聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

キリスト教信仰の持ち方

十字架上の強盗犯

キリストが2000年前、当時極刑と言われた十字架に張り付けになった時、時を同じく二人の強盗犯がやはり同じ十字架につけられました。ひとりはキリストを罵りました。「あんたメシヤなんだってな。だったらよお、自分を俺たちを救ってもよさそうなもんだぜ。ええっ、どうなんだい!」LB訳。

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ひどいですよね。このセリフ。しかしもうひとりの強盗犯が言いました。「この期に及んで、まだ神様を恐れないのか!おれたちゃ悪事を働いたんだから、殺されて当然さ。だがよ、このお方はどうだ。悪いことなんぞ、これっぽちもしちゃおられないんだぜ。」そして言いました。「イエス様、御国に入られる時、どうぞ、私を思い出して下さい。」するとイエス(キリスト)はこう答えた。「あなたは今日私といっしょにパラダイスに入るよ。約束するよ。」

 

聖書がいう「悔い改め」のほんとうの意味とは

聖書が言うほんとうの悔い改め「メタノイア」とは、信頼と子どものような身なり,態度でキリストのもとに来ることです。

生まれてすぐに自分でおしめを取り替えたり、ミルク瓶をテに抱えて飲むような赤子はいないように、信仰を始める第一歩は、自分の無力さ、道徳的に、霊的に、知的に無力さを認める所から始まります。いい人になることではないですね。

自分はだめでも、イエスを死人の中から甦らせることが出来た神であるなら、出来る,大丈夫なはずだ。それを「信頼」=「信仰」と言います。