聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「やみの中の光」

やみの中の光

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クリスマスおめでとうございます。

救い主のご降誕を心よりお祝い申し上げます。

今日はこの箇所から「くらやみの中の光」というテーマで、ご一緒に聖書を見ていきましょう。今日開いた箇所はヘブライ語の聖書ではひとまとまりの段落になっているそうです。

 

 

イザヤ8:199:1*1

世界の動揺 コロナの一年 

 今年は、コロナ問題で一年が振り回された年でした。道内の死者も昨日で381人(12/19現在)で400人近くもの人たちが今年亡くなられました。この数字に矢張りこれは大変なことが起きているのだと改めて実感させられました。コロナ以外では~アメリカの選挙の混乱。私たちは世界の警察官としてのアメリカが消えていこうとしている時代に生きています。今後、世界秩序はいったいどうなっていくのかが心配です。

再臨への備え

そして私たちは動揺する世界に、聖書にある世の終わりという預言をふまえて、このクリスマスに、まもなく再び来ようとしておられるイエスキリストの再臨を覚えて、備えをしていく必要があります。ある牧師さんの聖書解釈によると、空中再臨はいつ起こってもかしくないというのです。※空中再臨*2

  このクリスマス。そして終末に生きている私たちに預言者イザヤは何を語っているのでしょうか。

イザヤと当時の情勢

イザヤは紀元前八世紀の人です。当時はイスラエルの国が北と南に分断されていて、その後、北の国はアッシリアによって滅ぼされます。やがてその脅威は自国の南国にも及んでくるのですが、そんな暗い状況下でイザヤはインマヌエル=やがて現れる救い主の希望のメッセージを伝えました。

  なぜここで19節なのでしょう。

当時の南の国の王さまのアハズはライバルだった北の国から自分の国を守るために強国アッシリアに金品を渡します。政治的工作をしたわけです。そのあと北の国は滅亡するのですが、火の粉はやがて自分たちにも及び始めます。

7:3を見てみましょう。

その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、イザヤ7:3

 イザヤの子シェアル・ヤシュブ=「さばきと回復」の意です。イザヤにはもう一人の息子がいました。8:3.マヘル・シャラル・ハシュ・バズです。その意は4節にもあるように「あっという間に分捕りものが持ち去られる」です。裁きのことを言っています。そして、そういう人々の暮らしや社会が混乱し始めるとき人々が手を出すのがオカルトなんですね。霊媒、口寄せ。これらは聖書では厳しく禁じられている悪です。これらは滅びに至る道です。

最近ある本を読んでわかったのですが、日本古来の宗教には霊媒が多いですね。新興宗教にも先祖供養だとか霊媒の要素があります。私たちの身の回りにはそういった要素が多く、それが福音に覆いをかけているのではないでしょうか。→20節「その人には夜明けはない」のです。21節はその結果です。闇が自分を覆うようになり生活は息詰まる。自殺者は増え、生活が困窮し、人のせい誰かのせいにして呪うようになります。私たちも非難ばかりしていないで政治家のために祈る必要がありますね。(-_-;)

三人目のこども

 しかしイザヤにはもうひとりの三人目の生まれてくる「みどりご」への期待がありました。それはインマヌエルです。8:8、9:6.そして今日の9:1です。

8:8ユダに流れ入り、あふれみなぎって、首にまで及ぶ。インマヌエルよ、その広げた翼はあまねく、あなたの国に満ちわたる。

9:6ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士(カウンセラー)、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。

 これは、その後生まれてくるイエス様についての預言です。

8:8.広げた翼は国中いっぱいに広がる~福音のこと。

9:6.主権。それは悪魔に制せられて困窮している人たちが、解放されるための権威のことです。

信じる人の権威

エス様は十字架と復活に勝利によって悪魔に勝利されました。そして、勝利の回復の権限を信じる者に与えて下さったのです。9:1を読んでみましょう。

9:1しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。

9:2暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

苦しみのあったところ~はずかしめをうけた➡光栄を受けた。それは福音のことです。イエス様のことです。♪望め奇蹟を毎日という歌があります。

 家のプリンターが動かなくなった。そんな小さなことのためにも神様は祈りを聞いて下さいます。救霊の奇跡、癒しの奇跡、経済の守り祝福。永遠の命。

救い主イエス様のお名前には一切のものの上にある権威がありますから、イエスの御名によって必要なことのために祈ろうではありませんか。f:id:seishonoarukurashi:20201223201624p:plain

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。マルコ11:24

 先日の朝、時間がなくて急いで運転していた時のこと。マルコ11:24をとなえて早く行けるように祈りました。すると親切なトラックが右折する何台もの車を優先させてくれたり、走り出すと目の前に通勤時間帯だというのに一台も他に車がなかったり、Uターンする時もずっと向こうの信号で何台もの車がとまったままだったり。結局遅刻するはずが間に合ったのです。そんなの偶然だと言って聞く人は笑うでしょうが、私には奇蹟だと思えました。祈る人には奇蹟が、神さまが働いて下さっていることがわかるのです。

権威あるイエス様のお名前を使って、みことばのお約束を握って、あのことのために、このことの必要のために、主の御名の栄光のために祈りましょう。

 インマヌエルの神さま。主のご降誕を感謝します。

お祈りをしましょう

天の父なる神さま。

私たちにインマヌエルのイエス様を今から2000年まえのクリスマスにお与えくださり感謝いたします。インマヌエル、いつもともにいて下さるイエス様。恐れず、疑わず、祈りつつ信頼しつつ歩ませてください。

エス様のお名前によって アーメン

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

 

*1:8:19人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。 8:20ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。 8:21彼らはしえたげられ、飢えて国の中を経あるく。その飢えるとき怒りを放ち、自分たちの王、自分たちの神をのろい、かつその顔を天に向ける。 8:22また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみのやみとがあり、彼らは暗黒に追いやられる。第9章9:1しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。

*2:信仰者が7年間の大患難の直前に生きたまま地上から引き上げられるという教え