聖書のある暮らし

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「七つの大罪」

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お元気でお過ごしでしょうか。

今回は、しばらくぶりでイザヤ書をご一緒に開きましょう。

今回のタイトルは「七つの大罪」です。

旧約聖書イザヤ5章*1

この5章は、神がイザヤを通してイスラエルに送られた裁きについてのメッセージです。また、ここから同時に私たちにも語られていることについて見ていきましょう。 

1節からはイザヤが歌に合わせて、民に主からのメッセージを伝えているところです。当時は歌に合わせて、預言のメッセージを伝えるという習慣があったようです。2節で言われている「すい葡萄」とは、ただすっぱいだけではなく、腐敗して悪臭を放つことを言っています。3,4節は、神がイスラエルの民を、お世話したのにどうして「すい葡萄」になったのかと問うているところです。それに対して、4節と5節の間には、ある無言の行間があって、神の質問に対して民が答えていない、無関心、無責任、無感動を表します。

そこで主が5節、今度は私があなた方に知らせようと~つまり裁きについてのメッセージが始まるわけです。

そしてイスラエルが犯した罪は、数え上げられ、七つの罪が続きます。

①貪欲の罪9-10.②遊興の罪11-12.③不信の罪18-19.④真理を曲げる罪20.⑤自己満足の罪21.⑥酩酊の罪22.⑦正義を曲げる罪23.

それでは簡単ながら一つ一つを見ていきましょう

①貪欲の罪 9-10.

多くの家々。美しい家々。今も昔も不動産に結び付く人の貪欲さです。聖書は「柔和な人は地を受け継ぐ」と言っています。天地は主の御手によるもので、すべての土地は主のものです。私たちはただ主から預かったものを管理しているにしかすぎません。「主の祈り」は、「御国が来ますように」と祈ります。再臨を待ち望む祈りをしましょう。

②遊興の罪。11-12.

今の時代にあるサタンの惑わしは、アニメやゲーム、飲酒などたくさんあります。「彼らは主のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない」。

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アルゼンチンで見た満天の星空は驚異でした。初めて見る南十字星、全天第二の輝きカノープス。それは人が造ったどんな楽しいものよりも優る光景でした。現地の子供たちの目の輝きを忘れません。アニメ、ゲームが悪いのではなく、主のすばらしさを分からなくさせているという点で、それはサタンの惑わしなのです。ほかに飲酒などでは正常な判断力が失われます。それは惑わしなのです。

15~16を読みます。

5:15人はかがめられ、人々は低くせられ、高ぶる者の目は低くされる。
5:16しかし万軍の主は公平によってあがめられ、聖なる神は正義によって、おのれを聖なる者として示される。

これは遊興によって陶酔した人に対する裁きです。15節の「万軍の主は公正によってあがめられ」のところは、新改訳聖書では、「万軍の主は、さばきによって高くなり」と訳されています。

ここに出てくる「正義」という言葉には、「まっすぐ」という意味があるそうです。つまり主は永遠に変わらないお方、絶対的尺度ということです。もし絶対的尺度が時によって変わるなら大変です。主はにある法律だとか人間同士の問題だとかの一切の上にあるお方であられます。ですから主の御心は何かということをまず第一に求めていくことが大切です。

また、「聖なること」とは神の御心のためにより分けられるという意味です。主の御心を求めてそれを行うとき、人間的な判断だけで物事を推し量ったり、決めたり、話し合うとき、神の教会は混乱します。御心を行っていくことができなくなります。まず第一に神様が導いておられることを恐れずに行っていくことが大切です。人の考えではなく、神様の御心が優先されて前進していく教会であることを祈りましょう。どうぞ指導者のためにお祈りください。

③不信の罪。18-19.

「ああ」。この感嘆詞は、心底嘆いて、どうしようもならない、絶望だ。禍(わざわい)だという意味です。何が「ああ」なのかというと、イスラエルは、神の裁きがくるという預言を聞いても侮ったからです。19節。この意味するところは「わざわい?来るならくればいい」。「悪いことしたって裁かれないさ」。「どうせそんなもん来やしないさ」という意味です。裁きを否定するどころか、裁かれるお方をも、神の存在をも否定して抹消しようとするサタン的な思考です。そのような思想はなにかのメディアや会話から入ってきます。教会が「神の裁き」のメッセージを話さないのはよくありませんね。裁きについて語られるとき、神が唯一正義であられることが宣言されることで、神が高く崇められていくのです。また、今は、携挙について伝えていかなければなりません。

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今回のクリスマスのトラクトはその点、とてもよくできたトラクトです。再臨についてもはっきり書かれています。ぜひ使いましょう。

クリスマストラクト - niwanoiechapel ページ!

