「社会・家庭での勝利の秘訣」
今回のメッセージのタイトルは「職場・家庭での勝利の秘訣」です。
そして、秘訣としましたが、秘訣は「赦し」です。
自分が神様を赦して下さったように、自分も自分に罪を犯す人を赦すということです。
Ⅰペテロ2:18-3:1.*1
先日、Kさんのお宅をお伺いした時、皆さんで♪いえすさまがいちばん という古い歌を一緒に歌いました。
この歌は当時受験生だった方が、辛さの中で「イエス様がいちばん」と歌った歌だそうです。
どんなときにも、イエス様が一番なのです。
またそれは、どんなときにもイエス様のことを考えてみなさいという意味です。
今日の聖書の個所に「不当な苦しみを受けながらも神の前における良心のゆえに悲しみをこらえるなら」~とありますが(19)、なぜならばその理由が、イエス様が十字架のみ苦しみを耐え忍ばれたとあるからです。(21)
私たちは、少しでも具体の悪いことが起こると、相手のことを悪く思いやすいところがあります。あの人が悪いからこんなことに‥‥とどこか不満な思いを持ちやすいものです。
しかし、もし私たちが、このように生まれながらの性質のまま過ごすなら、不幸な一生でおわることでしょう。
これが聖書でいう罪です。
イエス様は、私たちに「その足跡に従うようにと模範を残され」ました。(21)
22節からはイエス様がどのようにして十字架の道を歩まれたかについて書かれていて、そこにはイエス様が「正しく裁かれる方に(ご自分のこと、また相手のことを)お任せになった」とあります。
怒りの原因
先日M姉とお話していた時に、こんなことを教えられました。
精神科医の先生が言うのには、人が怒る原因は事が自分の思うようにならないからだとのことでした。
それはまた言い換えれてみれば、私たちと言うのは、それくらい近視眼で、自分も含めて周りの状況を正しく見ることができないものなのだということでもあります。
そこに少しの想像力があって、客観的にその場を見ることが出来れば、あまり怒ることはなくなるのではないかと思います。
自分が自分が💦という思いが常に強いのが私たち人間で、ほんとうのところ、現実をよく見ると、自分よりも相手のほうが大変なことになっている!そんな事すらあり得えます。
自分がこんな目に遭っているのに、自分がこんなに苦労しているのに!もう!
針小棒大というように、常に自分の小さな痛みが人の抱える大きな痛みよりも最重要課題だっ!となってしまうことにエンジン爆音最大限で、いつまでも成長しないこども性とでもいうのでしょうか。
これはなかなか難しいことだと思います。
ジャックヘイフォードのお話
ヘイフォード師が以前話されていたことのなかに、教会のお掃除の仕事をしている方がいて、とてもいい方なのですが、お話していると、なにかいつもどこか刺(トゲ)のあるような感じがしてくる方がいた。
ある日、聖霊さまがヘイフォード牧師に語って下さったことがあったと。
「顔を見ないで足を見てその人を判断しなさい。」
それまでその人がいったいどういう所を歩いてきたかを考えて見なさいということでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになられた。23
先日ある方の本を読んでいて分かったのですが、イエス様が十字架にお付きになる時、唾をかけられたというくだりがあります。その人を見下し、蔑んで、もっともされたくないような出来事は、一度や二度ではなく、ずうっとそうされ続けたという意味なのだそうです。
なぜ主イエス様はそんな目に遭われたのか?
それは、主が罪びとの一人となるためでした。
聖書は「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされた」と語っています。
イエス様は罪びとではなかったのですが、私たちの罪咎を担って、私たちを永遠の滅びから贖い救い出すために、身代わりとなって、私たちのために罪びととなって下さったのです。私たちの罪咎と病のすべてを身に引き受けて下さったのです。
ワク○〇を打ってから、ほんとうに毎日の健康を奪われて苦しんでいる人が多くいるようです。
しかし、どんな副作用も後遺症も、イエス様を信じて神の子となって、教会の一員となるなら、聖書のお約束に基づいて癒されます。
先日あったちょっとしたこと
先日のこと、ちゃんと係の方のお話を聞いていなかったのか、朝早く仕事に行くと、「今日は休みだよ」と言われてしまいました。ええっとなったのですが、家に帰っても眠れない。悶々としてきて、あの人が悪いからだ‥‥という思いが募ってきました。
しかし、家に戻って祈っていると、次第に胸が熱くなってきて、こんな風に神様からが語っておられるように感じてきました。
「お前にそんなふうに考えることが出来るのか?」と。
それはほかならぬこの自分が、まずイエス様の十字架によって多くの罪をゆるして頂けたからです。
私たちの負い目をおゆるし下さい。
私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。
続く、3章1節からは、夫婦の関係について書かれてあります。
日本社会に残る呪いを断ち切る
近年はDVというのがありますが、ワンマンな旦那さんの存在がいまだにこの日本には多いようです。
奥さんたちが気兼ねしている家が多いのは、誤った考え方、アダムとエバ以来の呪いではないかと感じます。もちろん逆バージョンもありですが。
しかし、この呪いはイエスの御名によって打ち砕かれなければなりません。
なぜ、このように3章1節以降に、妻は夫に仕えよと書かれてあるのでしょうか。
それは、この2章までのところからの続きとして読むと理解できる個所です。
さもなくば現代にこのような奨めは拒絶されてしまうような個所でしょう。
しかし、ここでも、大切な忘れてはいけない、大事なマスターキーともいうべき家庭における勝利の秘訣はなんでしょう。
イエス様のことを考えてみるということです。
ある旦那さんをみとった方のお話
先日、数年前に旦那さんを天に見送った方のお話をお聞きしました。詳しくは言えませんが、かなりの苦労を結婚当初のお若いころからされ続けてきた方です。しかしその信じがたいほどに横暴だった旦那さんが病を経て召されていくのですが、長年のつらみ恨みがなかったとは言い切れないでしょう。
ちゃんと最後まで面倒を見てあげて、信仰にまで導いてあげて、最後には教会牧師さんまでをも呼んで、教会でお葬式をしてあげたのです!
わたしは「よくそんなことができましたね」と聞きました。
するとその方は、「いいえ、あれは自分じゃなくて、イエス様のお力でしたから」そう言いました。
イエス様のことを考える
普通だったら絶対に、赦せないし!呪い返しても当然と思えるような状況下で、私たちが、勝利の人生を送る秘訣は、イエス様の十字架のみ苦しみによって、自分の罪が赦されたことを思いおこすことにあります。
先日、Y姉が来られて、いままで読んだ本の中で一番心に残っているのは、あのコーリー・テン・ブームという人が書いた「私の隠れ家」だったと話されていました。
ナチス政権下、ユダヤ人を助けたかどで、家族に悲劇が訪れ、自身も処刑寸前、不思議な方法で助かった方です。彼女は自分を苦しめた男と再会した時、あらゆる憎しみと怒りと復讐の念で堪えられなくなりました。男は既に年老いていました。何万年、何千年とも思えたその瞬間、コーリーは聖霊の導きに自分を委ねました。瞬間的に超自然の赦しと愛が天からやってきて、コーリーはその年おいた元兵士を赦し、抱き、祝福を祈りました。コーリーは婦人伝道者でした。
身勝手で大人になりきれないこの世界で、私たちが信じるこのイエス様にこそ、世界が求めている救いと癒しがあるのです。愛と希望があるのです。
救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。
*1:
第3章
3:1同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。