聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「キリストを主としてあがめる」

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先週は、ロシアがついにウクライナに侵攻しました。

このような状況の中で、今回は世界に対する主の御心と、私たち一人一人に対する主の御心はなんであるのか、聖書から学びたいと思います。

詩篇97:1~7.*1

今回の有事にメディア、学者たち、評論家たちの間でいろいろな意見が見られます。ある新聞紙面にはこう書かれてありました。

民主主義陣営v.s.専制主義勢力

アメリカとその同盟国が主導してきた世界秩序からの脱却

民主主義の盟主、米国の主導で築かれた国際秩序への激しい揺さぶり、バイデン大統領の顔には悲壮感が漂っていた

ソ連が崩壊して冷戦が終わった時から、約30年間、比較的平和な時代が続いてきました。

ところが今回の事件の少し前にこんなことがありました。

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13:1わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。 13:2わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。黙示録 13:1,2.

最近になってですが、メキシコから国連に、この黙示録に書かれてある像と酷似したものが、平和の記念として寄贈されていたというのです!

国連の前に、このようなものが立っているという事は、決して偶然ではありません。体はヒョウ、クマの足、わしの翼。獅子のキバ。預言書のダニエル書には、加えて人の心が与えられたともありますが、この像をよく見ると、人の目をしているのです!

その獣の像とは、世の終わりの時代に興るとされている世界統一政府に関係しています。

世界の安定、秩序、平和のために祈る

使徒パウロは、弟子のテモテに世界の平和のために、為政者のために祈りなさいと教えました。なぜならパウロは、当時のローマの支配する世界があってこそ、自由に世界宣教の旅行を続けられることを彼は理解していたからです。

ですから、ロシアが退くように、ウクライナにある福音派ペンテコステ派の教会の方々や、国民のために安全と平和がくるように、一年でも一日でも平和な時が続くことを祈りましょう。平和な時代があって、福音は届けられるからです。

アメリカの支配があった時代

かつて清教徒たちが、聖書を土台とする国を造るためにメイフラワー号に乗って新天地にたどり着きました。聖書を建国の理念とするキリスト教の国家です。その後、もちろんアメリカは完全ではありませんでしたが、世界中に福音が届けられるために用いられました。

しかし、いまここにきて世界秩序に対抗し始めたのが共産主義のロシアや中国です。彼らは自分たちこそが真の民主主義などと変なことを言い出しています。

民主主義に対する挑戦?

政治学の先生らのお話では、民主主義に対する挑戦だと言われているようです。しかしこれは、それ以上のこと、つまりこの戦いは、世の終わりに起こる聖書があらかじめ預言していた出来事なのです。

主は王だ!

今日開いた詩篇の97:1「主は王だ」(新改訳聖書訳)とあります。

次のみことばを見て下さい。

 9:29モーセは彼に言った、「わたしは町を出ると、すぐ、主にむかってわたしの手を伸べひろげます。すると雷はやみ、雹はもはや降らなくなり、あなたは、地が主のものであることを知られましょう。出エジプト記 9:29

新改訳聖書では、最後の下線部は、「この地が主のものであることをあなたが知るためです」となっています。この旧約聖書のみ言葉は解放者モーセがエジプトの王ファラオに言った言葉ですが、もしファラオが全地の上に、自分よりも偉大な支配者が存在していること、また万物はその存在者が目的をもって創造したこと、そしてこの存在=創造主こそは、ただひとり、真の礼拝をお受けになるお方だ、ということを知っていたのなら、そんなひどいことはしなかったでしょう、という意味にとらえることが出来ます。彼らエジプト人イスラエル人を400年以上にわたって奴隷としてこき使ってきたからです。

そして、このことばは、そのまま今回のプーチン大統領の暴挙にも当てはまるもので、彼が真に恐るべきお方、唯一の神を知っていたのなら、ウクライナにこんな酷いことはしなかったのです。

ソ連の解体の時、ゴルバチョフという指導者がいましたが、彼はクリスチャンだということで、お母さんという方が、生きた信仰を持った方だったと聞きます。彼もクリスチャンだと思います。しかしプーチンには、そのことはわからなのです。 

詩篇97:1-7をもう一度読んでみようではありませんか。

7節の「もろもろの神はひれふす」。新改訳聖書では「すべての神々よ。主にひれ伏せ」となっています。すべての神々、もろもろの神とは、国々の指導者らのことを言っているのではないでしょうか。

