聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「神の平安」 

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今回はエレミヤ書から、困難を通して神様が私たちに平安を与えて下さるということについてご一緒に学びましょう。
 

 

 

 旧約聖書エレミヤ書42:5,6*1

43:1‐4 *2

今日のところは、紀元前6世紀、エルサレムがバビロンによって陥落したときの出来事です。少数の残されたイスラエルの民が、預言者エレミヤに一応は神の御心を求めてはみたものの、結局は、その御心に従わずに滅びていったというくだりです。彼らはそのあと、エジプトに難を避けようと南下して、滅びてしまいました。

経験する痛みにむだはない

痛みは人生の偉大な教師。リックウォレン。 

 あんなことさえなかったら、自分の人生はどんなにハッピーだったことか。邪魔に思えるような過去や自分の癖が‥‥そんななかったほうがよかったような出来事のおかげで、神様に自分の人生を明け渡せるようになれた。そして神様に自分の人生を明け渡せたことで、そのあと幸いな歩みをすることができるようになれた。それは聖書が私たちに語るメッセージです。 

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自分の人生なんだから好き勝手にやったっていいじゃないか。何が悪い(# ゚Д゚)。ふつうはそうなんですが、それではうまくいかないのです。それが自分の生き方のうまくいかなかった主な原因だったのです。 

そのへんを次は新約聖書パウロの歩みから見てみましょう。 

アナニヤとパウロが通った困難

使徒22:1‐16*3

このアナニヤという人が、どうやってパウロのところに来たかについては聖書の別のところに書かれてありますが、聖霊のお導きをいただいて彼はそれに従ってパウロのところに来ました。でもそれは困難なミッションでした。なぜならこのパウロという人はそれまで反キリスト教徒の急先鋒でクリスチャンたちを迫害して、死にまでもいらせたような人物だったからです。でもアナニヤが聖霊のみ声に従ったことでパウロは回心し、その後、キリスト教は世界中に宣べ伝えられて行くようになったのです。 

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また,このパウロという人もその後、どういう生涯を送ったかというと、キリストの御名のために多くの迫害に甘んじることを余儀なくされ、彼が最後に弟子のテモテに書き送った「テモテへの手紙」には、伝道のために投獄されて最後の時を迎えようとしていたことが書かれています。その後、彼は処刑されました。パウロはその手紙にこう書きました。 

神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

第二テモテ 1:8

 伝道者になったばっかりに、こんな目にあって。もう少し長生きできたのに‥‥。ではなく、この手紙にあふれる雰囲気は、彼自身の経験から、信仰ゆえの困難が多かった。けれど、主に従ったおかげで得られた心の平安、愛、喜び、それは命そのものでした。そして死の向こうにある永遠の命への希望とあこがれでした。彼は、困難がどれほどの祝福をもたらすのかということを、十分以上に知り尽くした人だったのです。

ここでもう一度旧約聖書エレミヤ書に戻りましょう。 

 

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エレミヤ書 40:1~6*4
先の戦争でエルサレム支配下に置いたバビロンの高官のネブザルアダンという人がエレミヤに目をかけてくれたという記事があります。それはエレミヤがかねがねやがてエルサレムはバビロンによって制圧されるから、早いとこ投降するようにと預言していたからです。エレミヤはそのような将来起こることを神の霊によって知っていたのです。制圧後、高官はエレミヤに親切を施そうとしました。いまや彼の目の前には、栄華を極めたバビロンでの悠々自適の暮らしが広がっていました。優雅な暮らしが約束されていました。

エレミヤが選んだのは困難の道だった 

しかし、エレミヤが選んだのは、わずかに残された民とエルサレムの郊外の町ミツパに残ることでした。彼のことを悪く思っている人はまだ多くいたし、そのような選択は危険だったはず、でも彼はそれを選んだんですね。 

 

もう一人の人物についても見てみましょう。 

エレミヤ39:15‐18 *5

このエベデメレクという人は、エルサレムで王さまに使えるクシュ人(黒人)でした。彼はかつてエレミヤが窮地に陥った時、王に嘆願して助けてくれた人でした。 彼は、今の時代のように、新聞やテレビ(当時はありませんでしたが)がいうような当時の誤った風評には惑わさない主を恐れていた人=主の御心を行おうとしていた人でした。 エレミヤはバビロンが攻めてきたとき、彼の命だけは助かることを預言(神からのメッセージ)したのです。 それはエベデメレクが神様の御心にかなうことを行うことを心に決めていたからです。 

あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ」。 

エス様も自分の命を救おうと思うものはそれを失い、私と福音都のために命を失うもの=これは神の国のために自分を捧げるという意味=はそれを見出すと言われました。 

 今日の聖書中の人物に共通していること

このエベデメレクにしてもパウロにしてもエレミヤにしても共通していることは、困難な状況を通ったということです。私たちも時に困難なところを通ることがあります。でも、往々にして私たちはできるだけ楽な道、楽な道を選ぶ傾向があります。つまり面倒なことはいやだ、ということです。

