聖書のある暮らし

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「大改造された人」

みなさん、こんにちは。釧路リバイバルキリスト教会 庭の家チャペルの伊藤ともうします。今回は、創世記1章の天地創造の個所から、「大改造された人」という題でご一緒にみ言葉を学びましょう。

創世記1章*1

「大改造された人」という大きなタイトルなのですが、今回の創世記1章1節と2節の間には、途方もない年月があったという解釈が昔からあります。 

新改訳第三版ではここを「茫漠」と訳していますが、茫漠とはぼんやりとしていて掴みどころのないことを言います。神が創造されるものはすべてが「良い」と一章の他にはあることから、神がそのような漠然としたものを創られるはずはないとう見方です。イザヤ書にもそのことを裏付ける個所があるようです。

1節と2節の間にあったこと

では、気の遠くなるほどの長い年月のその間に、この地に一体何があったのかというと、イザヤ書、エゼキエル章には大天使ルシファーの堕落という出来事が記されています。

礼拝の天使長として創造されたルシファーは、自らを礼拝の対象とするようになり、そのためこの天地は「茫漠」となってしまった。

しかし、神様はもう一度新しく天地を造り直されたというのです。

今私たちが住むこの地は、大改造された世界だというのです。

もしこの説が正しいなら、私たちは、この創世記の一章を違った角度から見ることが出来ます。

堕天使ルシファーがサタンと化し、その後、全天全地を治める者として造られた人が、サタンに惑わされ罪を犯し、エデンの園を追放された。

しかし神はその後6日間かかって天地を改造された。

そしてその作業の中に、イエス様を信じる者のうちに起こる新生;新しく生まれ変わることの型をここに見ることが出来るという解釈です。

光の創造

神がまず最初に着手された再創造は、光でした。3節

この光は太陽の光ではないことは前後の個所から容易にわかります。

太陽などの光るものとは別の光でした。

世界にはそのような光が必要だったのです。

その光について新約聖書はこう言っています。

1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2この言は初めに神と共にあった。 3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 4この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。ヨハネ 1:1~4.

光がないと私たちの暮らしは困ります。

しかしこの光は物理の光ではありませんでした。

それは聖霊の光だったのです。

もし人のこころに光がないと、その人は簡単に自分の罪と欲との中に転げて生きるようになり、やがてはサタンの支配の中で、夜の生活を送らねばならなくなります。

簡単に欲と罪の奴隷となり、放蕩と飲酒などで、自分を滅ぼすことでしょう。

しかしこのヨハネのみことばのように、宇宙の根源なる光があって、その光が私たちの心の中に聖霊によって照らされ始めるとき、信じる者の歩みは再創造の力で新しくなります。

大空の創造

二番目の大改造は6節~。それは大空でした。

天は地を支配します。

今回のロシアによるウクライナへの侵攻で、ロシアがなかなか勝てないのは、ウクライナがロシアに制空権を渡していないからだと聞きます。

制空権とは支配権です。

そして聖書が示す「大空」とは、言うもでもなく神の栄光のご支配のことです。

このことが意味するところは、人間中心主義の世界から神の主権によるご支配への変換を意味しています

私たちが祈る時に、自分が考えていなかった新しいアイデアや動機がやってくることがあります。それは神のご意志とご支配によることです。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
主は言われる。
9天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。イザヤ5:8,9.
祈りをもって自分の意志を神様に明け渡そうではありませんか。

もし、私たちがみ言葉と祈りに時間を費やして、神様に自分の考えていることや、願いや、計画を明け渡していくなら、神のご支配の大空~神中心主義の生活が現れるようになります。

この大空が心の中にないと、人生に行き詰まりを経験するようになりますね。

また、毎日が、ただの繰り返しで終わることになります。

私はイエス様の贖いの御血によって救われて、神の子となりました。

ですから、私たちは主権者なるお方の御心を行うように、日々自分の胸の内に神のご支配なる大空を覚えて、歩むように導かれています。感謝しましょう。

陸と海の区別の創造

神の三つ目の大改造は、植物の生える乾いた地と海を区別されたことです。

9節~。

10節。水の集まるところを海と命名され、乾いたところを地と名付けられました。注目すべきは、神は明確に乾いた地と水のある海とを分けられたことです。

これは何を意味しているでしょうか。

12節には、種類に従ってきちんとした区分けがなされています。

今の時代は、白を白と呼べない時代になってきました。

白は黒で、悪と善の区別がなく、正しいことを言うとバッシングされるような時代になりました。新聞には驚くような報道があって、真偽は疑わしいことがあります。

しかし、「大空の支配」とは、私たちが神の主権を認めて歩みだすときに、神様は、私たちの心の中に、陸と海とが分けられたように、私たちの生活の中に、明確に、正しいことと正しくないこととを分ける判断力、理解力を回復させて下さることです。

