「パウロの祈りのリクエスト」
ウクライナのための祈り
ウクライナの人々のために祈ります。
怪我をしている人たち。悲しみの中にある人たち。
恐れと不安の中にある人たちを支えて下さい。
彼らのそばにいて、彼らをお助け下さい。
癒しと守りが彼らの上にあることを。
イエス様のお名前によって祈ります。アーメン
「パウロの祈りのリクエスト」
「力をつくして」とありますが、聖書の原語ギリシャ語で、競技を一緒にする、共に戦うという意味です。ともに祈るという事には、共に戦うという意味があります。
使徒パウロはここで三つの祈りの課題をローマ教会の皆さんにお願いしています。
①ユダヤにいる不信仰な人々から救い出されますように。
「不信仰な人たち」とは、イエス様の十字架による救いだけでは不十分で、ほかの何かが必要だとする人たちのことをいいます。ここでは、ユダヤ教徒らの儀式、割礼や律法を尊守する人たちのことです。
使徒パウロは、そんな人たちから、それまで幾度となく命をつけ狙われてきました。
パウロは都合上、エルサレムに戻る予定でした。そこには、そんな考え方の人たちが、たくさんいました。当然、彼は身の危険を感じていました。
迫害や困難を避けて通ることは叶いませんでしたが、危うく命を落とすところでしたが、新約聖書の使徒の働きという書には、神様は、その時もパウロを守って下さったことが記されています。
神様は従う者の命や健康を守られるお方です。アーメン。
②エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように
どうしてパウロはこのような祈りのリクエストを書いたのでしょうか。
「受け入れられるものとなりますように」ということは、そうはならないかもしれないという恐れがあったことを意味していたのです。次の聖句を見て下さい。
9:12なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補えだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。 9:13すなわち、この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し、 9:14そして、あなたがたに賜わったきわめて豊かな神の恵みのゆえに、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのである。 9:15言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。 9:12-14.
パウロの愛の贈り物
エルサレムに住む初代教会の信徒たちは迫害の中、生活は貧しく、十分に食べたり飲んだりできなかったのかもしれません。福音は母教会エルサレムから異邦人だったローマ社会へと届けられた。だから物質的なもので感謝の支援をしようではないか。パウロは、自ら先頭にたって次々と建て上げていったローマ社会の異邦人教会から愛の支援金を集めました。
この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し、 9:14そして、あなたがたに賜わったきわめて豊かな神の恵みのゆえに、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのである。
パウロは愛の贈り物を通してエルサレム教会が、どうなるかというと、それまで持っていた間違った異邦人教会に対する見方がいい方向に変わるだろうという期待をここで述べているのです!
ということはエルサレムの教会では異邦人の教会に対する感謝や、慕う心、また彼らのため祈ることもなかったということを、ここで逆を言えば、語っているのです。
パウロは自分の命を懸けて、異邦人教会とエルサレムの母教会との間を取り持ち、良い交わりが始まることを期待していました。
しかし、結果は
「使徒の働き」にそのへんのくだりは詳しく書かれています。
パウロは大胆にエルサレムに入っていきました。そして主の兄弟でもある初代教会の総裁ヤコブにあっています。しかし、そこには、パウロが巨額の捧げものを携えてきたことについては、何も書かれていません。その代わりに、ヤコブがまず最初に言い出したことは、パウロという人は、エルサレムの教会界隈では、あまりよく思われていないこと。その問題をどうしようかという事の一点に絞られていたのです。
ついぞ、彼が苦労して集めて運んできた愛の贈り物については何の評価もありません。
異邦人教会というのは律法を守らないので、おかしな教会なんじゃないか、という非難と偏見でした。
パウロの祈りは聞かれなかったのでしょうか。
③その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように
「憩いを得ることが出来ますように。」
①エルサレムで不信仰な人たちから守られること
②愛の贈り物が受け入れられること
そして、三番目は、それらの大役と危険なミッションを成し遂げて、ローマに出発し、ローマの兄姉らとの交流を通して、充電されて、そこを足場にして、遠く最果ての地、イスパニア、今のスペインにまで福音を届ける旅に出掛けること。
それがパウロの切なる願いでした。
果たしてこの三つのパウロの願いは聞き届けられたのでしょうか。
結果はというと、エルサレムではもう少しで殺される目にあい、
愛の贈り物もその後どうなったのかわからない。
そして、ローマに安心して出掛け、憩いを得る。
パウロは囚人としてローマへ護送された
いいえ。「御心が天で行われるように、地でも行われますように。」
神の願いはパウロの願いよりも大きく、その祈りへの答えは、パウロの願いをはるかに超えたものだったのです。それはパウロにも最初は分からなかったことでしょう。
9:15しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。使徒9:15.
囚人として、パウロがローマに送られなければならなかった一番大きな理由は、時の皇帝の前でパウロがイエスキリストの福音を弁明し、福音を届けるためだったと私は推察します。
パウロは「聖霊さまのご愛によって一緒に祈りをもって戦ってほしい」と願いました。そしてローマの教会に皆さんも、異邦人教会の方々も一緒に祈って闘ってくれたことと思います。
しかし途中、あれれパウロ先生は一体どうなっちゃったのだろう? そんなところを通ってではありましたが、そして、その結果は、多少願っていたとおりではなくても、神様は、兄姉らの祈りと共にあって、しっかりと彼らの祈りに耳を傾けて、事を行ってくださったのです。ハレルヤ!
愛という借金
この手紙の冒頭。パウロは、返さなければならない負債を負っていると書いています。
1:14わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。ローマ 1:14
この「果たすべき責任」と訳されている言葉は、「負っている負債がある」というのが、ギリシャ語の本当の意味です。
パウロは多くの人たちから大きな誤解を受けていました。邪魔者扱いされ、冷ややかな目で見られました。しかし、最後まで負けることはありませんでした。その理由は、イエス様から返しても返しても返済しきれない、大きな神のご愛の負債を負っていたからです。だからどんなに誤解されても、最後まで福音お伝えし続けることが出来ました。
私達はどうでしょうか。
お前はだめなやつだ、と絶対に言わない神様
私たちはイエス様、天のお父様、聖霊様から、多くの愛の謝金を負っていることを考えたことがありますか。
「御霊の愛で私とともに祈ってほしい。」
それは当初願ったようには、かなえられなかったもしれません。
しかし、主は彼らの祈りに答えて、願いを越えて、御心を成し遂げられました。主を信頼して共に祈りをもって、共に戦おうではありませんか。
祈った事とは違う結果に見えるような時があっても、このみことばのように、主は期待以上のことをなして下さるお方なのですから、あきらめないで、期待して、信じて、いっしょに祈り続けていきましょう。
信仰を、希望を告白して、ともに力を合わせて祈りましょう。
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。