も祝福されますように。

                             アーメン!

 

 

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