聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「クリスチャンに与えられている祈りの務め」

前回は「試みに打ち勝つ」というテーマで、ご一緒に、エペソ6章のみことばを開きました。

今回も、同じ個所からもう一度「クリスチャンに与えられている祈りの務め」というテーマで、先週と同じところ、さらにその数節先を見ていきましょう。

エペソ6章10節~20節*1

前回までのおさらい

前回は信仰の武具から、まず「真理の帯」がありました。

古代ローマの兵士の腰あたりの前掛けは、大事な消化器官、排せつ器官などを守りました。それはクリスチャンにとって、み言葉を毎日食べて、霊的生命を維持していくことを表します。まさに腰は要です。

二番目「正義の胸当て」は人間にとって最も大事な心臓や肺を守ります。生きて働くサタンは人の思いに、悪い考えを植え付け、聖書通読に思いを集中できなくさせてきます。たとえばそれは、失望したり落胆させられるようなできごとだったり、記憶などによります。そして、汚れた思考などです。

信じる者にとって「正義の胸当て」は、イエス様の十字架の血による義以外にはありません。御血は私たちの思いを悪から潔め、また悪しき思いからあらかじめ守って下さいます。

御血を私の胸に注いでください。悪い考えから、私を潔め、またお守りくださいと祈りつつ、あらかじめ飛び来る火矢(今でいえば弾丸でしょうか)に、備えることが出来るのです。

三番目は、「平和の福音の備えの靴」でした。

それは備えられたあらゆる事態に対処できるように作られた兵士の靴です。

聖書の中にはたくさんの祝福のお約束のみことばがあります。

神は、私たちがそれらを通読を通して見つけて、そのみ言葉を握って、主に嘆願して祈ることを待っておられるのです。

「果報は寝てまて」と言いますが、個人的な必要や、知恵や、知識や、お導き、癒しについては、さらに魂の救いのためにも答えを得る祈る必要があるのです。

四つ目は「信仰の大盾」です。

それはみ言葉を通して得られる神様への信頼です。

イザヤ書 46:3,4.には、私たちが生まれる前から、神様が私たちのことを御存知で、背負い、持ち運んでこられたと書いてあります。しかも老年になっても続けてそうして下さるというお約束なのです。白髪頭になっても、「背負い続け、救い出す」!と約束されています。感謝!( ;∀;)

最後の救いの兜(ヘルメット)と剣がありました17節です。

霊の戦いに有効なのは、神のみことばによる力と権威です。

心がぐらつくような時や確信がないときや、動揺するような時には、ぜひ、適切なみ言葉を聖書の中から探し求めるといいのです。

霊の武具は、とりなしの祈りに参戦するためにある

最後に、パウロ古代ローマ兵を思い描き説明してきた装備の数々は、私たちクリスチャンが「真の霊の戦い」に参戦するためにあるものです。

なぜかというと、クリスチャンが祈りの務めに立ち上がる時、必ずサタンは祈りをやめさせようとしてくるからです。

パウロは、これらの信仰の武具で装備して、祈りの務めを続けていくようにと願いを込めて書いたのではないでしょうか。

みことばを日々咀嚼(そしゃく)。

御血による勝利を宣言しつつ心と思いを覆っていただく。

あらゆる十全の備えのみことばを感謝してつかんで、主に嘆願し願い祈る。

ヤーウェ・ニシの守りに与りつつ。

適切なみことばによる日々の支えと守り。

モーセの執り成しの祈りと、アロンとフルの祷援

17:8ときにアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った。 17:9モーセヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。 17:10ヨシュアモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。 17:11モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。 17:12しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。 17:13ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。出エジプト記 17:8-13.

