聖書のある暮らし

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「家の教会」

なぜ家の教会なのか

今回のテーマは「家の教会」です。

聖書から、家の教会とは何かについて、それがまた、私たちの信仰生活とどう関係があるのかについて、ご一緒に学びましょう。

使徒2:37-47.*1

今回開いた聖書のなかの「使徒の働き」のところでは、家々でパンを裂いたとあります。初代の教会は家々でもたれていたことがわかる個所です。

私たちも先週は、本当に久しぶりに聖餐式が出来て感動でした。

ここでは「パンを裂いていた」とあります。今でいう聖餐式のことですね。

どうして家々だったのかというと、理由は2:41にある一日で三千人が一度に弟子に加えられたということにあります。対処する場所がなかったんですね。

そこで急遽、信者さんたちの家々が集会所として用いられていったのではないかと思います。

今日では、一般的に教会というと三角の建物があって、十字架が付いていて‥‥と思うのですが、そうじゃないのです。

初代、教会は家々で持たれていたのです。

「家々でもたれていた教会」と、私たちの信仰について聖書から学びましょう。

なぜ家の教会なのか ①リバイバルに備えるため

先週エリザベス女王が亡くなられましたが、イギリスの国は王さまを敬う国ですね。女王がお亡くなりになったお城も豪華な佇まいです。

これらは王室を敬う思いから受け継がれてきた資産の一つでしょう。

イギリスでそういう敬虔な精神が受け継がれてきた背景には18世紀のジョン・ウェスレーをぬきにしては説明はできません。そこには18世紀の輝かしいリバイバル=信仰復興運動があったのです。

彼らは馬に乗って、徒歩でイギリス全土に福音の火を広げていきました。

同じころフランスでは、ちょうどフランス革命があった時期で王政は退けられました。その運動には、ある面あざけりと不敬な面もあったと思います。神の建てられた秩序と権威に反逆するという、これは非聖書的で、世の終わりに向かう兆候の一つです。

当時、イギリスに革命が飛び火しなかったのはこのジョンウェスレーたちのリバイバル運動によるものだったと歴史家たちは言っています。

ウェスレーたちは、国教会の規定によって礼拝堂は使えませんでしたから、考えた末に、彼らは青空集会を盛んにやったのです。

そして次に彼らは野外だけではなく、各家庭を使って、リバイバルの働きを推し進めていきました。イギリスではかつて何度もリバイバルが起きては消え、起きては消えていきました。しかしその中でウェスレーたちのリバイバルは脈々と続いたのです。

その要因は家庭集会にあったと言われています。

今日ご一緒に開いているこの使徒3:46にあるように、家々がずうっと用いられていったことによるものだったのです。

16:3キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。 16:4彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。 16:5また、彼らの家の教会にも、よろしく。わたしの愛するエパネトに、よろしく言ってほしい。彼は、キリストにささげられたアジヤの初穂である。ローマ16:3-5.

ここでも、プリスカとアクラという夫婦の家で教会が持たれていたことがわかります。

それから続きの14,15節をも見てみましょう。

16:14アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよび彼らと一緒にいる兄弟たちに、よろしく。 16:15ピロロゴとユリヤとに、またネレオとその姉妹とに、オルンパに、また彼らと一緒にいるすべての聖徒たちに、よろしく言ってほしい。ローマ16:14,15.

ここにも出てきますね。

アスンクリトさんや、15節のピロロゴさんたちのところでグループがあったと書かれています。そこで集まりが持たれていたことがうかがわれます。

なぜ家の教会なのか ②有事に備えるために

家々での教会の二つ目のメリットは何でしょう。

有事に備えるとしてみましたが、今回のコロナも有事ですね。

でも神様はちゃんとインターネットを使って、サイバー空間を備えて下さっていました。それもまた、たまり場ですね!またサイバー空間から出てきて、リアルで訪ねて来て下さったり一緒にお祈りをしたりすることもあります。

今日は9.11ですが、3.11もありました。その時、多くの教会では会堂が使えなくなってしまったことがありました。

なぜ家の教会なのか ③聖徒たちが主に献身する場として

ウェスレーたちのお働きでは、あまりにも多くの人たちが野外集会で救いを受けました。彼の目を見た多だけでその場に倒れる人が続出したり、リバイバルは全土へと広がっていきました。その受け皿として家々が用いられ、自前の信徒牧師、信徒伝道者らが養成されていきました。神学校卒の有資格者たちだけでは間に合わなくなってきたからです。

