聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「人生で一番価値あること」

今朝のニュースで女子スピードスケートで小平選手が八年連続で500mで優勝して有終の美を飾ったとありました。

三歳でスケートを始めて、36歳の今まで鍛えぬいて、素晴らしい結果を残されました。スゴいことだと思います。

しかし、今日は、人生でそれ以上に値のある生き方についてお話したいと思います。それは、キリストに生きることです。

第一コリント 6:19,20*1

どのようにしてキリストを生きるのか

今回は、旧約聖書に書かれてあるモーセの幕屋からそのための幾つかにつてご一緒に学びましょう。

旧約聖書にでてくるモーセの幕屋は、三つの構造でできていました。

図右から~①外庭。②聖所。③至聖所と呼ばれる特別な部屋の3構造です。

そしてこれは、私たち人間の3構造をも表しています。

人は聖書では、①肉体 ②魂 ③霊 の3構造です。

自分のからだは、神から受けた自分の内に宿っている聖霊の宮であって、Ⅰコリント6:20

一番奥の部分の霊と共に聖霊は信じる者と一緒に住んでおられます。

キリストを生きる①

幕屋のまず最初には祭壇がありました。そこで祭司が毎日、罪のためのいけにえや、全焼のいけにえなどが捧げられていました。

それは、イエスキリストの十字架による贖いの犠牲を表す部分です。

私たちはイエス様の尊い贖いの血によって滅びの淵から買い取られたものです。

滅びの淵から救い出されるために御血で贖われたのですから、信じる者の人生の所有権は贖い取られたイエス様のものです。

そのことを認めて、主に日々、自分自身を毎日毎日新しくささげ直していくとき、祭壇の火のように聖霊の火は、私たちの上に下ってきます。

聖霊に助けられて、信じる者は主に礼拝を捧げ、また十一返金と捧げものとをもって主にお仕えします。それは主のものだからです。主のものを盗んではいけません。主に仕えるとき、さらなる聖霊充満の恵みに与っていくのです。

キリストを生きる②

次に幕屋の外庭には手を洗う「洗盤」というシンクがありました。

手を洗う手順はモーセ十戒に詳しく書かれてあります。

第1戒 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
第2戒 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
第3戒 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
第4戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
第5戒 あなたの父と母を敬え。
第6戒 殺してはならない。
第7戒 姦淫してはならない。
第8戒 盗んではならない。
第9戒 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
第10戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

十戒をぞんざいに扱うと良いことにはなりません。米国の公立学校で十戒が外されてから、益々の混乱が起きているようです。ほんとうは聖書の上に立って建てられた国だったのにです。アメリカは凋落傾向にあります。十戒をないがしろにしたからです。

この一つ一つは、偶像から離れるということを表していると思います。

一つ一つを祈る時、自分に当てはめてみましょう。

エス様以上に心煩わしていることはないだろうか。

あったらそれこそが問題です。

仕事がうまくいかなかったら、深呼吸して、「ああ聖霊様」と祈ってみる。

そして、主を賛美してみる。

悪い考えはないだろうか。

もたなかっただろうか。

もし、そうすることを怠れば、チリも積もればとなって、次第にやっかいなことになります。これくらいいいじゃないかとなって、救いの喜びや平安や希望が失われ始めていきます。実のない信仰生活を余儀なくされます。

もし心当たりあれば、聖霊様とごいっしょに心を探っていただいて、気が付いたら悔い改めの祈りをします。主は信じる者の心と思いをイエスキリスト様の御血で直ちに洗って潔めて下さいます。ハレルヤ!

キリストを生きる③

そうして私たちは、幕屋の内側に入ります。最初のお部屋は聖所と呼ばれる部屋です。そこには日ごとに新しく焼かれたパンが並べて置かれています。

信仰者にとってイエス様は天から降ってきたいのちの糧、パンです。

主はみことばです。みことばがお体をまとって降りて来て下さったそれは救い主イエスキリスト様のことです。

それは聖書に書かれてある一つ一つのみことばでもあります。

主が十字架にお付きになる時、39回の鞭を受けました。

それはあまりにも酷くて、残酷な、ただそれだけで息絶えてしまうほどの刑罰でした。ひと振りのムチは、胸や背中に食い込んで、人の体の肉片が飛び散るほどでした。

主はご自分の肉を食べる者は生きるとも言われました。

そうです。主のみ苦しみのムチ打ちの、飛び散った一切れ一切れの肉片は、私たちを生かす命の糧となったのです!

