「ノアに学ぶ再臨信仰」
前回に続いて、再臨について聖書から見ていきたいと思います。
そして、再臨に間に合う信仰とはいったい何なのかということ、そしてそれにまつわるノアの信仰姿勢をご一緒に学んでみたいと思います。
携挙は突然くる
13:32 32節のその日その時がいつであるかはだれも知らないとは、再臨のことでも、空中再臨※のことだとの解釈があります。※*2
先日もユーチューブでシンガポールにおられる松本牧師がそのように説明しておられる動画を見ました。
その根拠は、聖書では世の終わりは7年間の大患難と666反キリストの登場後であると預言されているからで、はっきりと再臨の時期、終末のときは預言されているとあるからだとの説明でした。
なので、この「だれもわからない」とは文脈の前後から再臨に先駆けてある空中再臨、または空中携挙とも言いますが、その時のことであると解釈されるわけです。
空中携挙の預言の箇所
そのことは新約聖書のテサロニケ人への手紙に書かれています。また、マタイ伝にもあります。
また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。マタイ24:31
そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。 24:41ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。 24:42だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。マタイ 24:40‐42。
それは、それはごく普通の日に突然起こる。飲んだり食べたりしているときだと書いてあります。
空中携挙に与るクリスチャンとは
気になることは、この空中再臨、または空中携挙に与れる人とはどんな人なのか、という事です。
つまり、クリスチャンというのは、どんな人なのかという事でもありますが、この文脈のマタイの24章38節には、ノアの箱舟のことが書かれています。
ノアの造船技術
ノアが造った箱舟の技術は、以前にもその造船工学の博士が来られて教えて下ったことがありましたが、現代の技術からして理想的な造り方だったという事でした。当時のことを考えてもノアの箱舟は人間の知恵や知識によるものではなかったと言えるでしょう。
それは、神の知恵によるものだった。神の備えられた知恵と知識による救いの方法だったと言えます。
ノアの箱舟から教えられる救いに与る信仰の姿勢
ノアはその神の備えられた知恵に沿って、箱舟を作り、箱舟を信頼して、それに乗って自分と家族の命を救いました。
私たちは、小さな自分の悪い習慣でさえ扱うのに苦労するような弱いものでしかありません。今の生活と、また来ようとしている自らの救いの完成の為に必要な姿勢は「自分の知恵や努力で自分を救おうとすることをしてはいけない」ということです。
もちろん目標をもって努力することはよいことであっても、根本的に、自分の心の奥底には自分でも扱いかねるモノがあって、手に負えないことを認めること。そして、聖書ではそれらを罪、病と呼んでいますが、その罪と病から自分を超えた大きな存在、永遠の神が自分を救って下さる、日々助けて下さるということを信じ受け入れて、信頼を寄せていくことです。
しかしそうしないならは、その努力や善行ですら、神が用意されている救いと癒しの方法をさまたげて、ないがしろにすることになります。
言い換えると、なんとかしようとする自分へのこだわりを捨てることです。
神の前に立つ備えをしましょう
今の時代は確かに終末の時代の様相を呈していると多くの人が考えています。それは時代が証言していることでもあると思います。
時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。 神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。創世記6:11,12
人は自分が蒔いたものを必ず刈り取る時が来ます。
死んだあと、一人一人が、神に会う備えをする必要があります。
周囲の人がたは、そんな来る日も来る日も原っぱに巨大な船を作り続けたノアとその家族を嘲笑したかもしれません。「そんなもの造って一体どうするんだい!?」。ノアの生き方:神の知恵と知識に単純に頼りながら日々を過ごす彼らを見て、物笑いの種にしたでしょう。
しかし神に委ねつつ歩むその生き方は、最後の神の怒りの時に、自分達の魂を救ったのです。自分へのこだわりはすてなければなりません。
裁きの時があることを覚えて、神を畏れつつ、しかし肩の力を抜いて、深呼吸して、リラックスして、自分の仕事を続けつつ、その日に備えたいと思います。
信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。新約聖書ヘブル11:7.
空中再臨に備える
携挙が大患難の前なのか、それとも大患難の後なのか。説が分かれています。だれにもはっきりしたことは断言しきれないと思います。ノアから四代さかのぼったエノクは大洪水に先駆けて生きたまま天にあげられました。しかしノア家族は大変な中を通過しました。すでに時代は大患難期に突入していると説もあるようです。もしかすると自分は残されるのかもしれない?と心配する人もいます。
もちろん、携挙に与ることを期待します。
しかし、世の終わりがどのようにやってこようとも、確かなことは、神は確かに存在していて、人がしたこと言ったことの裁きを行われるお方だということ。そしてその日を恐れつつも、ノアの信仰が自分へのこだわりやメンツを手放して、救って下さる神のお働きを期待しつつ進んでいったように、私たちも進んでいくこと。
たとえどういう終わりの時が来ることがあっても、神はそのような人を最後まで守られることを感謝したいと思います。
お祈りをいたしましょう
天の父なる神さま。
御名を崇めて賛美申し上げます。
イエスキリストの内にある完全なみ救いをお与え下さって感謝いたします。
どうぞノアとその家族が箱舟に入って自分たちの命を救ったように、イエスキリストの福音を受け入れて、世の終わりへの備えと自らの終わりの時の備えを賢くも果たすことが出来るように、お助け下さい。
イエス様のお名前によってお祈りいたします アーメン
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。