聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

「今日一日の御心を行わせてください」 

f:id:seishonoarukurashi:20210810162140j:plain

みなさんこんにちは。

庭の家チャペルの牧師、伊藤ともうします。

今日は、ご一緒に「今日一日のみこころを行わせてください」というテーマでルカ伝から聖書を学びましょう。

 

ルカ12:22‐40 *1 

 

一回につき一日だけ生きてみる  

聖書は私たちに、今日一日を生きるようにと教えています。野の花、空の鳥を見よとあります。 夏になって黄色や赤、白の雑草の花々を目にするのはうれしいことです。でも、きれいな花びらがしおれるのは寂しく、気の毒な気がして残念ですね。 数日前の朝、あるお宅の玄関先に小さな野鳥が死んでいました。 ああ、力尽きたんだなあ、と。 

花のいのちも短いし、スズメの寿命もせいぜい一年くらいと聞きます。 

今見ているスズメはもう来年には別のスズメに入れ替わっているわけです。 

それでも、彼らは、今日も、神様の力で生かされています。 

f:id:seishonoarukurashi:20210810162721j:plain

かつてイスラエル人が荒野を民族移動していた時、天から食べ物を降らせてくださったとあります。それはマナです。 でもマナは、その日の分しか降ってこなかったんですね。次の日の分は降ってこなかったのです。つまり、私たちは今日一日のために神様が備えて下さった分の糧で、今日一日だけを生きればいいということです。明日はどうするんですか?となるのですが、 心配せずに今日一日分の糧で過ごせばいいのです。 神様の下さる糧は今日一日分しかないということがわかると、ああ、今日一日だけ生きればいいんだな、ということがわかります。 

自分にかかわることだけで終始する

それは聖書が言うように衣食住のことで、大半が自分にかかわることです。しかし今日のみ言葉は、そんなとかく自分のことで右往左往して、利己的な私たちが、もっと壮大な、偉大な御国の栄光のために生きるようにと私たちに奨めているのです。 

 御国と再臨

35節から、イエス様は再臨のことを教えています。 

 

f:id:seishonoarukurashi:20210810163415p:plain

私は、いつもツイッターでコロナのことを調べているのですが、日本の新聞テレビは本当のことを国民に伝えていません。みなさんもどうぞ新聞テレビだけの情報を鵜吞みにしないでよく調べてみてください。この戦時体制のような情報統制の問題については以前から指摘されていることですが、今回はコロナについても同じです。今、国民から知る権利が奪われています。

だれでもSNSなどを使って調べればわかることですが、厚労省の八月現在の接種後の死者数が900人以上とかで、しかし実際は、それを上回る相当数の方がワク〇〇で亡くなっていることが見えてきます。 メーカーは今回のワク〇〇が治験中だということをうたっているのですが、そのことについてもっとはっきりと説明すべきでしょう。つまり実験段階ということです。

エスの御名によって助かった人 

先日、摂取した後イベントに出かけ、熱中症になりそうになった方がいました。私はテレビ電話越しに「イエスの御名よって癒されるように!」と祈りました。あとで分かったことですが、そのときお祈りをしていると、そのSさんという方に不思議な感覚があったとのことでした。顔がはれ上がって、かなり苦しそうでした。しかし、イエスの御名がSさんのいのちを救って下さったのです。ハレルヤ!

日本のメディアでは決して報道しませんが、ワクチンパスポートの問題などでは、フランス、イタリア、海外で大規模なデモが起こっています。またワクチンの訴訟問題が裁判が国々で起こり始めています。

詳しいことは、ぜひ、世の終わりキリストの花嫁というブログ

終わりの時✨キリストの花嫁

を見てください。

 近づいている世の終わりの時

このような世界規模での騒動はいまだかつてなかったことです。

この「終わりの時キリストの花嫁」というブログから、とても良いトラクト(読み物)が出されました。ぜひ使ってください。このブログはとても読みやすく救いと世の終わりについて書かれています。

f:id:seishonoarukurashi:20210810165215j:plain

なにはともあれ

エス様は31節で、「なにはともあれ」と言われます。なにはともあれ、です。 

つまり本当に大切なものを第一にして、という意味です。 

あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすればこれらの物はそれに加えて与えられます。 これらのものとは衣食住などに代表される個人についての悩みや戸惑いです。とかく、私たちは、自分と自分に関係するもろもろのことでアレコレと悩みがちです。悩みとまではいかなくても、そのことがいつも思考と行動の中心になって私たちの毎日を支配することが多くあります。将来のこと、人のこと、給料のこと、家のこと、健康のこと、困った困ったとなります。でもイエス様は、この壮大な神の国を求めていくなら、そのたの必要なものはついてくると約束されています。問題は解決し、病はいやされ、必要が満たされます。 

 わたしへの神様の願い=みこころを求めて少しずつ

神様の私への今日一日の御心というものがあります。

たとえ、それがどんなに小さいことであっても、どうか私がそれに従えますように。 

そしてたとえ一ミリであっても、その目標に向かって一ミリだけでも進んでいかせてくださいと祈って、またそんな努力をしていきましょう。

 まもなくこの世界は改まる時が近づいてきています。 

主の栄光をたたえて、御心を行えるように変えてくださいと祈り求めていきましょう。 

 異言で祈ることの大切さ

聖書に人間は霊・肉・魂でできているとあります。ですから霊のことば、天与の言語、異言で祈る時、とかく否定的で内向きに陥りがちな私たちの思考は利己的な事柄から、神様の壮大な御国に関することに向けられて、変えられていくようになります。聖書がわかるようになり、御心を行う方向へと私たちは導かれます。最近、異言で祈っていなかった方はぜひ異言でお祈りください。また、その祈りを知らない方は神様に求めてください。必ず与えられます。 

やむなくワクチンを打ってしまった方も神様は必ず守って下さいます。癒しと守りをお祈りいたします。 

 

f:id:seishonoarukurashi:20201216122008j:plain

 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。

 

 

 

*1:

12:22それから弟子たちに言われた、「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。 12:23命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。 12:24からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。 12:25あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 12:26そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。 12:27野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 12:28きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 12:29あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。 12:30これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。 12:31ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。 12:32恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。 12:33自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。 12:34あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。
12:35腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。 12:36主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。 12:37主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは、さいわいである。よく言っておく。主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。 12:38主人が夜中ごろ、あるいは夜明けごろに帰ってきても、そうしているのを見られるなら、その人たちはさいわいである。 12:39このことを、わきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、自分の家に押し入らせはしないであろう。 12:40あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。