「真理の町に住む人」
このゼカリヤ8章は、古代のエルサレム再建について書かれたものですが、私たちの生きているこの時代とも関係があります。なぜならこの書は世の終わりについて書かれた預言の書だからです。
今回はこのゼカリヤ8章から、「真理の町に住む人」というテーマでみ言葉を学びましょう。
ゼカリヤ8章*1
2節に「主はねたむ神」とあります。なぜかというと、バビロンによって捕囚の民となったイスラエルがペルシャの王クロスの命により、晴れて都に帰還するのですが、その後、様々な反対にあい、再建工事は難航します。やがて民の心は次第に神殿再建と都の再建という事業から離れていき、はじめにあった熱心さは失われていったからです。
真理の町
3節には、「真実の町」とあります。
それは「真理の町」とも訳せます。
真理とは時代がどんなに変わっても変わらない神の御心のことです。それは聖書です。
私たちは定期的に、また時間があるときは、聖書に手を伸ばして、神の御心に思いをにひそめる必要があります。ささいなことで、信じる人の気持ちや関心事が、御心から離れていくことが多いからです。
4~5節は千年王国のことが書かれてあります。
真理の町とは千年王国のことです。
千年王国とは、この世界の終末に、イエスキリストが再びやってきて、世界をすべ治めるようになる期間のことです。
世界はウクライナの問題で、これまでの世界秩序の崩壊を目にしています。しかし、天地を造られた神が一言、「やめよ」と命じれば、世界に平和が訪れます。
6節にあるように、私達にはできなくても、主にはできないことはないからです。
世界の歴史は戦争の歴史だと言われています。21世紀に入っても、人は進化するどころか後退しはじめています。主が治められる千年期がくるまで、世界に平和は訪れることはないのです。
7~8節は、イスラエルの再建の預言です。
この古い聖書の預言は1948年に成就しました。
二千年近くもの間、世界中に散らばっていたユダヤ人たちが、今も続々とイスラエルに帰還しています。特に今回の戦争では、ウクライナ、ロシアから多くのユダヤ人系避難民がイスラエルに帰還したそうです。
教会を第一にする生活
古代イスラエル人は、都と宮の再建のビジョンを失って自分たちの生活や暮らしの安定に心が向けられていったとき、何と書かれてあるでしょうか。
「かせいでも報酬がなく‥‥出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安はなかった」というのです。
これは、終末の時代にあるクリスチャンへのメッセージです。
クリスチャンでありながら、教会が生活の中心にないなら、他のことにおいても経済的にも、健康面でも、あまり恵まれない生活を送ることになるのではないでしょうか。教会生活を第一にして、教会の前進を願い、主の務めに捧げていくなら、、、、
8:15そのように、わたしはまた今日、エルサレムとユダの家に恵みを与えよう。恐れてはならない。
主は祝福を与えると約束されています。
真理の町の住人
16~17節。
ここには、真理の町に住む人の過ごし方が書かれてあります。
真理の町ですから、神様は信じる人を御心にかなう歩みへと導いて下さいます。
箴言と真理の町
今、教会では通読通読個所*2で箴言を読んでいますが、そこには、「たしなみのない女」とか「浅はかなもの」だとか、「愚かな者」とか出てきます。
これは、神様を認めようとしない、この世のことを語っているのです。
愚かなもの、弱いもの、非力なもの
ある日、イエス様のところに子供たちがやってきました。お母さんがたが、手を老いて祝福のお祈りをしてもらいたかったからでした。
そのとき、弟子たちがそれを妨害しました。
しかし、主はそのとき「そのままにしておくように。」、「天の御国はこのような者たちのものだから」言われました。
大事な教訓がここにはあります。
幼子とは、自分が力ないもの、一人では生きていけないことを誰よりもよく知っているからです。
親がなかったら明日からどうやって生きていけばいいのか、子供にはそのすべがありません。もう全面的に、自分を養ってくれる人に頼らざるを得ないので、そこには「自分で何とかした」という考えはないのです。
真理の町に住む人とは
つまり、真理の町に住む人とは、自分の無力さを認めて、霊的道徳的、知的にも意志の力においても、自分という人間は、間に合わないものだとういうことを認めて、ただただ聖霊さまのお助け、み言葉のお助けに寄り縋(すが)るほかない~自分とはそんな者なのだということを毎日、毎日、認めて歩む人のことです。
19~節。この断食の習慣は、イスラエルが捕虜としてバビロンに引いていかれた時から始まった習慣だったといいます。
しかし、そんな悲しみの習慣が、逆に楽しみと喜びの祭に変わるというのです。
どうしてでしょうか。
自分が主の前にも人の前にも足りないものであることを知れば知るほど、また自分の愚かさや、罪深さを知れば知るほど、それは、主が、御血潮で私を日ごとに潔めて下さって、自分にはできなくても聖霊さまのお助けによって、次第に作り変えられていくようになるからです。
そして、これからもそうしてくださる神様に、ただすべては主の栄光ですと。主を賛美するようになるからなのです。
20節~。ここに再び、千年王国の預言があります。
世界はやがて、そのような主の御心を尋ね求めて歩む人たちによって支配され、導かれていくような時が来るとの預言、これが千年期に起こることの預言です。その日には、今は軍事力を誇るような強い国々からさえも、主を求めて、エルサレムにやってくるという預言です。世界の首脳者たちは、主を尋ね求めて世界中からエルサレムにやってくるようになる時が来るのです。
そのことは黙示録で預言されています。
20:4また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。黙示録 20:4
主はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰る。エルサレムのただ中に住む。エルサレムは真実の町ととなえられ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれようになる。」ゼカリヤ書 8:3
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。
*1:
第8章
*2:一年間で聖書を読了します。一日4章くらいのペースです