聖書のある暮らし

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「宣教の情熱」

「宣教の情熱」

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インディアン宣教師 ブレイナード(18世紀米国)

9章のパウロの変節? 

今回からローマ書の後半に入ります。9:1からの突然とも思えるようなパウロの嘆き節が始まります。8章までは勝利の凱歌ともいうべき信仰の勝利についてだっただけに?となります。ここでのイスラエルについてのパウロの嘆きと私たちにどういう関係があるのでしょうか。

 

 

 ローマ:1-5*1

 内村鑑三氏の図によると、前半は個人の救いで、後半の9~11章までが人類の魂の救いイスラエルの魂の救いの問題を取り上げています。

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彼は同胞の大部分がキリストを拒絶しつつある不信を嘆き、その未来の運命を思って、痛切なる憂苦を胸に抱いたのである。

 内村鑑三 ローマ書講義下 

 私たちは、まだ救われていない人たち。とくに福音を聞かされていながら、救いを拒んでいる人たちに嘆く心を持っているでしょうか。

4節は、イスラエル人たちがいったいどれほどの恵まれた環境の中に置かれていたかについて、書かれているものです。

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ときどきごはんを食べながら、三度の食事に事欠くような難民のことや、お腹いっぱい食べられない人のことを考えます。考えながらも当たり前のように食べている自分がいます。実際、どれほど自分が恵まれているのかということは忘れやすくあります。忘恩の罪というメッセージを聞いたことがありますが、感謝のない心のことですね。

忘恩の罪

イスラエル人は、多くの恵みを受けたにもかかわらず救い主を拒みました。日本においても長いこと福音が伝えられてきていますが、いまだ多くの人たちは唯一の神を拒み続けています。最後の5節に、「先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン」とあるのは、あらゆる点からの祝福の頂点は、すべての賜物に勝るイエスキリスト様の救いまで戴いたから、このように賛美しているのです。

 私たちも主の下さったみ救いの恵みのゆえに主を賛美して感謝しましょう。

 しかし、現実はいまだ大勢の人が主のみ救いを拒んでいるのです。

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特に嘆くべきことは、私たちの周りの人たちで、福音を聞かされながら、救いについて関心を持とうとしない人たち。その人の罪は重いと思います。

人が福音に関心をもたない理由

2:1さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 2:2かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。 2:3また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。新約聖書エペソ2:1‐2

 四つの種のたとえ話のように、石地、いばらの地、そして道端に落ちた種のように福音が芽を出さない原因は、この世の君が、人の思いを支配しているからだというのです。

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しかし先週もイザヤ書53章にあったように、すでに主は、十字架上で救いの御業をすべての人のために終わらせてくださったので、福音には力があるので、どうか主が働いて下さることを、そしてそのためにもう一度自分が遣わされていくことを願い、祈ろうではありませんか。

こうしてイスラエルはみな救われる

また、パウロ11章26節で「こうして、イスラエルはみな救われる」といっています。『救う者がシオンから出で~」とあります。

この「イスラエル」というところに「~さん」の名前を入れて告白しても良いですね。私たちの家族、友人、知人、親戚その他のお名前です。

 遠い日の記憶

先日、新聞を見ていたとき、大変おどろきました。かつての同級生が大変偉い人になって、新聞記事に載ってたからです。遠い記憶がよみがえってきて、教室の雰囲気や、またその人に福音を伝えたことを思い出しました。でも、感謝に思えたのは、その人にかつて福音を伝えたという事です。人生はあっという間だし、健康であればあと20,30年あるのかもしれませんが、人は神の前に決断をしなければならないのです。

 私たちの内に嘆きはあるでしょうか。

パウロは同胞の魂の救いのためには呪われることさえ厭わないほどの情熱を抱いていました。わたしたちはどうでしょうか。

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ある大会で超一流のアーティストたちが歌いパフォーマンスを繰り広げました。しかし最後に一人の牧師が立って福音を話し出すと、会場はざわざわしだし、大勢の人が席を立って出て行ってしまいました。世の改まる時に、問われるのです。「なぜあなたはあのとき席を立って出て行ったのですか?」と。

お祈りをしましょう

父なる神さま

永遠のみ救いを感謝します

どうか救いを受けていない同胞:身近な人たちのためにうめいて祈り求めるものとして下さい

エス様のお名前によってお祈りいたします アーメン

*1:9:1わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。 9:2すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。 9:3実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。 9:4彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、 9:5また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。