聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「イエスの御名とみことばによる勝利」

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今日は、ダビデゴリアテの戦いから信仰生活の勝利ということについてご一緒に学びましょう。
 

 

 Ⅰサムエル17:1~11*1

 

11節は、新改訳聖書では「恐れて意気消沈した」と訳されています。英語の聖書では「狼狽(ろうばい)」と訳されています。私たちの人生にも、時々どうしてよいのか、わからないときがあって、そんなとき、私たちはただただ右往左往します。 

ここに出てくるゴリアテという男の身長は3メートルくらいあったようです。そんな戦士と一体だれが一騎打ちなどしようとするでしょうか。イスラエル軍は、狼狽して、おろおろするだけでした。 しかもそんなことが40日間も続いたというのです。16節。 

将軍ラブシャケの侮辱

この時とよく似た出来事が他の聖書の個所にも書かれています。

Ⅱ列王記18:19~25*2  28、29。*3 

 巨人ゴリアテダビデの出来事からしばらくたったときのこと、今度はヒゼキヤという王さまが国を治めていたときのことでした。強敵アッシリヤの軍勢が国に押し寄せてきてヒゼキヤたちは絶体絶命の大ピンチでした。その尊大な敵将の名はラブシャケといい、ヒゼキヤたちの信仰を盛んに馬鹿にして、狼狽させようとしてきたのです。おびただしい軍勢の前にはなすすべもありませんでした。

狼狽するとき ~悪魔の惑わし

私達も時々、右往左往してしまうような自分の力が及ばないようなことがあります。 先日アフガンで自爆テロがありました。大勢の犠牲者の中には小さな子供もいました。遺体にしがみついて泣き叫ぶ親。どうしてよいのか、わからない力の及ばないときというものがあります。

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そんなとき悪魔は、ラブシャケやゴリアテのように私たちにささやき掛けてきて、神はお前を助ける力などない、そうウソをついて私たちの神への信頼を揺るがせようとして働きかけてきます。主への信頼をなぶってくるのです。

 しかし聖書は何と言っているでしょうか。

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 助けは天と地を造られた方からくる

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る詩篇 121:1,2.

もし、窮地に陥ったときなどは、この旧約聖書詩篇のみことばを唱えてみてください。心に解放感がやってくることでしょう。自分は無力ですが、神にはできないことは何一つないという信仰です。聖書の神様は、み言葉をもって天と地と造られ、今もみ言葉をもって万物を収めて、支えておられるお方です。 

 超自然的な力

ダビデは、意気消沈するサウル王たちの前で、自分がかつて獅子やクマを撃ち殺したと言っています。へ~。それが普通の感想です。いくらなんでもそんなこと?でもその理由が書いてあります。それはⅠサムエル16:13です。 

サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った

私は、ダビデがほんとうに獅子やクマを退治したと信じます。それは神の力だったからです。超自然的な力がダビデに働いて、獅子や、クマを撃ち殺すことができたのです。

ダビデゴリアテを倒せたその力の秘密は第三位格の神、聖霊さまのお力によるものでした。 ダビデは言いました。 

「この戦いは主の戦いだ」47節。 

自分はだめだ。やっていけないと感じていることは何ですか

13:17この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。 13:18ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。黙示録 13:17,18. 

この聖書の預言が果たして、コロナクチンの接種証明書と関係があるのだろうか?懸念されるところです。この地球規模での前代未聞の災害に、行動が制限されてしまうような結果につながっていくのか。その先には、666という世界統治機構の出現も危ぶまれるところです。天災、大地震、異常気象、巨大隕石衝突の恐れ。戦争と飢餓と疫病の蔓延が聖書では預言されています。携挙の時が近づいています。※携挙*4エス様を信じるのは、大患難がやってくる前です。そのあとに信じるのは、非常に難しくなってくるからです。

 しかし、これから何が起ころうとも、天地を造られたお方のみことば:聖書が私たちのために、あらかじめ用意されて語られているということは感謝なことではありませんか。たとえ終末でさえもが聖書のみ言葉に基づいて進んでいっているのなら、恐れる必要は少しもありません。

 ダビデの拾った小石:みことば

47、50節を見てみましょう。 

17:47またこの全会衆も、主は救を施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである」。17:48そのペリシテびとが立ち上がり、近づいてきてダビデに立ち向かったので、ダビデは急ぎ戦線に走り出て、ペリシテびとに立ち向かった。 17:49ダビデは手を袋に入れて、その中から一つの石を取り、石投げで投げて、ペリシテびとの額を撃ったので、石はその額に突き入り、うつむきに地に倒れた。17:50こうしてダビデは石投げと石をもってペリシテびとに勝ち、ペリシテびとを撃って、これを殺した。

