聖書のある暮らし

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「クリスマスとはなにか」

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クリスマスとはなんでしょうか。

 今回は、二つのことを分かち合いたいと思います。一つは神秘の日、もうひとつは期待の日、ということです。

マタ1:18-20.*1

①クリスマスとは神秘の日

今日の個所に、マリヤが聖霊によって身重になったとあります。まだ二人が一緒になる前のことでした。いいなずけのヨセフは相当驚いたに違いありません。あの純真そうなマリヤが!?ですから彼はこの関係を内密にさらせようとした=関係を解消しようとしたんですね。

天使のみ告げ

この突然の出来事に、彼は当然あれこれ悩みました。どうしてこんなことになってしまったのだろう‥‥世間体のことを考えました。そしてこの純真そうなマリヤはこの先どうなってしまうのか。などなど。ところが、なんと夢の中に天使が現れて言ったというのです。「その胎の中に宿っているのは、人によるものではない、聖霊による超自然的な妊娠だ」と。

エス聖霊によってマリヤの胎に宿った理由

なぜイエス様は聖霊によってマリヤの胎に宿る必要があったのでしょうか。そのことを理解するには、次の聖書のみことばを読む必要があります。

一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている、へブル9:27

聖書は、この広い世界に、神と呼ばれるものは唯一つで、それはこの天地を造られた聖書の神様以外にはないと宣言しています。

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こころの影

人が、陽に背を向けるとき影ができるように、さまざまな人間同士のトラブル、争いや憎しみ、ねたみや恨みなどの醜い感情、患いの原因は、唯一の神の存在を否定したり、認めたくないという思い、自分の好きな道を行こうとすることの結果だと聖書は告げています。これが不幸の根源です。

この聖書の教えに対して、「排他的だ」と言う人がいます。しかしそうではありません。なぜならもしこの広大無辺な宇宙に神と呼ばれるのにふさわしい存在がいるとしたら、その存在が「私が神である」と宣言するのは当然のことだからです。

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たとえば、日本の岸田総理が出てきて、私がこの国の総理です、と言ったら、排他的だと言えるでしょうか。それは自明の理、真理ですね。真理とは絶対的なことを言います。あやふやなことではありえません。 

人は一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている。

神は真理であって、また愛であられます

しかし、神様は愛です。

私たちの中に巣くう罪咎、病、患いから私たちを潔めて救うために、神は一人子イエスをこの世に今から2000年前のベツレヘムに、人としてお遣わしになりました。それがクリスマスですね。そしてイエス様は33年のご生涯を経て、私たちの救いのために、罪咎を負って、私たちの病を患いを負って、十字架にかかられ死なれ、贖いの死を遂げられたのです。そして死後三日目に甦られました。 

しかしその贖いのためには一つだけ条件があった

人類の贖いのための身代わりの死を遂げるためには、罪のない血を持った人でなければなりませんでした。私たちの血は生まれながらにして、すべての人が罪のDNAを受け継いでいるため、身代わりの死を遂げることはできません。

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しかしここに一人の乙女がいました。マリヤでした。でもいくら純真な少女マリヤでもやはり生まれながらにして罪びとです。もし、主イエスマリヤさんの血筋から生まれるなら、罪のDNAを引き継ぐことになってしまいます。

しかし、先ほどの聖書の個所にはなんとあったでしょうか。

人ではなく、聖霊によって身ごもったとあるのです。

つまり神の御子イエスキリストがこの世に贖いの死と復活を遂げるために罪のない人として生まれてくるためには、聖霊によってマリヤの胎を通して、ふさわしくこの世におくだりになる必要があったのです。

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完全な贖いの聖いイエスの血

エスキリストの完全な贖いの血

エスキリストの2000年前の贖いの十字架は私たちを罪から救います。病から救います。どんな煩いからも救い出します。なぜなら、イエス様の十字架の上で流された救いのための血潮は、世界で唯一、宇宙で唯一!潔い血であったからです。これが「処女降誕」と言われてきたイエスキリストの降誕の神秘です。

どうかこの救い主の聖誕の神秘を信じて下さい。

私たちは自分の悪い癖一つだけでも直すことはできません。

しかし、神にはできます。

神様はイエス様の十字架の血を通して、私たちの罪咎を潔め、神の子としてくださって、永遠の命の救いの中に入れて下さいます。ハレルヤ

 

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②クリスマスは期待の日

それは期待する人に豊かに注がれる祝福だからです。

エス様お生まれになった時、エルサレムの神殿にシメオンというお爺さんがいました。彼は以前からメシヤ、つまりキリストがそのエルサレムのお宮に来られるというお告げを受けていたとあります。(ルカ2章) そして、彼がその日、その時、聖霊様に導かれてエルサレムの神殿のところへ来ると、そこにまだ若い少女のようなマリヤがイエスを腕に抱いてやってきたのです。シメオンは霊感によってそれが救い主だとわかりました。なぜならば、シメオンは永いこと、メシヤ、キリストの来ることを待ち望んでいたからです。

神さまは期待する人に現れて下さいます。

メリークリスマス。(メリーとは楽しいという意味)

それは期待する人に臨みます。

シメオンは永いこと、イエス様の来ることを待ち望んでいました。そして言ったのです。「もう十分じゃ。この目でメシヤを見たのだから。安らかに主はこの世からワシを去らせて下さる」と。

何かのことで心に失望していることはありませんか。落胆しているようなことはありませんか。

エス様に期待してください。

エス様は、こころに平安を与えて下さり、喜びを下さり、希望を下さいます。

どんなときにも枯れない期待する思いを下さいます。

そして、それは永遠にまでも続くと約束してくださっています。

クリスマスとは何でしょう。それは、神秘であり、期待の時であるのです。

お祈りしましょう。

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

*1:1:18イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。 1:19夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。 1:20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。