聖書のある暮らし

聖書のある毎日のおすすめです

福音を伝えるキリスト教の古くて新しいアプローチ

これまでのキリスト教会の伝え方は知的なアプローチが過ぎていたと思います。そのためキリスト教は力のない高尚な教えのように毛嫌いされてきたのではないでしょうか。これは、本来の聖書が伝えていることとはことなるものです。本来のキリスト教に立ち戻って福音を伝え直しましょう。

聖書 新改訳 ©2003.新日本聖書刊行会

わざによって信じなさい。エスキリストのことば

いやしは奇跡は好奇心を満たすためのものではありません。

詩篇96篇にあるように、「力と栄光を主に帰せよ」とあるためのものです。キリスト教は本来力ある教えなのです。

特に、いやしなどの奇蹟はクリスチャンが伝道するときに起こるようです。これは癒しの聖霊の賜物によるものです。

エス様は、かつて業(わざ)によって信じなさいと教えられたのです。

次の聖書のことばをご覧下さい。

ルカ 4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。ルカ 4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。ルカ 4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、ルカ 4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」ルカ 4:20 イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。ルカ 4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

いにしえから、メシヤが出現するときには、しるしや不思議となる奇蹟が起こることが預言されていました。次の同じルカ伝の5章のみことばをもご覧下さい。

ルカ 5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。ルカ 5:18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。ルカ 5:19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。ルカ 5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。ルカ 5:21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」ルカ 5:22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心中でそんな理屈を言っているのか。ルカ 5:23 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。ルカ 5:24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。ルカ 5:25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。ルカ 5:26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。

 

札幌の大通公園で起こった奇跡を伴うストリート伝道

23節で、イエス様はどちらがやさしいのか?と質問しています。奇跡を見ることと、罪が赦されることのどっちだ?と。罪の赦しは内面のことで見ることはできませんが、奇跡は揺るがない現実です。当然、そこに居あわせた人たちは目を見張ったわけです。 
つぎの大通公園で起きたストリート伝道の様子をご覧下さい。
 
  いやしと奇跡は、イエス様が救い主であることを示すためにあります。イエス様が救い主であることを分からせるためにあるのです。 私も先日、札幌の高校生たちに伝道した時、癒しの祈りをすると瞬間的に痛みが消えた学生がいました。そのあとその生徒は神妙な顔つきになりました。動画でも、最初ふざけていたのが、次第に静かになっていくのがお分かりになったと思います。
マタイ 10:7 行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。マタイ 10:8病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
エス様は12使徒を派遣する前にそう言われました。それは12使徒だけの限定ではなく、その後派遣された70人にも同様に命じられました。初代教会を「使徒の働き」に読むと、七人の執事たちが選出されたなかにピリポとステパノがいましたが、彼らもやはり、選ばれる前から、癒しの祈りをしたり、悪霊を追い出したりしていたことがうかがわれます。彼らは普通の信徒で、神学校を出たプロでもなんでもありませんでした。
「野生のキリスト教」という本があって、日本の宣教がどうしてうまくいかなかったのかというと、西洋周りの知的アプローチが過ぎた面があったためだと解説されています。
聖書どおりに原点に立ち返るなら、キリスト教とは力ある教えなのです。
 

二人三人がわが名において集まるところに

これらのことは私ともう一人の誰かの間で起こり得ることです。祈るのは私たち、癒すのはイエス聖霊さまですから、安心して祈って上げて下さい。ジョンウィンバーは、100回祈っても誰も癒されなかったそうですが、聖書の記述を信じて祈り続けたとき、101回目?癒しが起きたそうです。しるしと不思議が伴うとき、人は心が柔らかくなってイエスさまを受け入れやすくなります。いやしと奇跡の伴う宣教が回復しますように、お祈り下さい。
 

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 救いのABC とても分かりやすい信仰の持ち方です。ご覧ください。