私たちの教会も、実は、家庭集会から始まった教会です。

(伊藤弘子牧師先生のお証)

当時、伊藤弘子牧師先生も、まだそのころは牧師でもなく、信徒伝道者、レイマンでした~英語ですね~信徒牧師としてすでに働きを開始していました。

転勤族の夫に伴って、札幌から砂川、砂川から札幌、そして函館、そして釧路と転勤が続きました。しかし当時のこの辺には同じ教派の教会がなく、やむなく自宅を開放して始めたのがきっかけです。もう五十年も前になります。

ヒューマニズムやリベラルとも戦いました。創世記が神話だとか、復活も信じない牧師たちがいたりして、かなり戦いました。

ヒューマニストとは、神の愛よりも人間愛を説く教えです。聖書に従って真理を語ると愛がないと言ってはそしられたものです。

そんななかで、真の聖霊さまによる十字架の御血による永遠の裁きからのみ救いという福音を妥協することなく語り伝えるために、自分の家を、官舎でしたが、そこを集会所として用いたのです。

あの頃は弘子先生も若くて、来客をよくもてなして、よく聖書のことを教えたり、一緒に祈ったりしていました。

いろんな人が来ました。中学生も来たし、統〇教〇の人たちもやってきて、正しい信仰へと導こうと努力しました。たしか映画会もしましたね。

酒乱だった親父は、恵まれた集会の後は必ずと言っていいくらい、夜遅く帰ってきては夜中の十一時ごろに、玄関を蹴破るようにして入ってきて、暴力をふるう事もよくありました。恐怖でした。

そうやって、体も弱かったし、お金もなかった。

でもあるのは信仰だけ!

若いころ乳がんの手術もしてから体が弱くて、日中人と会っているときは元気そうでも、夜になるとバタンとバタンキューの人でした。

ですから暇があればよく布団を敷いて休んでいたのを覚えています。

ヒューマニズムの教会やリベラルの教会では救いはありません。

それは人の知恵や愛情を神の知恵・愛以上のところに置こうとする教えです。

それらはこの世の終わりの時代の教会の大きな挑戦ではないでしょうか。

やがてそういう教会が最後の666に向かって、世界宗教として集約されていくのです。

確かに家庭を用いれば、どこかで犠牲はあり得ますね。

牧師先生は自分の家庭を開放して、伝道しました。

金銭的に、労力面でも、家を犠牲にしました。

プライベートも犠牲にしました。

でもそういう献身と犠牲の上に自分たちの信仰が今現在、培われているんだという事を忘れてはいけないと思います。

アクラとプリスカの家の教会。アスンクリトらといっしょにいる兄弟たち。

まら、フィロロゴとユリヤ~いっしょにいるすべての聖徒たち。

そこは彼らの家だったんですよ。どんなに疲れたことでしょうか。どんなに犠牲を払ったことでしょうか。でも報いは天にありますね!

チョーヨンギ先生のお証の中に、立派なご自宅を会堂建設の時に、手放したお話があります。聖霊さまが示されたからです。

自宅を売って、会堂献金として捧げなさいと。

当然ながら、奥さんは猛反対でした。ぜったいにイヤです!と。

しかし、その晩のこと、チョー先生が見ていると、奥さんはあっちに寝返り、こっちに寝返りを打って、朝まで一睡もできなかったというのです。

翌朝、疲れ切った顔で「わかったわ、聖霊さまには逆らえないわ」と。

今、政界と宗教界との献金疑惑問題、癒着問題で騒がれていて、まるで何か献金が悪いことかのような風潮のなかで、正しいことが正しいと言えなかったり、私たちクリスチャンも世と世にあるものに振り回されがちなところがあるかもしれません。

しかし、そんな中で、私はみなさんの家々が主のためにもちいられるようになることを夢見て祈ります。

この教会は家の集まりから始まった教会だからです。

しかしそこには牧師先生の犠牲が、献身があったことを忘れません。

家にある教会。

そこはただ住むだけの場所じゃない。

そこにはたとえ配偶者がまだ未信者でも、いや未信者だからこそ、切り込んでいける霊の戦い・挑戦がそこにあるのです。

いろんな犠牲がありました。

そして私たちも、主に捧げる礼拝者、献身者になりましょう。

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:

2:37人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。 2:38すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。 2:39この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。 2:40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。 2:41そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。 2:42そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
2:43みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。 2:44信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、 2:45資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。 2:46そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、 2:47神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。