聖書のある暮らし

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落胆した時の対処法

「落胆したときの対処法 聖書 ガラテヤ 6:9,10.

2019.8.4.sun. 日曜日の朝の礼拝で牧師が語ったお話から

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。 だから、機会のあるごとに、だれに対しても‥‥善を行おうではないか。 聖書【ガラテヤ6:9,10】

私たちは、どんな時に、がっかりしたり、落胆するでしょうか。 自分が願っていたように物事が運ばなかったとき。期待していたようには、良い扱いをしてもらえなかったとき。と、それぞれあると思います。

原因は内向きな姿勢 ーそれは「利己心」とも言い換えられる。

内向きになる時はどんなとき?

①どこかで自分一人だけポツネンと取り残されたように感じるとき

たとえばあなたが英語のサークルに行ってうまく発音ができず「ダズント」と言ってしまった。見ると先生が頭を抱えている。誰かのジョークも、笑ってあげたいけど笑えない。面白くない。でも、みんなは結構笑ってる。なんだか居心地が悪い。そのうち次第に肩身が狭い気がしてきた。来るべきじゃなかったのかなあ。もうやめようか、と。居場所がない状態ですね。誰にも挨拶もしないで、こそこそと急いで帰る自分。

そんな自分とは対照的に、自分の目の前に座っているあの実によく笑い楽しそうにしている人。見ているとなんだか穏やかでなくなってくる。取り残され感は、倍増してきて、無視されているような気がしてくる。

そんなことはありませんか。

でも、、、、

被害者意識満載で座っていたある日、自分のすぐ近くに座っていた人が実は重大で深刻な悩みを抱えていたことに後から気づいた。

② やあしばらく!と勇気を出して挨拶したのに、ええっと誰でしたっけ?みたいな仕打ちにあって~ガクっとなる。自分が情けなくなります。

でも、、、

そんなときこんな風に考えてみてはどうでしょうか。 落胆はした、でも‥‥確かに自分はこんなふうに惨めではあるが‥‥こんな自分でも今まで誰かから たとえささやかであっても、感謝されたり、認めて頂けたりしたことがあった。たとえその人が有名な人、人気のある人ではなくても。

確かに忘れられてはいたが、勇気を出して、挨拶したことはその人にとっても別に悪い気にさせるようなことではなかったはずだし‥‥。

確かに相手には落ち度はある。それは確かだ。 八割がた相手が悪いか、それともフィフティフィフティか。 ここでも私たちには、裁判官になる必要はありません。私たちが扱うべき領域は、あくまでも自分の守備範囲内でのことです。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。 マタイ7:3~5

ストレスを溜めやすかった今までの生き方を振り返ってみる そしてストレスを溜めない生き方をする

たとえば、人といるとき、ちゃんと相手が話していたとき目線を向けて、注意を払って、聞いていたか? 実は、目もくれずに、相手のことより自分のことばかり気にしていなかったか? そして、相手が自分に注意を向けてくれなかったからと言って憤慨する。こんなことは多いと思われます。

ここまで考えてみると、問題は、自分の側の小さな身勝手さが原因だったことが見えてくるのです。それでいて、人の視線が非常に気になる生き方です。疲れる。

愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。第一ヨハネ4:18

そんなに感謝されるようなことをした覚えはないけど、もし、誰かが、以前、自分がした小さなことを覚えてくれていて、感謝されることで、意外な思いがするのであれば‥‥自分も、遅ればせながらではあるが‥‥その小さなことでだれかを励ましてあげられるかもしれない。 「善を行う」とあるけど、だれかに小さな親切ができればなあ。

どんなに魅力的じゃなくてもいいから、「善い行い」の種をまき続けていきたい。

だから落胆する時は、意外と自分のことで頭がいっぱいになっているときが多い

利己心は、人から何かをもらうこと、人からの何かを期待します。でも、そこには往々にして、感謝の気持ちを持ち合わせてもいないし、当たり前に人を自分のために使って そのくせ不満や不平を隠さない。気づくと失望と落胆が自分を蝕んでいる。往々にしてあるように思えます。そして、そういった生き方は私たちをダメにします。

先週、私たちは礼拝時に、グループに分かれて祈りましたが、それは、だれかの為に祈る時間でした。 見返りがなくても誰かの為に祈る~それは素晴らしいことだと思います。

 

日中の仕事の合間にも、手を休めて、思いを誰それさんの為にむけてとりなし祈る。 「今日は~さんの病院の検査の日です。痛いカメラを飲まないといけない。どうぞお守りください。」簡単ないのりをしてみましょう。

 

次回は落胆から自由になっていく方法について具体的に見ていきたいと思います。