④真理を曲げる罪。20.

これはまさに今の時代のことを言っています。先日、チラシだったか、男子用のスカートが載っていました。驚きました。また、何かの書類には男女だけではなく、返答しないという欄もあります。なぜ秩序の乱れがよくないのかというと、それはアダムとエバ以来、サタンがこの世の支配者になろうしてきたからであり、神が創造の時以来定めた秩序を破壊することで、自分が神であろうとする呪いの兆候だからです。今日のミッションスクールでも、福音はほとんど語られていないのが実情だそうで、ときどき本当のことを語る牧師が招かれて学校で話すと終わったあとで嘲笑されるというのです。

⑤自己満足の罪。21.

つまり神なしでもうまくやっていけるよ、という世界です。ギブミークリスチャンというのがあります。あれ下さい、これ下さいとお願いばかりする信仰生活があります。かつてイスラエルが神を捨てて偶像に走ったとき禍に陥りました。そして苦しくなって主に叫び祈ると主は助けを送って彼らを救われました。しかし一息つけるのがわかると再び、主を捨て去って、遊興にふける。シーソーゲームのようなことをいつまでも繰り返して一生を終えるクリスチャン。残念ですね。天国には行けても、みじめでしょう。

⑥酩酊の罪。22.

酩酊は酒に浸って、正常な考え方ができなくなります。脳の神経がやられるみたいですね。自殺や、暴力、盗み、精神を病み、酩酊が習慣化すれば大切なものを失っていきます。健康や財産や、必要な人間関係。飲酒だけではなく音楽の酩酊もあり得ます。なんであれ自分の好きなものに陶酔していくとき、本当に大事なものが何なのかが分からなくなってしまうのです。やがて霊的な愚かさに堕していくようになります。

⑦正義を曲げる罪。23.

さきほどの悪を善、善を悪と呼ぶことに似ていますが、アダムとエバ以来、私たちの生まれながらの性質の中には、自分が神であろうとする性質があります。気を付けていないと、すぐにそういう思いに支配されてしまいます。神の上に立とうとするなら、しなければいけないことができず、またしてはいけないことをやめることができなくなり、廃人のような、ただ息をしているだけという恐ろしい状態に陥っていくでしょう。

24節を読みましょう。

「彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のみことばを侮ったからだ。」とあります。これはイザヤを通して神が語られた裁きの預言を民が、なおも侮った事を伝えています。

今日は七つのイスラエルの罪について学びました。神様は決して侮られるようなお方ではありません。へブル書は「生ける神の手の中に陥ることは恐ろし事」だと言っています。神様がすぐに罰を下さないからと言って、裁きなどないと思っているなら大間違いです。神の裁きは確実にやってきます。25節にある、燃え、伸ばし、震えなどの裁きの一つ一つのことばは完了形といってすでに裁きが避けられない状況にあることを意味しています。26節からは、それでも悔い改めない民に対して、主は、当時のアッシリヤの軍勢が送られてくるとう裁きを預言しています。26-30節です。

この七つの大罪から私たちは何を学べるのか

この七つの大罪を指摘されながらも神様を無視して、滅びに突き進む私たちの家族や近しい方々のために祈ると同時に、この七つの大罪がクリスチャンである自分自身にも当てはまらないか、吟味して、悪の道から立ち返ることができるように祈りたいと思います。この一つ一つの貪欲や、遊興や、不信の罪は、アダムとエバ以来、すべての人の心、私たちの心に内にあるものです。それは自分が神であるし、あろうとしていることを言います。アダムとエバはサタンからそう教えられました。「あなたは神のようになれる」と。

悔い改めが私たちを救う

しかし御前にへりくだる時、自分が神ではないことを祈りをもって言い表して、七つの大罪から救い出してくださることを叫び祈るなら、神様は一つ一つの罪に打ち勝つ力を下さるのです。どうぞ、御前に身を低くして、主よお助け下さい、と言って祈り叫びましょう。そして、滅びに向かう人たちを救い出せるように祈りましょう。

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:

