聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

新しい毎日

九州方面など豪雨で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。早期の復興をお祈り致します。

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ローマ書6章12節~14節*1

 

新しい毎日

 

自分がすべきことに意欲的で気概のある毎日を過ごしたい。それは、だれもが願っていることです。そのために、とても大切なことがこの聖書の数節に書かれています。少しの時間、聖書の言葉に思いをとめてみましょう。

 

 

 まず13節を見てみましょう。*2に、「不義の武器」とか「義の武器」とあります。これら新改訳聖書では「不義の器」「義の器」と訳されていますが、私たちの日常でのふるまい、生活面でのさまざまなことがらを表しています。

12節*3の「からだ」という表現も同じような意味があって、前回6節のところで「からだ」とは私たちの実生活を表しているというところがありましたね。 

この14節に解決のかぎとなる言葉が出てきます。

14節。なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。*4

 

「律法」と「恵み」

律法と恵みとは何でしょうか。また律法と恵みの違いは何なんでしょうか。

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天路歴程

天路歴程」(てんろれきてい)という英国の古典があります。

内容は、キリスト者という主人公が、滅亡の町から、はるか天の御国をめざして旅をするというものです。その人はいろんな体験をしながら進んでいくのですが、道中、うしろから知らない人がやってきて、いきなり殴るける、さんざんな目にあわせて、プイッと行ってしまう。こんな人がいたらとんでもない人ですね。(怒)しかししばらくすると今度はとても親切な人がやってきて、傷ついた自分を抱き起して介抱してくれました。

 先のトンデモない人が聖書に出てくる「律法」で、あとから来た人が「恵み」=イエス様の救いだということの例えだったのです。

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ハイジ

「ハイジ」という物語の中にロッテンマイヤー女史という怖いキャラクターが出てきます。とっても素晴らしいことをたくさんハイジに教えてくれるのですが、次第にハイジは元気をなくしてしまいます。

「律法」も私たちに良いことをたくさん教えてくれるのですが、ついていけないときの精神的な重圧はつらいものがあります。律法は、私たちが弱っているときには本当は助けてはくれないからです。

しかし、「恵み」と表現されている大きな存在が私たちにたいして抱いている計画は、「ゆるし」「励まし」「忍耐」です。

 

しかし嗜癖というさまたげがある

むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。新約聖書ローマ6:13

 

13節は、あたらしい気概のある毎日について述べています。しかしそれを妨げるものがあります。怒り癖。ひがみ癖。孤立癖。恨み癖。その他アルコール、ギャンブル、ゲーム依存症などなどです。聖書が言う、死のからだ、そして情欲というのはこれらのことを言っているものと思われます。

 どうすればいいのでしょうか。

 

穏やかな神との関係にある回復

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ある本にこんな例話が書かれてあるんですが、小さな子にまとまったお金を与えて、ノートだとか、鉛筆だとか。必要なものはその中から出させるようにします。

でも、まだ小さな子には無理で、子どもはそのお金ですぐにお菓子や好きなものを買って全部使ってしまう。いくら親が「約束違反」だといって怒っても、その場合、約束は破るために作られたようなもの。

だから、最初からそんな決まりごとは作らないで、子どもが何か欲しいときは親にお願いする。これが聖書でいう「恵の下にある」生活だというのです。

  でも、このとき、ひとつだけ必要なものは「良好な人間関係」だといいます。なぜなら、それがないと、必要なものが欲しい時、お願いできないからです。(榊原康夫 ローマ書注解Ⅰ)

 神様は私たちに、「恵み」という救いを備えてくださっています。

それは霊的な関係(スピリチュアル)であり、その具体的な内容は、「ゆるし」であり、「励まし」であり、「忍耐」希望、期待、勇気です。

 「罪はあなた方を支配しない。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。」新約聖書ローマ6:14.

 

先ほどの子どものたとえ話のように、和やかな、おだやかな神との関係がイエスキリストのゆえに与えられているので、その関係の中に自分を置くとき、いきづらさの原因となっている様々な嗜癖から自由にされていくようになります。

怒り癖。ひがみ癖。いろんな嗜癖(情欲)から自由にされて、その向こうに人との関係の回復が開かれていくようになります。

神との霊的な関係の回復がすべての人間関係の再出発の基本です。

死のからだと情欲があります。そして不義の器としての生き方があります。

しかし、一方では義の器としてのあたらしい生き方があります。

そして、その向こうに永遠のいのちの世界が開かれていると信じます。

 最初から全部できなくても、もういちど、だれかのためになることがあるのなら、多少自分の時間をなくしても動いてみることが大切です。そこに感動があって、後戻りできない新しい歩みがあるのです。それは永遠の気概に満ちた生き方です。

 お祈りします。

 

天の父なる神さま。

幸せになりたくて、いろいろなことをしてきました。

でも、自分が自分が、という生き方に疲れたのです。

わたしのために十字架に死に、よみがえられたイエスさまを心のうちにお迎えいたします。

どうぞ新しいいのちの歩みに私を導いて下さい。

エス様の御名によって アーメン。

 

*1:6:12だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、 6:13また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。 6:14なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。口語訳

*2:6:13また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

*3:6:12だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず 

*4:律法=うそや盗みなどを禁じた神の掟。恵み=つまづいた人を助け起こす神の愛