聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「イエス様により頼む歩み」

f:id:seishonoarukurashi:20220203142108p:plain

この詩篇27篇は、ダビデが息子アブシャロムに追われたときのものとする説があります。今日はそういう観点からこの27篇をご一緒みていきたいと思ます。

詩篇27篇*1.

ダビデは、最初の数節で、主への完全な信頼する心を歌っています。「私は動じない。」戦士でもあったダビデでしたが、それ以上にゆるぎない主への信頼を歌っています。

ただ、ひとつだけ彼には願いがありました。それは、4節。

「わたしは一つのことを主に願った。私はそれを求める。私の命の日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見て、その宮で、思いにふけることを。」

息子アブシャロのクーデターで都落ちをしたダビデ王。

部下たちと逃げ延びたその先で、ダビデは聖なる都エルサレムでの礼拝の時間を思い起こし、慕わしく感じていたのかもしれません。それは素晴しい時でした。それは決して当たり前のことではありませんでした。

f:id:seishonoarukurashi:20220203145943j:plain

ところが、7節になって、急に調子が変わってきます。

主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、
聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。

どこか悲壮的な感じがしてきます。8節では‥‥

あなたは仰せられました、
「わが顔をたずね求めよ」と。
あなたにむかって、わたしの心は言います、
「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。
27:9み顔をわたしに隠さないでください。
怒ってあなたのしもべを退けないでください。
あなたはわたしの助けです。
わが救の神よ、わたしを追い出し、
わたしを捨てないでください。

この先大丈夫。神様が助けて下さる。そう祈るのですが、何か心にもやもや感があって、すっきりしない。なにかが足りない。ほんとうに大丈夫なのだろうか?

百戦錬磨の信仰の人ダビデでした。でも、もしかしたら神様への信頼の中にも、どこか揺らぐ思いがあったのでしょうか。

なにが原因で彼の心にそんな葛藤が生じたのでしょうか。

旧約聖書申命記を見てみましょう。申命記8:5-19です。

8:5あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。 8:6あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。 8:7それはあなたの神、主があなたを良い地に導き入れられるからである。そこは谷にも山にもわき出る水の流れ、泉、および淵のある地、 8:8小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、油のオリブの木、および蜜のある地、 8:9あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地である。その地の石は鉄であって、その山からは銅を掘り取ることができる。 8:10あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。

8:11あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。 8:12あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、 8:13また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、 8:14おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、 8:15あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、 8:16先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。 8:17あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。 8:18あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。 8:19もしあなたの神、主を忘れて他の神々に従い、これに仕え、これを拝むならば、――わたしは、きょう、あなたがたに警告する。――あなたがたはきっと滅びるであろう。旧約聖書申命記8:5~19

9に、「食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地」とあります。そこには鉱山もあって、鉄も青銅も産するところでした。最強の地ですね。そして10節ではそんな恵まれた生活の時にすべきことが書かれてあります。

あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝する、10節。

新改訳聖書では、そんな恵みの数々を下さった主を「ほめたたえ賛美する」と訳されています。

しかし11節以降には、そんなすべてがうまくいっているときに限って、忘れやすくなることについても書かれています。

おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。14節。

最も難しいこと

人は難しい状況下では耐えられても、それに優って困難な時がある。

それは恵みの数々を下さった神様を、その与えられた恵の数々のゆえに、逆に、忘れやすいということです。

12節。立派な家。豊かな食卓。羊や牛や金銀。新約聖書に、人の高慢、暮らし向きの自慢というフレーズが出てくる個所がありますように、そのような慢心しやすい時、主に感謝と賛美を捧げ続けられるような主に信頼を置くことは難しいことだといっているのです。

15節以降では、逆にそれ以前の厳しかった荒野時代での生活について述べられています。燃える蛇~疫病?危険が潜み、そこは水もない、ただただ荒地でした。毎日、毎日天から降ってくるマナだけを食べて、彼らは40年もシナイ半島を彷徨い続けました。水が飲みたいときは、岩が割かれて、湧水がほとばしり出ました。これらは全部、新約聖書の光を照らすとイエス様のことを言っていますね。イエス様は私たちの永遠の糧、永遠の清水ですから。

f:id:seishonoarukurashi:20220203162856j:plain

40年の間、荒野をひたすら旅し続けて、そこで生まれて、育った新しい世代のイスラエルの民がそこにはいました。物心ついた時から豊富なお野菜も、おいしいワインやごちそうもない。ただ毎日、マナが天から降ってくる。でもそれは新生イスラエルが約束の地に入るための準備の時でした。

16節。「先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。」新改訳聖書では「幸せにするためだった」と訳されています。

f:id:seishonoarukurashi:20220203163632j:plain

人はパンのみで生くるにあらず。

神のみ口から出る一つ一つのことばによりて生くるなり。by Jesus.