私たちイエスを信じる者は、生ける聖書のお約束のみことばの一つ一つによって肉体の病の癒しを受けることが出来るのです。

そのためにはまずイエス様を救い主として信じ受け入れて下さい

聖書は主の打たれた内傷によって癒された!と宣言しているではありませんか。

「聖書のお約束に従って、私の諸々の不義を罪を認めます。

主が私の罪のために十字架に掛かって死なれ、3日目に甦られたことを信じます。アーメン。」と言って、今、お祈り下さい。そして、聖書のお約束に従って私に○○の病をいやしてください。そう口に出してお祈り下さい。

そして、霊の糧である聖書を読みましょう

聖書をないがしろにせず読む!聖書はきよい神様の愛の御心が詰まった本です。聖書をぞんざいに扱わないようにしましょう。大切にしましょう。

キリストを生きる④

そして、そこには聖霊さまを象徴する七つの枝を持つ燭台が置かれています。

神第三位格の聖霊さまは私たちのボスです。

会社でいえば社長で、教会でいえば主任牧師でいらっしゃいます。

人生の先輩であり、主任であり、教師であり、友人であられます。

「今日も聖霊さまを歓迎します。聖霊さまが共におられることをお認めします。あなたを愛します。今日も共に歩みましょう。」そう言って、一日を始めましょう。

今の終わりの時代にキリストを生きる

このようにして私たちはキリストを毎日生きるように努めなければなりません。聖霊さまは、聖書を通じて私たちに幕屋の構造によって私たちがキリストを生きるようにして過ごすように教えて下さっています。

今は終わりの時代です。

初めの祭壇を通って、洗いのシンクがあり、そして備えのパンがあって、七つの燭台が見えました。
これら一つ一つは、私たちがキリストを日々生きるために備えられています。

かつて、イスラエル人たちがエジプトを脱出する晩、彼らは急いで羊の肉などを食べるようにと旧約聖書出エジプト記という所に書かれてあります。

手には杖をもって、そうです、旅支度をした格好で、急いで食べなければならなかったのです。それは、その夜、死の使いが家々を通り越していった際に、家の戸口に動物の犠牲の血が塗られた家は素通りしたからで、戸口に血を塗らなかった家では、初めに生まれた子供や家畜に至るまで死に絶えたからです。

その晩、イスラエル人たちは約束の地を目指して、エジプトを脱出しました。

キリストを生きる~携挙が近づいてきているからです

この晩の出来事は、後の私たちクリスチャンが、この世では旅人であり寄留者であることを表しています。

旅の準備は良いでしょうか。

行先は、キリストの婚宴がまつ御国です。

わたしたちは歳を取れば腰は曲がり、以前できたこともできなくなります。私たちのもっとも外側の存在、肉体は徐々に衰えるからです。

しかし私たちは、イエス様をまだ知らない人たちがするように、この世がすべてであるかのようには過ごしません。

主を信じる私たちは、キリストを日々生きることによって、花婿が待つ天の婚宴に旅立つ準備を整えて、その日に備えるからです。

だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。第二テサロニケ 2:3

最近になってこの個所の誤訳がささやかれ始めています。「背教」と訳してあるところの本当の意味は「携挙」だというのです。「出国」しゅつごくが原意で、それは恐るべき患難期の直前にかならずや「携挙」があるということを教える個所だったのです。

私たちはあのまず祭壇のところで主イエスの血の贖いに与り、洗盤で日ごとに手を洗い潔め、聖霊様と共にみ言葉に与り、進んでいくのです。

しかし、これは私たちが、御血によってイエス様のものとされているということを意味しており、私たちにとって生きることはキリストなのです。

キリストを生きることによって、携挙の備えをしましょう。

この世界は沈み行くタイタニック号のようなものなのです。

この世は沈みゆくタイタニック

人々はデッキの上で音楽に聞き入り、ワイン片手に語り合い、人生を楽しんでいたはずでしたが、船の底から海水が浸水し始めていることを知るべきでした。

人生で一番価値あることは、神に仕えることであり、キリストの人生を生きることなのです。

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:6:19あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 6:20あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。