聖書のある暮らし

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約束された祝福を受け取るために

 こんにちは。庭の家チャペルの牧師 伊藤と申します。今日は「約束された祝福を受け取るために」というテーマで聖書を見ていきましょう。

 約束された祝福を受けとる

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ローマ9:613*1

 今日のキーワードは8節の「(神によってそう)みなされる」と、11節「行ないにはよらず、召してくださる方(神)による」です。

 神の言葉がすべてに優先される

まず早速、6,7節から見ていきましょう。

これはどういういみなのでしょうか。

バプテスマのヨハネの叱責

エスの直前に現れた預言者バプテスマのヨハネという人が民衆に洗礼を授けていた時に、『自分たちの先祖がアブラハムだ』などと心の中で言っていてはならない、と民衆を叱りました。そしてこう言いました。「神は、石ころからでさえ、アブラハムの子孫を生み出すことが出来る」と。マタイ3:7‐9

アブラハムとは当時からさかのぼること数千年も前のイスラエル民族の始祖でとても尊敬されている人です。イスラエル人たちは自分たちがその子孫であることを大変誇りとしていて、実は、逆にその特権意識が信仰の妨げになっているというのです。

大事なことは神の主権

私たちはとかく人と自分を比較しがちなのですが、ここで言われていることは、大切なのは神の主権による選びなのだ、ということを言っています。

先に生まれた子よりも、後に生まれた子。時に性格の良しあしや、人の決め事常識ではなく、神によってあらかじめ定められた「選び」がによって ものごとが進んでいくということを言っているのですね。

ですから今日のキーワードは「【神が】みなされる」(8節)~また(11節)「私たちの側の行ないにはよらず神の選びによる」となります。

 一度神の選びによって語られた約束の言葉は永遠に変わらない

次の聖書の引用を見てみましょう。

そこで、わたしは問う、「神はその民を捨てたのであろうか」。断じてそうではない。ローマ 11:1
▼神の賜物と召命とは変わることがない。ローマ 11:29

この二つのみ言葉は、「不変の神の言葉の効力」ということについてです。たとえ心を曲げてしまって、救いと祝福を拒絶してしまったとしても、神の側では今なお、それは有効だということです。もしイスラエルが今悔い改めれば、すぐにでも国をあげて救われるのだといっているのですね。

 私は神の石ころです

神のみ言葉のお約束は今なお、有効だということ、不変だという事ですが、これらのことは私たちにどう当てはまるでしょうか。

神は石ころからさえも、もう一度アブラハムの子孫、新しい民族を起こすことがおできになるといいます。「彼らが黙れば石が叫ぶ」と主は言われました。私たちは、自分たちがそんな石ころだということを覚えて、神の言葉の前に身を低くして、お約束を受け止めていくことが大切です。

神のお約束を受け取れないでいる原因

私たちが聖書に書かれてある、約束された祝福を受け取れない原因は、神の言葉よりも、自分は大丈夫、まだまだやっていけるという人間的な誇りがあるからではないでしょうか。まだまだ大丈夫という自負心が邪魔をしているからではないでしょうか。

神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。新約聖書ヘブル4:12

 すべからく、ことが神のみ言葉の主権によるだとしたら、そして神の言葉のお約束は手付かずでそのまま残っているのだとしたら、私たちはどうすればいいのでしょうか。

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かなりの財産に気づかず孤独死した人のニュースがありました。早く気付ていさえすれば違った展開もあったはずです。

わたしは神の石ころです

思考をみ言葉の下にする

ただ聖書に書かれてあるから~それだけの理由で、何ヶ月も患っていた家の人の腕にあった皮膚炎のために、先日、癒されるようにお祈りしました。朝仕事に行くまぎわで時間もなかったので、イザヤ書53章の癒しの箇所「主の打たれたうち傷によって癒された」、それとマルコ11:24「すでに受けたと信じて祈りなさい」という二つのみ言葉を読んだ後、短く祈りました。

するとどうでしょう。あれほど中々薬を塗っても治らなかった患部が枯れだして、炎症のあとが消えました。

どうせダメでしょうとか、信仰の強い人のすることだとか心の中で言っているとみ言葉の有効性は今なお解き放たれるはずだったのに、妨げてしまいます。

私は神の石ころです。

そう言ってみ言葉に基づいて祈りましょう。

聖書に書かれてある三つの呪い

1.霊的な死 創世記12:17 宇宙を創造された唯一の神との不和断絶です

2.貧困 申命記28:15-68 生活苦 経済の破綻

3.病気 申命記28:15-68 肉体の病、そして永遠の死、死後の裁きです

 しかしイエスキリストが十字架にかかられた目的は、信じる者がこれらの呪いから救い出されるためです。キリストは私たちのために呪いを受けて下さいましたので信じる私たちは呪いから贖いだされるのです。ガラテヤ3:13

 祈りましょう

神の御子イエス様が私を霊的な死と貧困と病から解き放つために十字架におつきになられたことを感謝致します。いま、いっさいの呪いをイエス様にお任せいたします。主イエスは死んで三日目に甦られた神です。私に聖霊の新しいお命を注いでください。

このお祈りを主イエス様の御名によってお祈りいたします アーメン

 

 

*1:

9:6しかし、神の言が無効になったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、 9:7また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである。かえって「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」。 9:8すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。 9:9約束の言葉はこうである。「来年の今ごろ、わたしはまた来る。そして、サラに男子が与えられるであろう」。 9:10そればかりではなく、ひとりの人、すなわち、わたしたちの父祖イサクによって受胎したリベカの場合も、また同様である。 9:11まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、 9:12わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。 9:13「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。