聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

御名を用いて祈り賛美し伝道しよう

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こんにちは。

庭の家チャペルの牧師 伊藤ともうします。

今日はこの箇所から「御名を用いて祈り賛美し伝道しよう」というタイトルでみ言葉を共に見ていきましょう。

 ローマ10:14-17*1

 伝道することはクリスチャンにとって霊の運動

クリスチャンにとって伝道することは霊的な運動です。また、それはよくガリラヤ湖死海の違いに例えられます。新陳代謝が促されるからです。ガリラヤ湖には多くの魚が生息していますが、死海にはあまりいないそうです。その理由はガリラヤ湖ヨルダン川によって南方の死海に水を注いでいますが、死海はただ受けるだけで、流すことをしないので湖がよどんでしまうからです。

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伝道のツール トラクト(パンフレット)

  せっかく信仰を持ったのに、なんか毎日がつまらない。そんな人がいるでしょうか。ぜひ一枚のトラクトを誰かに手渡してみてください。クリスチャンが一枚のトラクトを誰かに渡したりするだけで信仰が活性化します。心の中に喜びがわきあがってきて、毎日は充実して、何のために自分が生かされているのかがわかるようになります。受けたものを分け与えるからです。

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ウクレレ

 どらえもんの主題歌を作られた岩渕まことさんのブログやユーチューブをのぞくと面白いです。ご自分が好きなギターや曲を通して証しを発信し続けています。自分が好きなことを通して福音を伝えています。

 クリスチャンが一度伝道し始めると、たましいの救いについて強い関心をもつようになって、祈るようになるし、賛美の歌がわいてくるようになります。それは信仰のリバイバル、マイリバイバルです。

 しかし、悪魔は生きていて、クリスチャンたちにそうはさせまいとして、他のことで思いをふさいで妨害してきます。「遣わされるものがなくては」とあります。そうありたいと願っています。どうぞ遣わされていきましょう。

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使徒パウロの伝道

 ペンテコステの祝福

4:29主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。 4:30そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。 4:31彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。使徒4:29‐31。

  初代教会は、ペンテコステを体験して、異言で語り、福音を伝え始めました。しかし、少し時がたって、教会が落ち着いたためか、もう一度、ペンテコステが来ました。私たちも集まって、また一人でも賛美したり、祈ったりするとき、そこが霊的な震源地となります。それは目に見えない霊的な地殻変動です。そういった意味で信仰生活は戦いです。

 福音に覆いをかける働き

 4:3もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。 4:4彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。 Ⅱコリント4:3,4.

 パウロが「しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない」と書いたのは、当時、律法主義というユダヤ人らのプライドが福音の輝きを妨害していたからです。パウロはさらにイザヤ書を引用して「イザヤは、『主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか』」とあります。

 イエス様のすばらしさ、信仰を持つことのすばらしさを妨げているもの

 日本にはユダヤ人たちのような律法主義という誇りはありませんが、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢~という妨げがあります。それはかつて主も語られた四つの種のたとえ話に教えられているところでもあります。※四つの種*2

  しかし近年、経済格差や、差別問題、それにコロナが追い打ちをかけて、自殺者の増加が深刻化してきています。エス様がいなくても、信仰がなくても生きていけると考えてきた人たちの間に、実はそうではない、すべてを捨てて主にすがらなければ救いはないことを、悟らなければならない時が来ているのです。

 

この人による以外に救いはない。私たちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。使徒4:12.口語訳。

 

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D.L.ムーディーのリバイバル集会の様子(19世紀米国、英国)

なぜならイエス様の御名以外には、人は救われて、永遠の命にはいることはできないからです。これが聖書の教える救いです。

 救いはへりくだってみ言葉を聞くことによる

 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。ローマ10:17

 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。
その恵みを待ち望む者に。詩篇 33:18 

 主を恐れる人とはどういう人のことを言っているのでしょうか。主イエス様以外に私を救いうるお方はいないことがわかって、イエスキリスト様をただ一人の救い主として自分の心の中に迎え入れる人のことです。

 それまでしがみついてきた、すがってきた、世と世にあるモノは自分を救うことはできないことを知って、主イエスのもとに来る人です。自惚れを捨てて、馬鹿になって、プライドを捨てて、イエス様のもとに来る人です。

 イエス様の御名には救いがある

ケネスへーゲンの本に「イエス様の御名」という本があります。この本の中で、ある重い病の床にあった人のために教会員たちが手をつないで、「イエス様、イエス様、イエス様」と御名を何度も言い表したとき、上から癒しの力がおりてきて、たちどころに病人は癒されたとあります。

  天下にこの名のほかには救いの名はない。(使徒行伝)

 また、神は全てにまさる名を御子にお与えになった。(ピリピ書)

 エス様の御名を用いて祈り、賛美し、み言葉を伝えましょう。

  お祈りします

 天の父なる神さま

わたしにあるのは、病と迷い、そしてくらやみです。しかしイエスキリスト様は私を永遠の滅びから贖いだすために、2000年前、人となってきてくださいました。今私の負いきれない重荷の数々をあなた様の背に手放し、お任せいたします。死後三日目に甦ったいのちの力をもって私を永遠までも、お導き下さい。このお祈りをイエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。

 

 

*1:10:14しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。 10:15つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。 10:16しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。 10:17したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。

*2:13:1その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。 13:2ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。 13:3エスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 13:4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 13:5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 13:6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 13:7ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 13:8ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 13:9耳のある者は聞くがよい」。マタイ13:1‐9