今週は受難週です。
今回は、「主の十字架の御苦しみと救い」というテーマで、ご一緒にイエスキリストが十字架の上でお受けになった苦しみの意味について考えてみたいと思います。
マタイ27章46節.*1 映画「パッション」を見たことはあるでしょうか。この映画はイエスキリストの受難をありのままに再現した映画で、そのあまりの酷(むご)さは、直視できないほどです。聖書の他の書簡のせいでしょうか、クリスチャンが、または、クリスチャンでなくても、日ごろ十字架の苦しみに耐えたイエスを思うことは少ないかもしれません。 今から約2000年前、人となって天から降りてこられた神の御子イエスは私たちのために苦しみを受けられました。 イエス様が受けられた受難について具体的に考えてみることはとても大事です。 どうしてかというと、イエス様の十字架の苦しみを思うなら、私たちは自分の罪や汚れた心の状態や、利己的で身勝手な自分自身の性質に気が付かされるからです。そして、自分はどうしてイエス様を信じ受けいれる必要があるのかについて、よくわかるようになるからです。 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。第一ヨハネ 2:2 旧約聖書の時代(紀元前)に、ユダヤ教徒たちは、いけにえを捧げました。当時はユダヤ教の祭司らがいけにえとなる動物の首をかき割いて定められた手順で解体していきます。 聖書は、そのくだりについては、淡々と記していますが、その実際はとても酷(むご)いものです。 鮮血は飛び散り、衣服にもかかったことでしょう。 ですから、当時のユダヤ人たちは、キリストが犠牲となったことを記す、上記のみことばの意味をよく理解していたのです。 イエスキリストの処刑は、まずローマの兵士によるむち打ちから始まりました。 このローマ時代のむち打ちの刑とは、語るのもはばかるような酷い刑でした。 処刑に使われた道具を見ると、なぜ人間はこんな恐ろしい凶器を作り出せるのだろうかと思いたくなるようなもので、鞭の先には数本に分かれた先に、動物の尖った骨や金属片などが括り付けられていて、一振り、二振りと、肉片は飛び散り、骨が見えはじめ、それだけで死んでしまうような刑でした。 「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。使徒8:32. 「屠(ほふ)る」という言葉は、肉を引き裂き、ばらばらにするという意味です。 聖書はイエスキリストの十字架を、いけにえの羊が黙って叫ぶ間もなく殺されていく様にたとえています。 頭には、茨で編んだ冠が載せられ、パロディーの王さまのように扱われ、頭からは鋭くその大きなとげのために顔面を血がしたたり落ちました。 最後には兵士によって脇腹が刺されたとあります。すると血と水がどっとあふれ出てきたというのです。 服は兵士らが持って行ってしまったのでイエス様は、裸にされたまま、辱めの極みを受けながら、死んでいかねばなりませんでした。 なぜキリストはここまで苦しみを受け、打たれ、罵られ、恥ずかしい思いをしなければならなかったのでしょうか。 私たちは生まれながら、罪びとであり、神の前にも人の前にも赦しを受けなければならないからなのです。 この世には義人や善人などというものは、ただの一人もいないからです。聖書。 22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 23ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。Ⅰペテロ2:22~24. このような酷い十字架の死を遂げられた神の御子キリストでしたが、イエスキリストは誰に対しても、その犯した罪について、けっして裁いたり、責めたりはしませんでした。 またキリストは死後三日目に甦り今も生きている神であり、今も誰をも裁いたり、責めたりはしません。 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。ルカ23:34. これはイエスキリストの十字架上での祈りです。 ただ真心をもって、次のように祈るだけです。だれでも罪のゆるしを受け、神からの永遠のいのちをいただくことができます。 天の父なる神さま。 私は罪びとです。 自分で自分をどうすることもできません。 イエス様が私の罪のためにみがわりとなって、十字架につき、死んで三日目に甦って下さったことを信じます。 私のすべての罪をゆるし、新しい、永遠のいのちをお与えください。 信じて感謝します。 イエス様のお名前によって アーメン 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。 動物のいけにえの実際
イエスキリストの十字架の実際
なぜキリストはここまで苦難を受ける必要があったのか
御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。Ⅰヨハネ5:12.
(私の祈り)