聖書のある暮らし

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「み言葉に従う歩み」

、今回はご一緒に、箴言の3章から「み言葉に従う歩み」というテーマで学びましょう。

箴言3:1~20.*1

箴言に書かれてある祝福の数々

箴言を読んでいると、そこで語られている「知恵」とは、イエスキリストのことを言っているように感じることが多々あります。

特に19節では「主は知恵をもって地の基をすえ、悟りをもって天を定められた。」とありますが、聖書全体では、世界を造られたのはイエス様となっているので、このあたりからも箴言の知恵とは、イエス様のことだということがわかります。

この1~20節を要約すると、1節、わが子よ、私の教えを忘れるな、私の命令を心にとめよとあります。そして、続く二節では、もし私たちが聖書の言葉を通して、創造主を認めて歩むとき、「長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる」とあるのです。幸いな歩みをすることが出来ます。

3節では、「恵とまことを捨ててはならない」とあります。

恵とは神様のご愛、まこととは変わらない真理であるみことばです。

みことばは、私たちの歩みを照らして導かれます。

しかし、もし人がみことばよりも、自分の判断やえり好みを優先させるなら、せっかくの祝福は、悪魔に邪魔されて、私たちは数々の罪の行いや、むなしい生活を送ることになってしまいます。

4~6を読みましょう。

3:4そうすれば、あなたは神と人との前に
恵みと、誉とを得る。
3:5心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
3:6すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

7節からは、やはり、自分を知恵あるものと思うなと、主を恐れて悪から離れよと書いてあって、もし人が自分の判断や考え方を優先させるなら、8節にもあるように心も体も病気がちになってしまうのです。

3:8そうすれば、あなたの身を健やかにし、
あなたの骨に元気を与える。

神の願いはすべての人が健康であることです。

9、10

3:9あなたの財産と、
すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。
3:10そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、
あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。

現代の善と悪と知る木ともいうべき全収入の十分の一献金という祝福と呪いが聖書には書かれています。

聖書では十分の一は神のものなので、それは献金ではなく、返金です。それを教会を通して神様にお返しするとき、その人の経済や健康は恵まれるようになります。

11,12節には試練のことが書かれてあります。しかしたとえ困難があっても神様はそのような人を支えて下さいます。

13~18。

3:15知恵は宝石よりも尊く、
あなたの望む何物も、これと比べるに足りない。

信じる者にとってイエス様はすべてに優って尊いお方です。

知恵とはイエス様のことなのです。

知恵ある歩みをするためには

エス様を主として認め、知恵ある歩みを送るために、わたしたちはどうすればいいのでしょうか。

①イエスキリストを着る

13:11なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。 13:12夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。 13:13そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。 13:14あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。ローマ13:11-14.

主イエスキリストを着るということは、この箴言に語られているように、神のみ教えを自分の意見や理解よりも、優先させるという事です。私たちは生まれながら、古い人を内に宿しているので、神のみことばよりも、自分の考え方を優先させようとするところがあります。

つまり、人生の主はだれかという事です。主は主ですね。みことばを基準にして考え、祈り、従うということです。それは自分の生来の力では無理ですから、神様のお力を求めて祈り、あとは従うことによります。

②肉のために心を備えないこと

口語訳では、「肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」、新改訳では、「肉の欲のために心を用いてはいけません」となっています。

この「向ける」「用いる」というもとのギリシャ語は、プロノイアといい、「あらかじめ考えておく、事前に準備する、何かのために備えておく」という意味です。

どうして、聖書は心の準備ということを唱えているのかというと、生来の私たちの傾向が悪に走りやすいからです。

:5あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。 2:6神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。 2:7すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、 2:8他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。ローマ2:5~8.

とくに8節の「党派心」と訳されていることばは、ギリシャ語でエピセイアといいます。それは利己主義という意味があります。新約聖書党派心と訳されている個所があったら、そこを「利己主義」と読み替えてみると意味が分かりやすくなることがあるのでやってみてください。

ですから、人が心の中であらかじめ、よろしくないことを思考したり、たくらんだりする原因がこの「利己主義」にあるためだというのです。

実はこの自分のしたいようにするという利己的な考え方が、私たちを不幸にする原因なのです。

それが、生来の私たちが聖書のみ言葉に従えない理由です。

私達には、みことばよりも、自分の考え方を常に優先させようとする傾向が生まれながらにあるのです。

どうか、新しい一日が始まるたびに、「自分のしたいようにするという利己心ではなく、主の御旨になかう方向を日々選ぶことが出来ますように、聖霊さまのお力で私を助けて下さい」と祈りましょう。

異言の伴う聖霊バプテスマの祝福

そして、最後にぜひおすすめなのが、異言で祈るという事です。

なぜなら、人は日々頭で考えます。そして行動します。そして思考は言葉によります。異言の祈りは舌を聖霊の導かれるままにゆだねて祈る霊の祈り、天与のことばの祈りです。練習してできるものではありません。

ヤコブ書も言うように、大きな船体が小さな舵で制御されるように、霊のことばで祈る時、聖霊のお力で、私たちの毎日は正しい方向へと導かれていくようになります。

異言の祈りは私たちの小さくはあっても、人生の車輪を焼き切ってしまうほどわざわいと幸いのカギを握る器官です。その小さくても極めて大事な舌を聖霊さまのお働きにお任せするとき、主はおひとりひとりの歩みを祝福しようとして待っておられます。

今は、終末の時です。イエス様を信じて、異言の伴う聖霊バプテスマに与って霊で祈って聖霊に満たされていこうではありませんか。

 このように、聖書を読んで、み言葉に従うなら、豊かな祝福に与っていくことが出来るのです。み言葉に従うなら、命と幸いがあるのです。

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:

3:1わが子よ、わたしの教を忘れず、
わたしの戒めを心にとめよ。
3:2そうすれば、これはあなたの日を長くし、
命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。
3:3いつくしみと、まこととを捨ててはならない、
それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。
3:4そうすれば、あなたは神と人との前に
恵みと、誉とを得る。
3:5心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
3:6すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
3:7自分を見て賢いと思ってはならない、
主を恐れて、悪を離れよ。
3:8そうすれば、あなたの身を健やかにし、
あなたの骨に元気を与える。
3:9あなたの財産と、
すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。
3:10そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、
あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。
3:11わが子よ、主の懲しめを軽んじてはならない、
その戒めをきらってはならない。
3:12主は、愛する者を、戒められるからである、
あたかも父がその愛する子を戒めるように。
3:13知恵を求めて得る人、
悟りを得る人はさいわいである。
3:14知恵によって得るものは、
銀によって得るものにまさり、
その利益は精金よりも良いからである。
3:15知恵は宝石よりも尊く、
あなたの望む何物も、これと比べるに足りない。
3:16その右の手には長寿があり、
左の手には富と、誉がある。
3:17その道は楽しい道であり、
その道筋はみな平安である。
3:18知恵は、これを捕える者には命の木である、
これをしっかり捕える人はさいわいである。
3:19主は知恵をもって地の基をすえ、
悟りをもって天を定められた。
3:20その知識によって海はわきいで、雲は露をそそぐ。