ダビデの嘆き

ダビデはこの詩篇27篇の最後でこう嘆きました。それはまたダビデの願いでもありました。

27:13わたしは信じます、
生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
27:14主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。
主を待ち望め。詩篇 27:
13,14

 私たちの歩みはどうだろうか

ダビデは、長いこと平和で安全な暮らしを楽しんだ後、身内のクーデターに命からがら逃げ迷うという人生最悪のみじめさを味わいました。そのとき、ダビデはもういちど聖都での主の臨在に与ることと礼拝の楽しみを思い起こして、荒野で次のステージを希望して、祈ったのではないでしょうか。

もういちど、自分をどんなところから拾い上げて、救い出して下さったか。神様のお恵みを思って、自分の自我を捨てること~この自分が優秀だったから、都の繁栄と名誉を得てきたのだという高慢を、ダビデはもう一度捨てて、神様に信頼するようにとのお導きを受けました。

しかし、人にはできないことも、神にはできます。

なぜなら、神にはどんなことでもできるからです。イエスキリストの言葉

信じようではありませんか。

私の心が不安や恐れ、焦点の定まらないような生き方をしているときは、自分の力に頼っている時である場合が多々あるのかもしれません。

主への信頼を新しくしよう

私たちは、信仰生活の中で、主に信頼して歩んでいるでしょうか。

私たちは、何かの務めを終えた後、主のお力で終えることが出来たのだということを覚えているでしょうか。

それとも感謝することも忘れてしまっているでしょうか。

「主のお力で~をすることが出来ました」。「与えられた精神力、知力、忍耐力、健康、それらは主のものです。ハレルヤ!」。

一日を終えるとき、振り返って、主に感謝して歩んでいるでしょうか。それとも当たり前に思って、一日をア~ヤレヤレ;ω;と終えてしまっているでしょうか。

f:id:seishonoarukurashi:20220203165118j:plain

新約聖書を読むとイエス様は多忙だったあと、務めを終えられたあとは、よく一人で退いて祈られたと書かれてあります。今日のこの日曜日の礼拝が終わった後、一人で祈ってみてはどうでしょうか。日曜の夜に、そして月曜の朝にゆるされた時間の中ででも祈るなら、主は下さったものにさらに加えて聖霊の注ぎをもって、お一人一人を祝福してくださいます。

すべての悩み、問題の根本の解決は、神に帰ること。

                      ちいろば先生

もしあなたの神、主を忘れて他の神々に従い、これに仕え、これを拝むならば、――わたしは、きょう、あなたがたに警告する。――あなたがたはきっと滅びるであろう。申命記 8:19

ほかの神々とは自分の力に頼ることを意味しています。しかし、私たちにとっては主が私たちの助け手です。主が私の病、問題、課題と戦ってくださることを思い出すべきです

イスラエルの家は、これに助けを求めるとき、咎を思い起こし、これを頼みとはしなくなる。そのとき、彼らはわたしが神、主であることを知る。エゼキエル書 29:16

このみことばは、イスラエルがそれまでは主ではなくほかの国々に助けを求めていたのを、悔い改めて、主を信頼することを学んだことについてのみことばです。

エスキリスト様に信頼しましょう。

私たちの問題や課題のために戦ってくださるのはイエス様ご自身です。

主に信頼を置きましょう。

 

 

f:id:seishonoarukurashi:20201216122008j:plain

 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:ダビデの歌

27:1主はわたしの光、わたしの救だ、
わたしはだれを恐れよう。
主はわたしの命のとりでだ。
わたしはだれをおじ恐れよう。
27:2わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、
襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、
彼らはつまずき倒れるであろう。
27:3たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、
わたしの心は恐れない。
たといいくさが起って、わたしを攻めても、
なおわたしはみずから頼むところがある。
27:4わたしは一つの事を主に願った、
わたしはそれを求める。
わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、
主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。
27:5それは主が悩みの日に、
その仮屋のうちにわたしを潜ませ、
その幕屋の奥にわたしを隠し、
岩の上にわたしを高く置かれるからである。
27:6今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に
高くあげられる。
それゆえ、わたしは主の幕屋で
喜びの声をあげて、いけにえをささげ、
歌って、主をほめたたえるであろう。
27:7主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、
聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。
27:8あなたは仰せられました、
「わが顔をたずね求めよ」と。
あなたにむかって、わたしの心は言います、
「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。
27:9み顔をわたしに隠さないでください。
怒ってあなたのしもべを退けないでください。
あなたはわたしの助けです。
わが救の神よ、わたしを追い出し、
わたしを捨てないでください。
27:10たとい父母がわたしを捨てても、
主がわたしを迎えられるでしょう。
27:11主よ、あなたの道をわたしに教え、
わたしのあだのゆえに、
わたしを平らかな道に導いてください。
27:12わたしのあだの望むがままに、
わたしを引き渡さないでください。
偽りのあかしをする者がわたしに逆らって起り、
暴言を吐くからです。
27:13わたしは信じます、
生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
27:14主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。
主を待ち望め。