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「神の救いのミステリオン」

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今回は「救いのミステリオン」というタイトルでご一緒にみ言葉を学んでいきましょう。

 ローマ11:25‐32*1

 救いの奥義とは何かという事について、今日は簡単に見ていきましょう。

ミステリオンとは、英語のミステリーの語源でギリシャ語の「奥義」という意味です。

使徒パウロが書いたこのローマ書では9章から11章にかけて「どうしてユダヤ人はキリスト教を受け入れないのか?」という問題を扱っています。

そしてこの11:25‐32で、やがてイスラエルは皆救われると宣言しています。

 このみことばを私たちの身内、家族、親しい方に当てはめて祈ってみてはどうでしょうか。26節です。「救うものがシオンから出て、こうして(~さん)は救われる」という具合にです。マルコ11:23には、

だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。」マルコ11:23

 とあるからです。

利己的な生き方は行き詰る

前回は、枝が樹に対して誇ってはならない~異邦人教会がイスラエルに対して誇ってはならないという箇所でした。

その箇所が教える内容は、私たちお互いは、支えられて生きてきたのだから、愚かにならないで、自分も他の人たちの救いを祈るべきだということ。

また大きな意味では、キリスト教信仰の土台となってくれたユダヤ人の方々のためにも祈る必要があるということでした。ユダヤ人の救いの為に祈らないということは、高慢と身勝手と、どこかユダヤ人を見下すような思いがあるからではないのか? それは、利己的な生き方~自分だけいい思いをすればそれでいいという利己的な生き方をしていることに他ならない。そんな意味があるのではないでしょうか。

利己的な姿勢こそは人を自分から遠ざけて、ひとりぼっちで惨めな生き方に自分を陥らせてしまう主な原因です。

そして利己的な生き方の反対は親切なのです。

救いは神の憐れみによるもの

今日の箇所でパウロは救いの奥義ミステリオンは神の憐れみによるものだと書いています。

「ぜひこの奥義を知っていていただきたいそれは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするため25節

救いの奥義とはなにか。

それは異邦人教会が「高ぶらないためだ」~自分で自分を賢いと思えないようなこと~異邦人たちが救われるための間、イスラエル人たちが神によって心頑なにされたことだと言うのです。

 そしてその説明が28節以下にあります。もう一度読んでみましょう。

28福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。 9神の賜物と召しとは、変えられることがない。 30あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、31彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。32すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。28節~~~32節

 32節。「神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込めた」とあるのです。

神さま、どうしてこんな目にあうのですか?

なぜ、そんなあえて不従順になるような状況に閉じ込められたのでしょうか。

拉致被害者横田早紀江さんは、忌まわしい出来事を通して神のご愛に気づかされたことを語っています。親の思いをはるかに超えて、どこにいるのかわからない自分の娘のことを気遣って下さる神がおられる。そのことが分かったときから、横田さんに平安が与えられたのだそうです。

誰かに心を閉ざしてしまうような出来事があっても、その目的は、神のご愛がそこに注がれるためだと今日のみ言葉は語っています。神の憐れみがそこに注がれるためだと語っています。

ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。   ローマ 9:16

 神の憐れみがそこに注がれるために、神はあえてユダヤ人であろうと異邦人であろうと、人を心頑なになるように追い込められたのだというのです。そして、それが救いを受けるためのミステリオン=奥義だというのです。

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 放蕩息子は刹那(せつな)の楽しみに生きて、幸せになろうとしましたが、最後は絶望してしまいました。そして父の家に帰りました。
放蕩息子の兄は、父がそんな弟を家に迎え入れたことを不満に思って、「自分は小さいころから言いつけを破ったことは一度もない」と言って父に抗議しました。しかし父はそのとき、兄に言いました。「私のすべてはお前のものではないか」と。父は、こころ頑なな兄にも弟にも憐れみを注いでいたのです。新約聖書ルカ15章参照

 讃美歌に、「冷たい罪の道を彷徨っていた時、主イエスは愛の御手で私を救われた」♪というのがあります。

つめたい罪の道を

さまよっていたとき

主イエスは愛の御手で わたしを救われた

主の愛はわたしをなぐさめ 日々 よろこびで満たす

私の生活は御手によって 日々 みちびかれる

            聖歌総合版385

結 論 

救いの奥義とは何でしょうか。神が全ての人が救われれるために、全ての人を不従順の内に閉じ込められたことです。

 どうか、いまは心高ぶらせ不従順の中にある人がいても、希望をもって祈りましょう。

そしてどうかイスラエルの全家が救われることを希望をもって祈りましょう。

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

*1:11:25兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、 11:26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、

「救う者がシオンからきて、
ヤコブから不信心を追い払うであろう。
11:27そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、
彼らに対して立てるわたしの契約である」。

11:28福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。 11:29神の賜物と召しとは、変えられることがない。 11:30あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、 11:31彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。 11:32すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。