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「神の愛による勝利」

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「神の愛による勝利」

 こんにちは。

庭の家チャペルの牧師 伊藤です。

今日は、この先日の箇所から、「神の愛による勝利」というテーマでご一緒に聖書を読んでいきたいと思います。

 

 

  ローマ:31-32.*1

 前回は私たちが信仰によって勝利者とされているということについて学びました。信じるものはすでに勝利者とされているので、祈りつつ福音をつたえていかなければならないのです。また、福音をつたえつつ祈っていかねばならないのです。

しかしそのとき、サタンが怒ってパウロを迫害したように、み言葉に従おうとするとき目に見えない敵が従うものを攻撃するかもしれない。しかし恐れることはない。その理由は、すでに信じた私たちは勝利者とされているからです。

みことばの真実さに立つ

みことばの真実さに立ち上がる時、より頼むとき、敵は逃げ去らなければならないのです。

4:7そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。ヤコブ書4:7.

 信仰生活に勝利の現実感が薄いのは、勝利の上に立って行動していないからです。なぜなら私たちはすでに勝利者とされているからです。

 今日はそのことについて大事なことが前回開いたテキストの初めの部分にあるので、その箇所をもう一度見る必要があります。

 なぜ私たち信じる者は勝利者とされているのか

 31節に「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」そしてそのあとに、32節わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」と続いていて、口語訳で「万物」と訳されている個所は、新改訳聖書では「すべてのもの」です。「すべてのもの」とは、永遠の命の救いということを言っています。そして、そのために父なる神は御子をさえ惜しまないで与えて下さったと、いっているのです。

神の人への愛はアブラハムの姿勢から教えられている

22:9彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。 22:10そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、 22:11主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。 22:12み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。 創世記 22:9-12

 ここに、ひとり子さえ惜しまないで、とありますが、これはアブラハムが何者よりも神を大事にする人だったことがわかる、なによりの証拠の記事です。

そしてこのことは、父なる神と私たちとの間のたとえでもあるのです。それは父なる神が何にもまさって私たちを大事にして下さっているということの証拠でもあります。

父なる神は一人子さえも惜しまなかった 

アブラハムがひとり子を惜しまなかったように父なる神は私たちが永遠の命を得るために御子をさえ惜しまなかったのです。このことは私たちの信仰を内側から力強くすると思います。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:16

 神が私たちのために一人子イエスをお遣わしになったという事。そして、それは、イエスの御名によって私たちが永遠の命の救いを得るためである、ということ。神はそれほどまで私たちを愛してくださっています。尊い大事な者として見て下さっています。

 ここに生きる目的がある

それゆえに、私たちの生きる目的は、そんな神を賛美して、永遠の命の福音を宣べ伝えて行くことになるわけです。そして、そうした人生の歩み方の上に、どんなことがあっても、決して打ち負かされることのない圧倒的な勝利者としてのクリスチャンライフが生き生きとなって進められていくのです。

神が人をナンバーワンにして下さったように人が神をナンバーワンにするとき、生きる力が天から注がれてくるようになる

神の方から私たちをナンバーワンにして下さったという驚くべきことを今日学びました。ですから私たちも第一にすべきお方を第一にして、あがめて、賛美していくこと、そして祈りつつ福音を宣べ伝えて行くときに、聖霊のお力がそそがれていくのです。聖霊さまは、従うものに与えられるお方だからです。

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 神は人が見るように人をご覧にはならない

神は御子を惜しまずに下さったほど、この世を愛された。私たちを愛してくださった。神は、決して、人が見るようには私たちを見ることをしないお方です。人間を大事な存在として見て下さっています。

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。サムエル記第一 16:7

神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。 ‥‥そのために、わたしは立てられて宣教者、使徒と‥‥なったのである。第一テモテ 2:4~7

勲章が胸に輝くことはなくても、神が宣伝者、使徒として任命してくださったのです。大きな感動をもって遣わされていきましょう。 

お祈りをいたします。

天にいます父なる神さま

めまいのするようなこの世界に、真実な神のご愛を感謝します。

神がひとり子さえ惜しまずに十字架の供え物として贖罪のために下さったことを感謝致します。神を第一にするとき、どんな困難も乗り越え、福音と命を分かち合いつつ、与えられた地上でのひと時を走り終えさせてください。

 イエスキリストの御名によって アーメン

 

 

 

 

*1:8:31それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。 8:32ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。