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「不満、怒りと憤り、そして疑いを乗り越えて」

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「不満、怒りと憤り、そして疑いを乗り越えて

 こんにちは。

庭の家チャペルの牧師 伊藤と申します。

今日は、みなさんといっしょに「不満、怒りと憤り、そして疑いを乗り越えて」というタイトルで今日のローマ書を見ていきましょう。

ローマ9:1424*1

  先週は神のご主権ということについてでした。今日はその続きでもありますが、今日の箇所は少し難しい箇所だと思います。神の選びと私たち人間との関係についての箇所です。

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パロが頑固になったわけ

 今日のところに、旧約聖書に出てくるモーセのことが書いてあります。

対するは当時のエジプトの王パロです。どうしてパロがモーセの「わが民を去らせよ。」と神が言われるとの要請に対して心をかたくなにしたのか?その理由が書かれてあります。イスラエル人はおよそ400年間にわたってエジプトの奴隷として酷使されました。不当な扱いでした。

 しかし、パロが心を頑なにしたことで、そのあとモーセを通して数々の不思議的な現象が現されて最後はあの映画にもなった大紅海が真っ二つに割れてイスラエル人らが海の底を進んでいくという件となりました。

神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。9:19そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。 

 エジプト王の心を頑(かたく)なにしたのが神ならば、どうしてその責任を人に問うのか?という疑問が生じます。そのような運命に、だれもあらがうことなどできないではないかと。

しかしこれに対してローマ書を書いた使徒パウロは、もういちど神の主権という事をとなえます。

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神には陶器師としての主権~権利がある。どう作ろうとそれは主人の思うままではないかと。

過去2000年の間にキリスト教が世界に広まった原因

 パロの頑固さは福音に対して心を頑なにしたイスラエルについて説明するためのたとえです。

 11:25‥‥この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、 11:26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、

「救う者がシオンからきて、
ヤコブから不信心を追い払うであろう。

       ローマ 11:25,26.

  パロが頑固になったことが紅海が真っ二つに割れてイスラエル人たちが海の底を通り抜けていくという~奇蹟~神の現れとなったように、イスラエルがイエスキリストの福音を拒んだことにって、その後、世界中に福音が告げ知らされていくようになったと言うのです。福音は2000年かけて西回りで世界中に届けられました。

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 しかしユダヤ人の歴史は苦難の歴史でした。彼らは多くの迫害に耐えていました。

9:22もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、 9:23かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。 9:24神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。

十全の神、神様のご計画は善でしかない 

 辛い思いをすることになった~そのとき私たちは内心穏やかではありません。神への怒りや恨み心や、神が善であることへの疑いなどの苦い根が私たちの内側から吹いて出てくることがあります。

しかしそのあとに私たちの思惑を超えた出来事が神によって用意されているというのです。

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 11:26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、

「救う者がシオンからきて、
ヤコブから不信心を追い払うであろう。

 やがて多くのユダヤ人たちが全家をあげて集団的な回心をするときがくるというのです。

二つの道

1.神と人間の立場は違うということ。神の主権を認めること。

1.もし人が神の主権に対して言い逆らい、恨みを抱くなら、神の怒りを受けるようになるということ。

1.神は愛であられること。そのような当然の怒りを身に受けるはずだったのに、やがて私たちの家族、知人たちはみな救われる~イエス様を信じて、裁きに遭うことなく、永遠の命に与ることが出来るようになる、これが福音です。

1.唯一の神とはそのような憐れみ深い神さまですから、私たちはどこまでもその憐れみに信頼して、自分のうちにある疑いや恨み心や怒りなどをありのまま認めて、弱い自分を正直に認めて神さまの憐れみにすがっていくことができるのだということ。

1.聖霊は私たちを助けて心を変えて下さる

 ある者は神に口答え言い逆らう人生を送るでしょう。

あなたはどちらの道を選ばれるでしょうか。

 私は神の無限の憐れみを思って、その愛のゆえに神をほめたたえていくものでありたいと考えています。幸いな一生を過ごしのちには永遠の命に与らせていただきます。

 

お祈りをいたしましょう

神の愛は無限です。恵みと慈しみがほめたたえられますように。本来であれば神の怒り身にうけるべきはずの私たちに救いを与えて下さり、あわれみの器にして下さいました。それは恵みの栄光がほめたたえられるためでした。どんなときにも失望することなく、いつも主をほめたたえ続け、最善をなしてくださる十全の神、主を仰がせてください。イエス様の御名によってアーメン。

*1:

9:14では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。 9:15神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。 9:16ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。 9:17聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。 9:18だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。
9:19そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。 9:20ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。 9:21陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。 9:22もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、 9:23かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。 9:24神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。