ダビデは、立派な剣や槍をいっさい使わないで、石ころと石投げとで巨人を倒しました。神様は、聖書のなかに私たちに必要な助けとなる、みことばをたくさん用意してくださっています。ダビデは谷間に降りて行ってそこで石を拾ってきました。私たちも日ごとに神さが私たちのために用意されているみことばを拾い上げる必要があります。それは聖書を開く習慣です。単純なみ言葉の数々で神様は私たちに必要な励ましや力添え、勇気や知恵を用意されています。あとは、ただ行って拾い上げるだけです。でもそのためには聖書を毎日開いて、期待をもって読むことが必要ですね。

たとえば‥‥

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ほむべきかな。日々、私たちのために、
重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ 

    詩篇 68:19

 ほかにも詩篇23篇。

第23篇

ダビデの歌
23:1主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
23:2主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
23:3主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれます。
23:6わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

 どうぞ声に出して唱えてみてください。そんな情景を心に思い浮かべて読んでみましょう。わたしは羊🐑🐑。そして信頼できる羊飼いがいて‥‥。 

ダビデは主の御名によってゴリアテに勝ちました。

そのお名前は、イエスキリスト様です。 

天地を創造された方のお名前です。ハレルヤ!!

困難があるとき。どうしてよいかわからないとき。自分が弱く感じるとき。 

み言葉をもって、主は私たちを支えて下さっています。 

私たちもイエスキリストのみことばによって進んでいきましょう。 

しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました第一コリント 15:57
 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:17:1さてペリシテびとは、軍を集めて戦おうとし、ユダに属するソコに集まって、ソコとアゼカの間にあるエペス・ダミムに陣取った。 17:2サウルとイスラエルの人々は集まってエラの谷に陣取り、ペリシテびとに対して戦列をしいた。 17:3ペリシテびとは向こうの山の上に立ち、イスラエルはこちらの山の上に立った。その間に谷があった。 17:4時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。 17:5頭には青銅のかぶとを頂き、身には、うろことじのよろいを着ていた。そのよろいは青銅で重さ五千シケル。 17:6また足には青銅のすね当を着け、肩には青銅の投げやりを背負っていた。 17:7手に持っているやりの柄は、機の巻棒のようであり、やりの穂の鉄は六百シケルであった。彼の前には、盾を執る者が進んだ。 17:8ゴリアテは立ってイスラエルの戦列に向かって叫んだ、「なにゆえ戦列をつくって出てきたのか。わたしはペリシテびと、おまえたちはサウルの家来ではないか。おまえたちから、ひとりを選んで、わたしのところへ下ってこさせよ。 17:9もしその人が戦ってわたしを殺すことができたら、われわれはおまえたちの家来となる。しかしわたしが勝ってその人を殺したら、おまえたちは、われわれの家来になって仕えなければならない」。 17:10またこのペリシテびとは言った、「わたしは、きょうイスラエルの戦列にいどむ。ひとりを出して、わたしと戦わせよ」。 17:11サウルとイスラエルのすべての人は、ペリシテびとのこの言葉を聞いて驚き、ひじょうに恐れた。

*2:18:19ラブシャケは彼らに言った、「ヒゼキヤに言いなさい、『大王、アッスリヤの王はこう仰せられる。あなたが頼みとする者は何か。 18:20口先だけの言葉が戦争をする計略と力だと考えるのか。あなたは今だれにたよって、わたしにそむいたのか。 18:21今あなたは、あの折れかけている葦のつえ、エジプトを頼みとしているが、それは人がよりかかる時、その人の手を刺し通すであろう。エジプトの王パロはすべて寄り頼む者にそのようにする。 18:22しかしあなたがもし「われわれは、われわれの神、主を頼む」とわたしに言うのであれば、その神はヒゼキヤがユダとエルサレムに告げて、「あなたがたはエルサレムで、この祭壇の前に礼拝しなければならない」と言って、その高き所と祭壇とを除いた者ではないか。 18:23さあ、わたしの主君アッスリヤの王とかけをせよ。もしあなたの方に乗る人があるならば、わたしは馬二千頭を与えよう。 18:24あなたはエジプトを頼み、戦車と騎兵を請い求めているが、わたしの主君の家来のうちの最も小さい一隊長でさえ、どうして撃退することができようか。 18:25わたしがこの所を滅ぼすために上ってきたのは、主の許しなしにしたことであろうか。主がわたしにこの地に攻め上ってこれを滅ぼせと言われたのだ』」。

*3:18:28そしてラブシャケは立ちあがり、ユダヤの言葉で大声に呼ばわって言った。「大王、アッスリヤの王の言葉を聞け。 18:29王はこう仰せられる、『あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。彼はあなたがたをわたしの手から救いだすことはできない。

*4:キリストを信じる者が一瞬にして大患難の直前に天に引き上げられていなくなってしまうこと