聖書はさらにこう言います

46:9主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
46:10「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」。詩篇 46:9

「静まって」→「やめよ」(新改訳聖書)。わたしこそ主であることを知れ。

人類の戦争に終止符を打つことが出来るのは、黙示録にも預言されているようにやがて世界の王として再臨されようとしているイエスキリスト様です。

まもなくロシアはイランなどと手を組んでイスラエルの資源を奪うために雲のような軍勢を率いてイスラエルを取り囲みます。やがて中国も動き出すことが預言されています。それだけではなく、7年間の大患難のときが来ようとしています。

主は王であられる

ある専門家らは、プーチンの精神状態に疑問を持っています。核兵器の使用をほのめかしているからです。終末の時代には、サタンが働きます。

 

しかし、聖書は語ります。「止めよ。私こそ主であることを知れ」と。

そして、聖書は古くから「主は王であられる」と宣言しているのです。

それはどういうことでしょうか。

日々、主を王として私自身の生活の中でお認めすること。人生の唯一の主権者として認めて歩むべきだということです。

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福音書に出てくるローマの百人隊長は「ただお言葉を下さい」と言いました。

彼には病気で病む部下がいました。彼は部下を何とかしてあげたい、彼はイエス様のもとに使いを送って、「ただお言葉を下さい」そう願ったのです。「あなたの部下はいやされた!」と。

でも考えてみると、彼の上には千人隊長がいて、さらに上司らがいて、その頂点はカエサルでした。しかし、百人隊長は、実際はそれらをはるかに超える至高の存在の権威を認めていたのです。そのお名前は、ナザレのイエス様!でしたね。

 

私たちは、イエス様こそが、本物の至高者なるお方だといことを認めているでしょうか。大切なよその国を侵略するような大それたことはしなくても、日々の歩みの中で、神様の願いよりも、自分のしたいようにするという自我を自分で、いったいどう扱えばいいのでしょうか。

損をしない程度に、主に従っていればいいのさ、そんな考えはないでしょうか。

主が王となられる以外に平和は来ない

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しかし私たちの内にある自我、聖書では肉とも呼びます、自分のしたいようにするという自我をとって、十字架につけ!かつ、その自我、肉が動かなくなるまでにして下さるお方は、真理の聖霊様のお働き以外にはありません。私たちの自己中心性を、自我、肉をしっかり十字架にくぎ付けしてくださり、主の御心を行いたい、善を行いたいという思いにまでに変化させて下さるのは聖霊様だけなのです。

主は仰いました。

自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。 8:36人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。マルコ 8:35,36.

毎日を、主と福音のために自分の命をお捧げしたい。

それは、イエス様が世界の王、支配者となられ、本当の平和が宇宙を世界を支配するようにさせるためです。エス様が世界の指導者となられない限りは、決して平和はこの世にはありえません。

心の中でキリストを主としてあがめる

3:14しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。 3:15ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。第一ペテロ 3:14,15.

2000年前、使徒ペテロがこの手紙を書いたのも、いまのウクライナのような大変な状況下だったのかもしれません。困難な中、迫害が教会を襲って来ようとしているそんな中で、ペテロはこの手紙を書き送りました。

やめよ。私こそ主、王である。主は王である。

心の中でキリスト主としてあがめていきましょう。

ウクライナの兄姉たちが、キリストを主として最後まで全うできるように祈ろうではありませんか。

できるだけの平和な時が続くように。

神が悪を打ち滅ぼされますように。祈りましょう。

主を主として、こころの中で崇めましょう。

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:97:1主は王となられた。地は楽しみ、
海に沿った多くの国々は喜べ。
97:2雲と暗やみとはそのまわりにあり、
義と正とはそのみくらの基である。
97:3火はそのみ前に行き、
そのまわりのあだを焼きつくす。
97:4主のいなずまは世界を照し、
地は見ておののく。
97:5もろもろの山は主のみ前に、
全地の主のみ前に、ろうのように溶けた。
97:6もろもろの天はその義をあらわし、
よろずの民はその栄光を見た。
97:7すべて刻んだ像を拝む者、
むなしい偶像をもってみずから誇る者は
はずかしめをうける。
もろもろの神は主のみ前にひれ伏す。