聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「赦されたように赦す」

今日は、主イエスが教えて下さった「主の祈り」の四番目のところから、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」という祈りについてご一緒に学んでみましょう。

マタイ 18:21-35*1.

聞かれる祈りをするために

今日の結論は、主が赦して下さったように、イエス様の十字架で流された血のゆえに、自分に罪を犯す人を赦すということです。またそうすることができるということです。

聖書のなかには、たくさんの祝福のお約束のみことばがあると言われています。

ある方によれば、三万二千五百もあると言います。

聖書を読んでいて、もし私たちがそのようなみ言葉に出会ったなら、そのみ言葉を書き留めておいて、祈りの度にそのみ言葉を握って、神様に思い起こして下さいと言って、嘆願する祈りができます。

私も先日、その一つを見つけました。

そのみことばをすぐ開けるようにしておいて、神様に祝福をお願いして祈っています。

今年に入って、三人の魂の救いを求めて祈ってきました。

三月には二回、種の献金をお捧げして、先取り感謝もいたしました。

しかし、だれも救われてこない。

献金額が少なかったかな?と思いました。(笑い)

変だな、と思っていましたが、先週はちょうどペンテコステ礼拝で、私たちの礼拝にも聖霊さまの傾注がありました。

聖霊の自由のある礼拝の時を過ごせたことを感謝します。

その翌日のことでした。

S姉の幼馴染で、今は遠方にお住いのUさんいう方から、S姉にお電話があって、ご本人のほうから一方的に、聖書についてや信仰についてのお話し始めたというのです。そして最後にS姉があらためてイエス様の救いのお話をしてあげると、Uさんはイエス様を救い主として信じ受け入れたそうです。ハレルヤ!

ご本人は信仰を持つことができたことを大変よろこばれ、これからはSさんみたいにブレない生き方が私にもできる!これから聖書を読んで教えられたことをノートに書き留めていくようにするね、と喜んで話されたとのことです。

半年間、魂の救いを祈ってきましたが、この一年の後半の最初のペンテコステ礼拝の翌日に起きた出来事に、私は、これは祈りの答えの第一号だと気づいたとき、思わず主を賛美し、主に感謝いたしました!ハレルヤ!

この年の後半、あとの二人も導かれてくることでしょう。ハレルヤ!

 

話が少しそれましたが、もし祈ってもなかなか答えがこないと思われるとき、誰かに対して恨みを抱いていないか心を探る必要があります。もし私たちが誰かを赦さない思いをオイシイ食べ物のように心の中でしまっておくなら、罪責感ですね~潜在的に祈っても聞かれないという劣等感を心の中に持ってしまいます。

それが祈りを妨げている原因になっていることがあるのです。

エス様のたとえ話のなかに、入浴した人が全身きれいになったように、信仰をもって、イエス様を信じ受け入れた人は、過去・現在・未来のすべての罪が主イエスの血によって洗われ、聖くされているとあります。

しかし、この巷(ちまた)を歩くときに、足の裏は汚れるものです。

土足のままで家の中に帰ってくることはできないように、イエス様の十字架の血潮で、そのたびごとに、しっかり赦して頂いて、潔めていただかなければなりません。

そうすれば、私たちは、自分が祈る祈りは神様に聞かれるという確信を持つことが出来るようになります。

どうか、そのようにして主に答えていただくまで、諦めずに祈りましょう。

七度を七十倍=永遠に?
18:21そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。 18:22エスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。マタイ 18:21,22

ペテロはこのとき、かなりの譲歩をして主に「七回まで」と言ったようです。

その理由は、律法の専門家たちが、「仏の顔も三度」みたいなことを教えていたからです。しかし、そのあとの主の答えは、度肝を抜くようなお答えでした。

あり得ないお答えでした。これは7かける70=490回ではなく、無限にという意味です。

どうしてですか?

その理由は、主である天の父なる神さまは、私の犯す罪をも無限に赦し続けて下さっているからです。ハレルヤ、感謝します!

今日開いて読んだマタイ18のみことば。

ここに出てくる最初に王さまから免除してもらった人の額は、なんと数千億円に相当するそうです。それに対して、「返せ!」と首を絞めた仲間の借金は、数十万円ほどだったというのです。

ここでイエス様が仰ったことは、神様に対する私たちの負っている罪の負債は、相手のそれよりもはるかに大きいという事です。

また相手が自分に対して持っている罪の負債は、自分が神に対して持っている負債よりはるかに小さいという事実です。

ところが、私たちはそれをなかなか認めようとしません。

韓国の牧師だったハ・ヨンジョ先生は、相手を声高に批難できる人というのは本当のクリスチャンとは言えないと穏やかにもきっぱりと言い切っています。

もし、私たちの神様の前での犯した罪や、過ちや、これからも犯すかもしれない自分の愚かさのことを考えるなら、簡単には、だれの罪も過ちをも大上段に振りかぶって裁くことはできなくなるのです。

だから姦淫の現場で捕らえられた女の人を、人々が公開処刑しようとしたとき、イエスは、まず罪のないものから手を下しなさいと言われたではありませんか。人生経験の長い年長者から一人去り、二人去り、最後には誰もいなくなったとあるではありませんか。

様々な対人関係の中で、裁きの座に就くことは、神の主権を侵すことです。

私がお前を哀れでやったように、お前も仲間を憐れんでやるべきではなかったのか。33節。

そうです。

ゆるすという事は、主が私を赦して下さったように、相手をどんな人をも赦すという事です。

ただで受けたのだからただで与えなさい

それは「莫大な赦しという資産を受けた私が、その中から幾らかを出してあげる」ということです。

それが、イエス様が、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」とおっしゃったことの意味ではないでしょうか。

使っても使っても枯れない油田があって、それをぜ~んぶ、相続したとします。

そしてある日、だれかが、わずか3~4リットルほど下さいと言ってきたとします。はい。与えます。赦します。

一日をこの祈りをもって始める

主の祈りの四番目の祈り。「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」を朝毎に、出掛ける前にたとえ車の中でも運転しながらでもいいので、祈ってその日に備えて、一日を、霊的な勝利を奪おうとするものから、喜び、平安を奪うこの小さなゆるさない思いを持たないように祈って、こころを備えましょう。

自分のためにも相手を赦す

もう一つ私たちが自分に対して罪を犯すものを赦さなければならない理由は、自分のために赦すという事です。

このイエス様のお話の最後に「こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。」(34)とあります。この獄吏というのは、拷問を与える人という意味があります。

もし、私たちがイエス様の十字架によって誰かを赦さないなら、精神的にも霊的にも、肉体的にもつらい思いをするようになるという事を言っているのです。

 

さっきお話しましたように、聞かれる祈りをするためにも、ぜひ、こころを探って、もしまだだれかを恨んでいたり、赦していないなら、今すぐ、イエス様が自分をそうしてくださったように、わずか二~三リットルの油を相手に与えてあげましょう。なぜなら、私たちは永遠の赦しの油を受けているからです。

怒りの霊よ去れ!復讐の霊、赦さない霊、イエスの御名によって出ていけ!

そうして大胆にそう祈りましょう。

 

どんなに自分の思いが、この祈りの教えに反していてもかまいません。

感情によってではなく、意志によって、選択して、決めましょう。赦します!と。

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:18:21そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。 18:22エスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。 18:23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。 18:24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。 18:25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。 18:26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。 18:27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。 18:28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。 18:29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。 18:30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。 18:31その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。 18:32そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 18:33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 18:34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。 18:35あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。