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ああ、今日は疲れたから聖書は明日にしよう。でもテレビのニュースは見る。 聖書は時に私たちに困難な道を選ぶようにと教えています。 

時には私たちの歩みにも困難なときがあります。 

そんな中で、神様が私たちに教えようとされていることはなんでしょうか。 

主の祈り

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」その意味するところは、神は神であられます、という意味です。私たちは時々自分が神であろうとしていることがあります。 ああ、神様、ああしてください、こうしてくださいと祈りやすい私たちなのですが、そうではなく「御名があがめらますように」と祈る。 

 痛みは人生の偉大な教師だとある牧師さんが言ったとありました。

自分にとって邪魔に思えるような出来事を通して私たちが神様に自分の人生を明け渡すことができるようになるため。そしてそれによって、幸いな歩み方をすることができるようになるためだとありました。 

バビロンやエジプトでの華やかで便利な暮らしを夢見て逃避行した彼らは自分たちの恨みと恐れで心が支配され、彼らはそこで滅びました。 

しかしイエス様の血は信じるものを否定的な感情から潔めて下さって、平安を与えて下さるのです。 

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだエレミヤ書 29:11 

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

 

 

*1:42:5彼らはエレミヤに言った、「もし、あなたの神、主があなたをつかわしてお告げになるすべての言葉を、われわれが行わないときは、どうか主がわれわれに対してまことの真実な証人となられるように。 42:6われわれは良くても悪くても、われわれがあなたをつかわそうとするわれわれの神、主の声に従います。われわれの神、主の声に従うとき、われわれは幸を得るでしょう」。

*2:43:1エレミヤがすべての民にむかって、彼らの神、主の言葉をことごとく語り、彼らの神、主が自分をつかわして言わせられるその言葉をみな告げ終った時、 43:2ホシャヤの子アザリヤと、カレヤの子ヨハナンおよび高慢な人々はみなエレミヤに言った、「あなたは偽りを言っている。われわれの神、主が、『エジプトへ行ってそこに住むな』と言わせるためにあなたをつかわされたのではない。 43:3ネリヤの子バルクがあなたをそそのかして、われわれに逆らわせ、われわれをカルデヤびとの手に渡して殺すか、あるいはバビロンに捕え移させるのだ」。 43:4こうしてカレヤの子ヨハナンと軍勢の長たちおよび民らは皆、主の声にしたがわず、ユダの地にとどまろうとしなかった。

*3:22:1「兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」。 22:2パウロが、ヘブル語でこう語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。 22:3そこで彼は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。 22:4そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。 22:5このことは、大祭司も長老たち一同も、証明するところである。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行った。22:6旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。 22:7わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。 22:8これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。 22:9わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。 22:10わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』。 22:11わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。22:12すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、 22:13わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。 22:14彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。 22:15それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。 22:16そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。

*4:40:1侍衛の長ネブザラダンは、バビロンに移されるエルサレムとユダの人々のうちにエレミヤを鎖につないでおいて、これを捕えて行ったが、ついにラマで彼を釈放した。その後、主の言葉がエレミヤに臨んだ。 40:2侍衛の長はエレミヤを召して彼に言った、「あなたの神、主はこの所にこの災を下すと告げ示された。 40:3主はこれを下し、自ら言われたとおりに行われた。あなたがたが主に対して罪を犯し、み声に従わなかったから、この事があなたがたの上に臨んだのだ。 40:4見よ、わたしはきょう、あなたの手の鎖を解いてあなたを釈放する。もしあなたがわたしと一緒にバビロンへ行くのが良いと思われるなら、おいでなさい。わたしは、じゅうぶんあなたの世話をします。もしあなたがわたしと一緒にバビロンには行きたくないなら、行かなくてもよろしい。見よ、この地はみなあなたの前にあります、あなたが良いと思い、正しいと思う所に行きなさい。 40:5あなたがとどまるならば、バビロンの王がユダの町々の総督として立てたシャパンの子アヒカムの子であるゲダリヤの所へ帰り、彼と共に民のうちに住みなさい。あるいはまたあなたが正しいと思う所へ行きなさい」。こうして侍衛の長は彼に糧食と贈り物を与えて去らせた。 40:6そこでエレミヤはミヅパへ行き、アヒカムの子ゲダリヤの所へ行って、彼と共にその地に残っている民のうちに住んだ。

*5:39:15エレミヤが監視の庭に閉じこめられていた時、主の言葉が彼に臨んだ、 39:16「行って、エチオピヤびとエベデメレクに告げなさい、『万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、わたしの言った災をわたしはこの町に下す、幸をこれに下すのではない。その日、この事があなたの目の前で成就する。 39:17主は言われる、その日わたしはあなたを救う。あなたは自分の恐れている人々の手に渡されることはない。 39:18わたしが必ずあなたを救い、つるぎに倒れることのないようにするからである。あなたの命はあなたのぶんどり物となる。あなたがわたしに寄り頼んだからであると主は言われる』」。