5:1わたしはわが愛する者のために、
そのぶどう畑についてのわが愛の歌をうたおう。
わが愛する者は土肥えた小山の上に、
一つのぶどう畑をもっていた。
5:2彼はそれを掘りおこし、石を除き、
それに良いぶどうを植え、
その中に物見やぐらを建て、
またその中に酒ぶねを掘り、
良いぶどうの結ぶのを待ち望んだ。
ところが結んだものは野ぶどうであった。
5:3それで、エルサレムに住む者とユダの人々よ、
どうか、わたしとぶどう畑との間をさばけ。
5:4わたしが、ぶどう畑になした事のほかに、
何かなすべきことがあるか。
わたしは良いぶどうの結ぶのを待ち望んだのに、
どうして野ぶどうを結んだのか。
5:5それで、わたしが、ぶどう畑になそうとすることを、
あなたがたに告げる。
わたしはそのまがきを取り去って、
食い荒されるにまかせ、そのかきをとりこわして、
踏み荒されるにまかせる。
5:6わたしはこれを荒して、
刈り込むことも、耕すこともせず、
おどろと、いばらとを生えさせ、
また雲に命じて、その上に雨を降らさない。
5:7万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家であり、
主が喜んでそこに植えられた物は、
ユダの人々である。
主はこれに公平を望まれたのに、
見よ、流血。
正義を望まれたのに、
見よ、叫び。
5:8わざわいなるかな、彼らは家に家を建て連ね、
田畑に田畑をまし加えて、余地をあまさず、
自分ひとり、国のうちに住まおうとする。
5:9万軍の主はわたしの耳に誓って言われた、
「必ずや多くの家は荒れすたれ、
大きな麗しい家も住む者がないようになる。
5:10十反のぶどう畑もわずかに一バテの実を結び、
一ホメルの種もわずかに一エパの実を結ぶ」。
5:11わざわいなるかな、彼らは朝早く起きて、
濃き酒をおい求め、
夜のふけるまで飲みつづけて、
酒にその身を焼かれている。
5:12彼らの酒宴には琴あり、立琴あり、
鼓あり笛あり、ぶどう酒がある。
しかし彼らは主のみわざを顧みず、
み手のなされる事に目をとめない。
5:13それゆえ、わが民は無知のために、とりこにせられ、
その尊き者は飢えて死に、
そのもろもろの民は、かわきによって衰えはてる。
5:14また陰府はその欲望を大きくし、
その口を限りなく開き、
エルサレムの貴族、そのもろもろの民、
その群集およびそのうちの喜びたのしめる者はみな
その中に落ちこむ。
5:15人はかがめられ、人々は低くせられ、
高ぶる者の目は低くされる。
5:16しかし万軍の主は公平によってあがめられ、
聖なる神は正義によって、
おのれを聖なる者として示される。
5:17こうして小羊は自分の牧場におるように草をはみ、
肥えた家畜および子やぎは荒れ跡の中で食を得る。
5:18わざわいなるかな、
彼らは偽りのなわをもって悪を引きよせ、
車の綱をもってするように罪を引きよせる。
5:19彼らは言う、「彼を急がせ、
そのわざをすみやかにさせよ、
それを見せてもらおう。
イスラエルの聖者の定める事を近づききたらせよ、
それを見せてもらおう」と。
5:20わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、
善を呼んで悪といい、
暗きを光とし、光を暗しとし、
苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。
5:21わざわいなるかな、彼らはおのれを見て、賢しとし、
みずから顧みて、さとしとする。
5:22わざわいなるかな、
彼らはぶどう酒を飲むことの英雄であり、
濃き酒をまぜ合わせることの勇士である。
5:23彼らはまいないによって悪しき者を義とし、
義人からその義を奪う。
5:24それゆえ、火の舌が刈り株を食い尽すように、
枯れ草が炎の中に消えうせるように、
彼らの根は朽ちたものとなり、
彼らの花はちりのように飛び去る。
彼らは万軍の主の律法を捨て、
イスラエルの聖者の言葉を侮ったからである。
5:25それゆえ、主はその民にむかって怒りを発し、
み手を伸べて彼らを撃たれた。
山は震い動き、
彼らのしかばねは、ちまたの中で、
あくたのようになった。
それにもかかわらず、み怒りはやまず、
なお、み手を伸ばされる。
5:26主は旗をあげて遠くから一つの国民を招き、
地の果から彼らを呼ばれる。
見よ、彼らは走って、すみやかに来る。
5:27その中には疲れる者も、つまずく者もなく、
まどろむ者も、眠る者もない。
その腰の帯はとけず、
そのくつのひもは切れていない。
5:28その矢は鋭く、その弓はことごとく張り、
その馬のひずめは火打石のように、
その車の輪はつむじ風のように思われる。
5:29そのほえることは、ししのように、
若いししのようにほえ、
うなって獲物を捕え、
かすめ去っても救う者がない。
5:30その日、その鳴りどよめくことは、
海の鳴りどよめくようだ。
もし地をのぞむならば、見よ、暗きと悩みとがあり、
光は雲によって暗くなる。