この戦いの勝敗を決したのは、モーセの丘の上での祈りでした。

しかし、モーセも人間ですから、次第に腕が疲れてきて、下がってくる。

そうすると敵が優勢になる。

しかし今度は、アロンとフルの二人が両側からモーセの腕を日没までしっかりと支え続けました。するとイスラエルは優勢となり、最後には敵を完全に打ち破ったとあります。

ここで私たちに語られている真理は、一人だけの祈りでは十分ではないということです。

リバイバル(信仰復興)の国、韓国の教会では牧師のために特別に祈る務めをするスタッフがいると聞きます。

そんな先生方が外部の教会などに頼まれてメッセージをされに出掛けるときなどは、必ず祈る人に同行してもらうそうです。

次のバウンズの言葉「あなたは説教者のために祈っているでしょうか」ご覧ください。

ただ公の場所での祈りだけで、‥‥個人的に祈りもしないのでは、ほとんど価値がありません。祈っている人たちは説教者にとって、ちょうどアロンとフルがモーセの助けとなったように助けになります。こういう人たちは、説教者の手を持ち上げて、彼らの周囲で激しく荒れ狂っている戦いに決着をつけるのです。 EMバウンズ

モーセとともに祈るアロンとフル。

これは教会の牧師とともに祈る、祈りの兵士のことを言っているのです。

私たちの教会では、S姉やY兄が私と共にいつも祈ってくれるので感謝です。

私たちは祈りあわなければいけません。

いろいろな方法で祈りあえます。電話を使っても祈りあえますし、オンラインも可能だと思います。

サタンは疲れだとか、問題だとか、多忙だとか、なんとなく祈れないだとか。

いろんな方法で祈ろうとして立ち上がりだしたクリスチャンを狙い撃ちしてきます。

わたしなんか、多くは祈れないと言う方

神様は私たちに、祈るためのお約束を下さっています。

56:6また主に連なり、主に仕え、
主の名を愛し、そのしもべとなり、
すべて安息日を守って、これを汚さず、
わが契約を堅く守る異邦人は――
56:7わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、
わが祈の家のうちで楽しませる、
彼らの燔祭と犠牲とは、
わが祭壇の上に受けいれられる。
わが家はすべての民の
祈の家ととなえられるからである」。

イザヤ書 56:6,7

私たちの体は聖霊の宮、つまり「祈りの家」です。

安息日を守るとは、安息日の主を礼拝することにほかなりません。

つまり日々、主を主としてあがめ礼拝を捧げていく人のことです。

契約を堅く保つとはみ言葉通りに歩み続ける人のことでしょう。

聖霊は従う者に与えらるのです。

55:1「さあ、かわいている者は
みな水にきたれ。
金のない者もきたれ。
来て買い求めて食べよ。
あなたがたは来て、金を出さずに、
ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。イザヤ書 55:1

報酬と恵は違います。

報酬は対価です。

しかし恵は信仰によって与えられるものです。

私たちは、恵によって(主イエスの御血)祈る霊を注いでいただいて、祈ることが出来ます。

主よ。

御血によって私に祈る霊、聖霊さまをお注ぎください!

 そう言って願い祈りましょう。

多くを祈れることでしょう。

チョーヨンギ先生が書かれた本の中に、ある晩の家庭礼拝でのことが書かれてありました。

家拝の途中、息子さんがお母さんに、お父さんはたくさん祈るけど僕にはできないよと話しかけたそうです。

するとお父さん(チョウ先生)は、静かに自分の昔のことを息子に話してあげました。実家はとても貧しくて、自分は高校一年のとき退学しなければならなかったこと。その後、当時、不治の病と言われた肺結核で吐血して、死を待つばかりだったこと。当然貧しかったので高額な治療費などは論外でした。

しかしお姉さんの友達がクリスチャンで訪問を受け、病床で信仰を持った氏は、その後、奇蹟的に癒しを体験したのです。病巣は癒えました。

そして、お父さんは息子に言いました。

お前のお父さんはそんなお父さんだけど、いま誰よりも大きな教会の牧師として働いている。これはみんな神様のお恵みによることなんだよ。

だから祈れるってことは、全部神様からの恵みによる、つまり聖霊さまのお力によるものなのだよと教えてあげたそうです

息子さんは静かにその話を聞いていたと言います。(The Key to Revival.)

 

自分なんかそんなに祈れないと思うかもしれませんが、自分で祈ろうとしているからです。祈れるように助けて下さいと言って、聖霊さまを待ち望めば祈るようになれるのです。

 

 天のお父様。

 イエス様の御血のゆえに、

  祈る力:聖霊

   もっと多くお与えください。 

           アァメン。

 

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:6:10最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 6:11悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 6:12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。 6:13それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。 6:14すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 6:15平和の福音の備えを足にはき、 6:16その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 6:17また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 6:18絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。 6:19また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。 6:20わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい。