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「パウロの予定」

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パウロの予定

今回は、パウロが立てた予定と、その予定の背景には何があったのか。そのことについて、ごいっしょに学びましょう。

ローマ15:22-29.*1

使徒パウロがたてた二つの予定

1.ローマを訪れる。

1.エルサレムに援助金を届ける。

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パウロ宣教、最果ての地



パウロが言うイスパニアとは、今のポルトガル、スペインあたり(地図の赤いところ)だそうで、当時、最果てと思われていた地といいます。パウロはその地の果てまで福音を届けようとしていたのです。

途中あなたがたに会い、まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら、あなたがたに送られてそこへ行くことを、望んでいるのである。24節。(口語訳)

新改訳聖書では「まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから」となっています。最果ての地に福音を伝えに行くにあたって、まずローマの教会の皆さんと交わって、こころ満たされてから、行きたいと思っていたのです。

パウロがたいじにしていたこと

パウロが、いちばん最初、世界宣教旅行に出掛けるようになったきっかけはアンテオケ教会での礼拝にあります。アンテオケ教会の聖徒たちが主を賛美して礼拝していると、聖霊さまが名指しでパウロバルナバを異邦人伝道のために遣わすように命じられたのです。

このローマ書の始まりのところでパウロはすでにこう書いています。

1:11わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。 1:12それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。ローマ 1:11,12.

パウロが願っていたのは、お互いの信仰による励ましでした。かつてアンテオケ教会で一緒に捧げた礼拝や、励ましあいがあって、こんどは最果ての地への旅行に際してはローマの教会の兄姉らとのかかわりと、励ましを、パウロは必要としていたのです。 

「ですが、」。もっと大事な予定。

25節から29節をもう一度読みましょう。

「ですが、」(新改訳)とあります。ローマ教会の皆さんとの交わりや祈りあいや、ともに捧げる礼拝をパウロは楽しみにしていましたが、その前に、どうしても先にしなければならない仕事がありました。それは、エルサレム教会の貧しい人たちを支えるための援助金を届ける仕事でした。パウロはそのためのたくさんの献金を異邦人諸教会の兄姉たちから預かっていたのです。

27節には「もらいものをした」とありますね。なんのもらいものでしょうか。福音でした。福音はエルサレムから始まって、やがて異邦人社会の隅々にまで広がっていきました。イエス様はユダヤ人の中からお生まれになりました。ユダヤ人たちの信じるユダヤ教を母体として福音は始まりました。

パウロには、そのような霊の恵みを分かち合ってくれたエルサレム教会に深い感謝の気持ちがありました。だから当時ローマ社会の恩恵で経済的に恵まれていた異邦人教会の聖徒たちが、いまはアンテオケよりも、もっと向こうにあるエルサレム教会の貧しい聖徒たちを思って、感謝をもって贈り物をしたい。パウロはなんとかしてその愛の贈り物をエルサレムに届けようとしていたのです。

返すべき負債

この新改訳聖書26節の「醵金(援助)」という言葉には、ギリシャ語で「交わり」、「交流」という意味があります。交流には、いやいやながらとか、もったいないという思いはなく、当然のこととして感謝のしるしとして、真心からの分かち合いのことを言うはずです。すくなくとも異邦人教会の兄姉らはそうしました。言い換えるとそれは最高のものを戴いたことへの感謝のしるしですね。またそれは愛の負債とも言えます。つまりは、返さなくてもどっちでもいいという事ではなく、かえすべき義務のある借財という意味でもあります。

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エルサレムの平和のために祈れ

122:6エルサレムのために平安を祈れ、エルサレムを愛する者は栄え、122:7その城壁のうちに平安があり、もろもろの殿のうちに安全があるように」と。122:8わが兄弟および友のために、わたしはエルサレムのうちに平安があるように」と言い、122:9われらの神、主の家のために、わたしはエルサレムのさいわいを求めるであろう。詩篇122:6-9.

今も世界中からイスラエルに帰還するユダヤ人がいるといいます。その多くが経済的にも困窮していると聞きます。私たちも感謝をもってイスラエルのために祈り、捧げたりすべきです。それは当然のことですね。福音はユダヤ人から始まったからです。

パウロ28節でそのことを「実」と呼んでいます。

 わたしたちの教会もいろんなところを通ってきましたけれど、伊藤弘子牧師先生の献身と犠牲というものがあったおかげで今の自分があることを、決して忘れてはいけないと思います。みことばに妥協しないで、どんなときにも主を第一にされたその姿勢に学ぶところは大きくあります。

私たちは霊的な面でも、会堂などの実際的な面でも、その多くを、どんなときにも主に捧げられたその信仰の従順と献身の姿勢に負っています。

戴いたものへの適切な値踏みができているか

なぜ、パウロはローマに行く前に、エルサレムに行こうとしたのでしょうか。それはエルサレム教会から始まった福音によって自身が受けた救いの大きさが、いったい、どれほどのものなのか。どれほどの資産として遺産として価値があるのかということを、彼は心底、感謝してもしきれないほどだったのです。

そしてこのことが本当にクリスチャンである私たちもわかる時、負っている負債の驚くべき価を正しく値踏みするとき、捧げたり、奉仕したり、献身したりすることが、もったいないどころか、もっともっと益々主に仕えたい!先を競ってそうなるのが当然すぎるくらいに当然なことなのです。あらゆる信仰生活や教会生活上の問題はこのことが分かるとき、解決するでしょう。

なので、みことばに妥協しないで従った指導者がいてくれたおかげで今の自分があるということを感謝いたします。その、かつての導いてくれた指導者の霊的資産、遺産の上に自分があるからです。

牧師を支え、教会に仕えられた先達たちに感謝します。その献身的な奉仕は、到底、いまのわたしに真似できるようなものではありませんでした。S姉やすでに天に召されたN先生。そして今は施設にいるMさん。またもう一人のM姉もそのお一人ですね。彼らは持てる物を捧げつくしました。指導者の厳しい薫陶にも口答えせず、背かず、従われました。どうして、そこまでするんだろう。そんなにまでしなくても‥‥。不信仰な私はそう思って見ることもありました。でも彼らは文字通り主に従うように指導者のご指導に従われました。そして、今、遅ればせながら、自分もそのようなものの一人になりたいと願わされているのです。

かつてみ言葉を従われた、模範を示して下さった先達たちに感謝します。みことばに妥協しないで、従い続けた「あなたたち」がいてくれたおかげで、こんな私でも、今こうして信仰を持つことができているのです。

わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。ピリピ 3:8

これがパウロの霊的な資産、遺産への値踏み、評価額でした。

私たちのスケジュールは

パウロはローマの教会でしばらく立ち寄って、彼らとともに主を礼拝し、そして主から受けた恵の数々を用いて、賜物を彼らと分かち合い、彼らをおしえ励まして、ともに成長して、29節にあるように、満ち溢れる祝福をもって最果ての地に向かうつもりだと言っています。

そのような予定は、エルサレム教会から受けた絶大な主からの祝福に感謝をもって答えたいというパウロの信仰の姿勢があって、祈りつつ作られたスケジュールでした。

霊のものに対して物質でお返しする。しかしそれは神への感謝の捧げものなのです。 このようなパウロの姿勢、どんなときにも主を第一にするという御前での姿勢は、私たちの信仰生活を全く変えてしまうほどのものです。

パウロの建てた予定。パウロのスケジュール。

それは彼が主から受けた戴いた恵によって、優先順位が決められ、祈りつつ天からのお力によって実行されていきました。

私たちの予定、スケジュールはどうでしょうか。

私たちも、主から受けた恵に答えるものでありたい。

主への献身を新たにさせていただきましょう。

お祈りをいたします。

 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:15:22こういうわけで、わたしはあなたがたの所に行くことを、たびたび妨げられてきた。 15:23しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤに赴く場合、あなたがたの所に行くことを、多年、熱望していたので、―― 15:24その途中あなたがたに会い、まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら、あなたがたに送られてそこへ行くことを、望んでいるのである。 15:25しかし今の場合、聖徒たちに仕えるために、わたしはエルサレムに行こうとしている。 15:26なぜなら、マケドニヤとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。 15:27たしかに、彼らは賛成した。しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。 15:28そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う。 15:29そしてあなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと、信じている。