野菜や果物が種類に従って種まきと収穫とがあります。

これは、きちんと整った生活ができるようになるということです。

それは神様が創造の初めにそのように定められたからなのです。

義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれるヤコブ 3:18

エス様が、ゲラサ地方のレギオンという多くの悪霊を宿した狂人を解放されたことが新約聖書に書かれてあります。

面白いことに、この誰にも手の付けられなかった狂人が、主のお力で解放された後、きちんとした身なりで座っていたとあります。

平和と秩序ある生活は主を信じる人に神様が下さる生活です。

人間である私達にはイエス様が必要です。

太陽 月 星の創造~時を知る能力

14節~。

第四の聖霊による人間改造は「時」をわきまえる理解力についてです。

ギリシャ語には時という言葉が二つあります。

クロノスとカイロスです。

クロノスは一般的な時刻を指す言葉で、カイロスは、神がお定めになったある特別なときのことです。

この神の定めの時をわきまえる力は、勉強してわかるものではありません。

一般的な時は、太陽、月、星々の運行があって、定められた年月があります。

それは年を、定刻を理解するためです。

16聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 17それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。第二テモテ 3:16,17

聖書の著者は聖霊様です。

だから聖霊の霊感がなければ聖書は理解することが出来ません。

たとえば自分が今、何年何月のどの辺にいるのか?

それに従って、わたしたちは必要な備えをしたり、体調を整えるとかをします。時をわきまえないと、時間を浪費し、大事な機会を取り逃がします。

盲目の人だったバルテマイは、イエスが近くを通り過ぎると聞くと、力の限り叫んだではありませんか。「私の目を開けて下さ~い!」と。

祈りとみ言葉で、私たちも何をすべきなのかを教えて頂きましょう。

私たちも時にかなった振る舞いをすることができるために、どうか聖霊さまによって年と月をわきまえることが出来るように祈りましょう。

自分は何をすべきなのか、何を祈り求めるべきなのか、誰のためにとりなし、救霊の種をまけばいいのか、時をわきまえる理解力は、ただただ神様が与えて下さるものです。

携挙を理解する能力

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。マタイ 24:40-44.

教会は初代教会のときから、このような緊迫した信仰観をもってきました。

人の作った神学ではこれを理解することはできないようです。

ただの平和主義者や楽観主義的な預言の解釈と教会の備えは、聖霊によるものではありません。

水と地と空にある豊かな資源の創造

最後は20節からのところです。

そこには水と地と空にある豊かな資源のことが書かれてあります。

釧路は昔、漁業で大変栄えた町でしたが、二十カイリ問題ですっかり衰退してしまいました。豊かな海の資源が制限されたからです。

しかし神様は今もみ言葉に従い、こころに聖霊による光と時をわきまえる賢さを受け入れて歩むとき、豊かな資源を、必要なものを備えて下さるお方です。

もし行政のリーダーたちがカイロスを弁えさえしていたら、釧路はここまで衰退することはなかったと思います。

創造の初め、人間は天地を支配するほどの支配権を神様から戴いていました。

26~27節ですね。人間は神に似せて創造されたからです。

光と大空のような支配権。制空権。イエス様を信じることによる心の秩序と平安。

太陽のような月のような時を悟る知恵のこころと洞察力。

そして、そのような謙遜な器に、神様は必要なもの一切を備えて下さる。

この一章は私たちに、そのように語られているのではないでしょうか。

人生を主にあって、支配して歩みぬくのだと。

これらのことを私たちは学びました。

 

どうか、主の贖いの血潮によって私たちは今日、堕天使ルシファーによって茫漠とされたこの宇宙を主が大改造されたように、小宇宙と呼ばれる私たち一人一人の内に、キリストにあって、これらを施して下さった恵があることを受け止めて、主にある大改造の歩みを実行していくようにしていきましょう。

 お祈りを致します。

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:

1はじめに神は天と地とを創造された。 2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 8神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
9神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。 10神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。 11神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。 13夕となり、また朝となった。第三日である。
14神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 15天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。 16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 17神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、 18昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 19夕となり、また朝となった。第四日である。
20神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。 21神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。 22神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。 23夕となり、また朝となった。第五日である。
24神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。 25神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 29神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。 31神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。